サマータイムトリミング
姫路 りしゅう
第1話 夕焼け
1
てらてらと、真っ赤な光が水面に反射している。
水平線に沈みかけた太陽が、自分の存在を激しく主張しているように見えた。
夕焼けは、慟哭だ。
まだ沈みたくない、もっと世界を照らしていたい。そう願っていても、それでもどうしようもなく消えていく太陽の、最後の嘆きだ。
ぼくは二十一世紀生まれなので、もちろん自転や公転の仕組みを知っているし、夕焼けのメカニズムすら理解している。
それでも、教科書で習った知識なんて嘘だよ、と言わんばかりに嘆き叫んでいる太陽を見ていると、なぜだか空しくなって、思わず目を逸らす。
太陽が明日も昇ってくるという保証はどこにもない。
ただただ帰納的にそう思ってしまっているだけだ。
だから、夕焼けを見るのはこれが最後になるかもしれない。
そう思うとぼくはいてもたってもいられなくなって、首にぶら下げているカメラで写真を数枚撮った。
やっぱり、赤色は綺麗だ。
警告色の代表として挙げられ、自然界だけではなく人間社会においても注意を促す色として用いられることが多い赤色だけれど、なぜか吸い寄せられるように見てしまうし、綺麗だと感動さえしてしまう。
赤色。
血液の色。
もしかすると人間はどうしようもなく『死』に惹かれてしまうのかもしれない。
ふと、そんなことを思う。
赤色。
ケチャップの色。
もしかすると人間が惹かれているのは『トマト』なのかもしれない。
「ばかなの?」
「え、もしかして今の口に出てた?」
「もうばっちり聞いてましたー。まあ、ね。人間が『死』に惹かれるところくらいまではそれなりに納得したよ?」
ぼくの隣で一緒に夕焼けを眺めていた女性、夏綺さんは、特徴的な三白眼を薄目にして呆れたような表情を作った。
「でも『トマト』はない。トマトやだ、嫌い」
「夏綺さんの好みの話はしてないよ!」
でもそっか、夏綺さんはトマトが嫌いなんだ。覚えておこう。
今後彼女を食事に誘うとき、トマト専門店だけは行かないようにしないと。トマト専門店って何? 下北とか表参道にありそう。
「それにしても、綺麗」
夏綺さんはぼくの隣で短く息を吐いた。
喜んでもらえたようで何より。勇気を出して誘ってみた甲斐があった。
沈んでいく太陽とは対照的に、ぼくの気持ちはどんどん上がっていく。
今日こそ、告白できるんじゃないか。告白をしたら、成功するんじゃないか。
そんな淡い期待がふつふつと湧き上がってきた。
交際前にもかかわらず、二人きりで出かける誘いに乗ってくれた時点で、少なからずぼくのことをいいと思ってくれているんじゃないかな。
もちろんこれがカラオケの誘いとかだったら話は別。その程度の誘いに乗っただけで交際可と思ってしまう男は残念ながら結構な割合でいるけれど、ぼくは紳士なのでそんな勘違いはしない。いつだって人とは真摯に向き合う。
でも今日はドライブだ。綺麗な景色を見ることだけが目的の小旅行。
全く好意を持っていない異性からのドライブデートの誘い、承諾する? ボカァしません。
ここまでの彼女の反応も上々だ。少し中二じみたぼくの心の声すら楽しそうに受け取ってくれている。
っと、あんまり考えこみすぎると、夏綺さんに邪念を感じ取られてしまうかもしれない。正直もうぼくの好意は察さられていると思うけれど、それは想いを隠さない理由にはならない。
こういうのはきちっと言葉にして伝えるべきだ。
それが、人を好きになるということに対する責任だと思う。
「って夏綺さん、なにをしているの?」
ふと隣を見ると、彼女は奇妙なポーズで夕日を眺めていた。
両手とも、親指と人差し指を立ててL字を作り、片方を逆手にして腕を伸ばし、顔の前で長方形を作っている。
それはまるで、幼い頃やった手遊びの“カメラ”のように見えた。
「うん? これはカメラだよ。ちっちゃい頃やんなかった?」
「やったけど。本当にカメラだったんだ……」
