第2話 ディナー
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「さっきトマトが嫌いって聞いた時は本当に焦ったけど、よくよく考えたらパスタって、クリームパスタとかジェノベーゼとかもあるね」
日が沈んだ後、ぼくと夏綺さんはそこそこのお値段のするイタリアンの店に入った。
大学生にとっては大きな出費だったけれど、彼女を喜ばせるためなら全然痛くない出費だ。このあたりではかなり人気のお店だったので、あらかじめ予約していた次第である。
運ばれてきたカルボナーラの温泉卵がぷるぷると震えていて、黄色いクリームと白い粉チーズに、ブラックペッパーがまぶされていてそのコントラストがすごく美味しそうだ。
さすがに店で一眼を構えるわけも行かなかったので、スマホを取り出して写真を撮る。
最近のスマホはお料理撮影モードなどがあって、すごくいい写真を簡単に撮ることができる。その便利さが少しだけ寂しい。
などと考えている間に夏綺さんはフォークとスプーンを構えている。
「そうねー。あ、でもわたしトマトソースは意外と平気かも」
「あ、そうなの?」
「ごろっとした固形のトマトが入っているのは少し苦手だけどね」
「ふうん、食感が嫌いなんだ」
「ううん、存在が嫌い」
「存在ごと嫌われるのなんて無惨様と帰宅部で神様の蛍くらいだよ!」
「……さすがにメジャーどころとマイナーどころの振れ幅が大きすぎないかな」
夏綺さんはクリームパスタのベーコンをフォークで突き刺したあと、器用にくるくると麵を巻いていく。
「うまっ」
そして端的にそう呟いた。
「口にあったようでなにより。お粗末!」
「まだ食べ終わっていないしそもそもハルシくんに作ってもらった覚えはないんだけど……」
「実はこのお店のシェフ、ぼくなんだよね」
「嘘松! その嘘こそがお粗末だよ」
人と付き合っていく上で最も大切なことの一つに、会話のテンポが合うかどうかというものがあると思う。
恋愛的な意味だけでなく、友人関係などでもそうだ。
そして、ぼくと夏綺さんは会話のテンポがものすごく合っている、気がする。
もちろん彼女が会話をぼくレベルに合わせてくれているという考えたくない可能性もあるのだけれど。
ぼくも夏綺さんのペースに合わせるようにゆっくりとカルボナーラの温泉卵を潰す。
「うまっ」
「んああ、カルボナーラも気になっていたんだよね」
彼女がんー、っと悩ましげに両目をぎゅっとつぶったかと思うと、急に上目遣いになって猫撫で声を出した。
「にゃ~ん」
「いやおねだりは人語でお願いしますぅ」
「いひひ、それはそう。ねえ、わたしのも一口あげるから、カルボナーラ一口ちょーだい」
「うん、もち……ろ」
反射でもちろんいいよ、と言いかけてぼくは言いよどんだ。
パスタ一口って、結構ハードル高くない?
ピノひとつとか、唐揚げひとつとか、そういう一個単位で数えられるものはあげやすい。
別に二個しか入っていない雪見だいふくであろうと相手が夏綺さんなら喜んであげる。
でも、丼ものやラーメン、それこそパスタみたいな、少しずつ食べていくタイプのものは、あげたくないとかではなくハードルが高い。
いや、ぼくは構わないんだよ?
でもどういう渡し方をすればいいのかわからなくないか。
ぼくのフォークに巻いて「あ~ん」する? 無理無理無理、付き合っていないのにそんなことできるはずがないよ。
じゃあ皿を渡すか。
でも皿を渡すとき、ぼくのフォークとスプーンはどうすればいいんだろう。
両手に持ったまま? それとも。
などとうだうだ悩んでいると、夏綺さんが「やった~」と言いながら彼女自身の食器でぼくのカルボナーラを一口分かっさらって言った。
よくよく考えたらそれが普通だった。
「……うま」
「でしょ!」
「うまー」
ああ、夏綺さんの語彙が死んだ。
「ターミネーターで思い出したんだけど、ハルシくんって映画よく観るの?」
「うん、好きだよ。夏綺さんも?」
「結構好きかも。ちなみにハルシくんの一番好きな映画って何?」
「……」
「……」
「…………」
「…………あ、違うの。別にこれ“試し”の質問じゃないから。純粋に雑談の一つとして振っているだけだから。だからその、『どの映画まで言ったら引かれないかな?』とかそういうことは考えなくてもいいし、別に一番好きじゃなくても好きな映画だったら何でもいいよ」
ぼくの不安を見透かした彼女が早口でまくし立てた。
こういう気遣いができるあたり、夏綺さんはホンモノっぽかったので、ぼくは安心した。
「ニューシネマパラダイスとかかな」
「うわ~、っぽい~」
「あれ、馬鹿にされてる?」
「いやいや。でもハルシくんっぽいなあと思って」
「そういう夏綺さんは何が好きなのさ」
「んー、わたし? そうだなあ、ハルシくんに倣って有名どころで行くと、スピルバーグ監督のジョーズが好きかな」
「んほ」
思わず変な声が出てしまった。
もしかして夏綺さん、それは“サメ映画”の話題を振ってほしいという意思表示かな?
