桃と鉄
「恐れ入りますが」って言うたびに、自分のやわらかい部分を削ぎ落して、残ったつめたい種みたいな何かを叩いて伸ばして、硬くて薄くて平べったい金属の板にされるみたいだ。カウンターに突っ伏しながらそう弱音を吐いたら、笑われた。「みんなの憧れのモモちゃんはどこ行ったのよ」生まれたときからの幼なじみで、五年前にようやく本来の性別に戻ったテツが、カウンターの中で、お土産のリンゴを慣れた手つきで剥いている。
そりゃあできることなら、いつまでだってちやほやされていたかったけど、残念ながらわたしの容姿は中学校で埋もれてしまう程度のものだし、天賦の才も、テツみたいに自分を貫く度胸もない一般人なので、働かなくちゃ生きていけない。好きだったバンドのライブを諦めて接待に向かい、マンガを買うお金でダメになった外回り用のパンプスを買う。クローゼットが色あせていって、それでも「がんばってるね」と褒められたから何とかやってこれたけど、数年変わっていない部屋の中身に気づいて、ときどき猛烈に怖くなる。
このまま削いで、けずって、叩いて伸ばして、いつかぽっきり、折れちゃわないかな。
年々地味になっていくわたしと反対に、日に日に華やかにふくよかにやわらかくなっていくテツを見てると、うらやましくて仕方ない。けどこんな風には生きられないこともまた、自分が一番よく知っている。
繁忙期が終わって、久しぶりにテツの店へ足を向けた。水をたっぷりふくんだスポンジみたいな、雨上がりの夜だった。手土産をゆらしながら閉店ぎりぎりに入ると、テツが数人の客と笑っていた。
「その格好、恥ずかしくないの?」
油分の多い、べったりとした言葉がテツに向かって放たれる。テツはにこにこ笑って、まるでビニール人形になったみたいに動かない。ああ。唐突に理解した。
やわらかくいることは、傷ついていないわけじゃないのだ。
「みっともない」と言い放った客に投げた桃は、ほれぼれするほどイイとこに当たった。
「誠に恐れ入りますが」
べっちゃり崩れた桃を張り付けたまま呆けるそいつに、わたしは華麗な笑みを浮かべてドアを指さす。「お引き取り下さいませ」
テツの笑みはまだ止まない。だからわたしは、あいつのあごを伝ってカウンターにぽたぽた垂れる鼻水に、気づかないふりをする。テツはものすごい勢いで鼻をすすって、それでも手を動かし続ける。きらりと光るペティナイフが、やわらかな桃の皮をゆっくりと剥いでいく。
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