第6話 閑話

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 好きっていうたび、キスをされた。

 はじめはその愛情表現が嬉しかったけれど、だんだんと違和感を覚えるようになってきた。

 夏綺さんは、ぼくに「好き」だとか「付き合って」だとかを言わせないようにしていた。

 それが何を意味するのか分からなかったけれど、なんとなく、気持ちのいいものではなかった。

 そして朝、ぼくはバスで、夏綺さんは電車で、それぞれの家へと帰っていった。

 まるで何もなかったかのように。

 家について、ベッドに体を投げ出す。

 夏休みなので講義はなく、サークルもない。バイトがあった気もするけど、どうせ夕方からだった。

 ぼくは昨晩の彼女の感触を思い出しながら、枕に向かって叫んだ。

 嬉しい。彼女と結ばれて、純粋に嬉しい。

 でもそれと同時に、「ぼくたちはどういう関係なんだろう」という疑念が頭を過る。

 結局ぼくは、彼女に付き合ってくださいと言えていない。好きだとは伝えられたけど、夏綺さんはキスをするだけだった。

 もしかして、夏綺さんは誰とでもヤるような女性だったのかな、という疑念すら沸く。

 たぶんそんなことはないんだろうけど、不安になる。

 「私達付き合ってるんだよね?」なんて、よくストーカーを題材とした創作で見かけるフレーズだけど、まさかぼく自身がこの言葉を吐きたくなる日が来るとは思ってもみなかった。

 ぼくたち、付き合ってるのかな。

 でも、所詮ぼくたちは三回デートをして、一回(本当は二回)ヤッただけの関係で。

 その程度で付き合っているなんて言えないよね。

 本当はしっかり付き合ってからそういう行為はしたかったんだけれど、彼女が愛おしすぎて、途中でブレーキが壊れてしまっていたようだ。

 いや、正直に言うと、普通に性欲に負けたんだと思う。

 ぼくは彼女が好きだったし、夏綺さんもぼくのことが嫌いではないだろうから、勝ち負けの問題ではないとも思うんだけどね。

 でも、現状のこの関係に名前をつけるとすると、きっと“恋人”ではなく“セフレ”だ。

 それは大変不愉快で、今すぐにでも撤回したい言葉だったけど、現実は残酷だった。

 そんな風に悶々とした日々が続く。

 彼女と今まで通りのやり取りができる自信もなかったので、メッセージも送っていなかった。バイトをして、映画を観るような毎日。

 でも、コンビニで百円のポップコーンを摘みながら、映画のサブスクで“ミッション:8ミニッツ”を観て、そのラストの素晴らしい演出に度肝を抜かれた時、ふと夏綺さんと話したいな、と思った。

 彼女が恋しい。

 夏綺さんと連絡を取るのは怖かったけど、ぼくは全身の勇気を振り絞った。

 彼女ともう一度話したい一心で、スマホを立ち上げる。

「『来週か再来週、江ノ水行かない?』」

 そして、デートの誘いを送信した。

 江ノ水とは、県内にある大きな水族館の略称で、正式名称は江ノ島水族館という。

 大学のサークル新入生歓迎会で連れまわすような、メジャーで普通な水族館だ。

 なかなか返信は返ってこないだろうな、と予想した。そもそもここ数日ぼくは彼女にメッセージを送っていなかったし、この前はあんなことがあったんだ。

 しかし予想とは裏腹に、すぐさま「いいよ」と間抜けなスタンプが送られてきた。

「……」

 夏綺さんは、いったいどんな気持ちでこのスタンプを送ってきているんだろう。

 ぼくがメッセージ一つ送るのにどれだけ悩んで、この数日間どれだけ悶々としていたか。

「……いや、かわったのはぼくのほうで、夏綺さんは何もかわっていないのか」

 少しだけ天を仰いでから、ぼくは気持ちを切り替えた。

 今度こそ、きっちり告白をして、きっちり恋人関係になるために。

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