「……左手の義手」
「シャークネード2の話なんて振ってないから!」
どうやら違ったようだった。でもネタは伝わったみたい。シャッシャッシャッシャッシャークネドゥ。
「ジョーズって実は動物パニックじゃなくて、警察と海洋学者とハンターが共通の目的を前に絆を深めていく人間ドラマじゃない。あの、横暴なハンターとなよっとした学者が語り合う夜中のシーンなんて最高だと思うんだよね。ああいう、いつ失われるともしれないけれど、それでも絆を確かめ合う描写が本当に好きなんだ」
「なるほどね、それでいくとスタンドバイミーとかも好きでしょ」
「大好き」
夏綺さんはえへへ、と笑う。あまりに可愛い。
「あとはねー、映画を観ているんだから、映像体験でしか得られない演出が好きなんだよね」
「……というと?」
「単純な謎解きどんでん返し系は、小説でいいじゃん、映画にした意味がないじゃんって思っちゃうんだ。初期のノーラン作品とかがそう」
それはなんとなくわかる気がする。ぼくは大好きだけどね、プレステージ。
「文字には文字の、映像には映像の利点があるんだから、そこを十全に活かした演出がやっぱり好みなんだ。グランドイリュージョンの冒頭の手品とか、ベイビードライバーのオープニング、あとはラ・ラ・ランドの最初の路上ミュージカルとかね」
実際に言われてもっとピンときた。確かにどれも、映像と音をフルに活かして、視聴者の魂を震わせようとしているシーンばかりだ。
「スパイダーマンスパイダーバースのマイルズ覚醒は、漫画的演出と映像美が重なった圧巻のシーンだったよね、みたいな感じ?」
そういうと彼女はぶんぶんと首を縦に振った。千切れそう。
なるほどねえ。なんとなく夏綺さんの好みがわかった気がした。
シナリオや演技そのものではなく、映像の演出が好きなんだ。
「たとえばぼくは、パラサイトの好きなところはって聞かれたら、二転三転するシナリオって答えちゃうけど、夏綺さんは全てを諦めて煙草を吸うトイレのシーンでしょ?」
「わたしのこと、わかったみたいだね」
ニヤリ、と夏綺さんが笑った。
ぼくは彼女を理解できたことよりも、有名どころとはいえここまでのタイトル全部がぼくらに共通する作品だったことに喜びを覚えた。
きっとぼくたちは趣味が合う。
恐らく、通ってきた作品も近いんだろう。
「ちなみに、夏綺さんが今まで一番いい、と思った演出は?」
「……演出単体でいいの?」
「うん。映画全体の評価じゃなくて、シーン」
そう聞くと、彼女はゆっくりとクリームパスタの最後の一口を咀嚼して、それを飲み込んだ。
水を口に含んでから、天を仰ぐ。
「ファニーゲーム、って知ってる?」
「……」
もちろん知っていた。そのタイトルが夏綺さんの口から出てきたことに驚いた。
ファニーゲームは、動機のない快楽殺人コンビに狙われた幸せな家庭を描いたスリラーなんだけど、主人公補正が全て快楽殺人コンビに働く、という何とも胸糞の悪い映画だ。
逃げていても、大事なところで転んでしまったり、鍵が開かなかったり。
こういう作品はどうしても幸せな家族に感情移入してみてしまうので、すごくストレスの溜まる映画だったともいえる。
「あの映画自体は好きじゃないんだけどね……」
ぼくは夏綺さんの言いたいことが理解できた。
それはだって、ぼくと同じ気持ちだったから。
ぼくもファニーゲームは嫌いだったけど、その演出だけが本当に大好きで、そのためだけに円盤を買ったほどだった。
気に入った映画の円盤を買うのは好きだけど、ワンシーンのために購入したのはこの作品だけだ。
「本当に冒頭、幸せな家族のドライブ中の“あの”シーンが、大好きなんだ」
「うん……わかる、わかるよ」
ぼくは歓喜に打ち震えていた。
同じところが好きな人に初めて出会えたから。
だからぼくは水を一気に飲み干して、舞い上がった提案をしてしまった。
「ぼくんちに円盤あるから、今度そのシーンだけ観ようよ!」
そういうと夏綺さんは一瞬だけ無表情になって。
「……うん、是非」
と言った。
ぼくが、夏綺さんをおうちデートに誘ってしまっていたことに気付いたのは、もう少し後の話だった。
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