その手のひらサイズの長方形の中に沈みゆく夕日を収めている夏綺さん。
幼い頃はカメラを持っていなかったからそうやってごっこ遊びをしていただけで、今はスマートフォンっていうカメラ付き通信機器があるだろうに、とぼくは思った。
周りに数人いる見知らぬ観光客も全員スマホのカメラ、もしくはぼくのように大きなカメラで写真を撮っている中、一人手遊びカメラで心のシャッターを切っている彼女は酷く滑稽だった。
「でも夏綺さん、普通にスマホ持ってるよね?」
「うん、持ってるよー」
彼女は「なに馬鹿なことを聞いているの」とでも言いたげな表情でぼくのほうを見る。
その表情をしたいのはぼくのほうなんだけど。人の表情をとるのやめてくれないかな。
「いや、スマホ持ってるならそんな手遊びじゃなくてスマホで撮ればよくない? さっきから一枚もとっていないようだけど」
「……ああ、なるほど、そういうこと」
そんなに難しい質問をしたつもりはなかったけど、夏綺さんは出来の悪い生徒を相手するようにゆっくりと息を吐き、
「わたし、写真って嫌いなの」
と端的に答えを言った。
ぼくと彼女の間に数秒の沈黙が流れる。
じわじわと夕日は海に沈んでいく。
その沈黙に耐え兼ねたのか、夏綺さんは目を数回ぱちくりさせて、はっと気が付いたかのように顔をあげた。
「あ、違うの。これはあくまでわたしが好きじゃないって言うだけで、だからといってカメラを首からぶら下げるくらい写真が好きであろう君を否定批判するつもりはないの。ごめんね?」
ぶんぶんと両手を振りながら慌てふためく夏綺さんだったけれど、ぼくのほうこそ機嫌を損ねて黙ったとかそういうわけではなかったので頭を下げる。
「こっちこそごめん。別にそういうつもりで黙ったわけじゃないんだ。でも、なんだろう。現代社会に生きていて写真が嫌いって、結構珍しくない?」
「ううん、どうかな。別に魂がとられそうで怖い、とかそういうわけではないんだけど」
「そこまでスピリチュアルな考え方じゃなくてよかったよ……どうして嫌いなの?」
そう聞くと、夏綺さんは少しだけ恥ずかしそうに俯いて、言った。
「思い出を形に残すのがね、なんだか性に合わないんだ」
「……」
「ちょっと、やだ、そんな目で見ないでくれない? 恥ずかしい。わたしが変なこと言ったみたいじゃん」
確かに少し中二臭い言葉だとは思ったけれど、変なこと言ったじゃんとは言えなかった。
いままでそういう考えを持ったことがなかったからだ。
思い出は形に残る方がいい。だから人間はアルバムというものを作る。そう信じて疑わなかった。
でも全員が全員、そういう考えを持っているわけではないらしい。
恥ずかしいのか、顔を少し赤らめながら目を伏せる夏綺さんを見て、改めてこの人が好きだな、そう思った。
「ほら、ハルシくん。馬鹿な話してないで海見よ? 日の入りの瞬間が最高に綺麗だって教えてくれたじゃん」
太陽が海に沈んでいく。
その円の上側と地平線が重なる瞬間を日の入りと呼ぶけれど、ここから見える日の入りは格別に綺麗らしい。
真赤な空をバックに、海面に反射する日光がてらてらと光る。
だんだんと真っ赤な円が隠れていく。
だんだんと沈んでいく。
だんだん、だんだんと。
だんだん、だだんだんだだん。だだんだんだだん。
「ハルシくん、もしかして今T-800のこと考えてた?」
こっちをちらりとも見ずに呟く夏綺さん。
あまりにも図星だったので「え、またぼく口に出してた?」と聞くと、彼女はふふ、と笑って少し間を置いた。
「ううん。今回は口に出していないよ。でも、なんとなくそう思った。というか、わたしがT-800を思い浮かべたから、もしかしてと思って聞いてみたんだ」
どうやらぼくと夏綺さんの思考がシンクロしていたらしい。
真赤に染まった海に沈みゆく物体を見て、親指を立てながら溶鉱炉に沈んでいくT-800を思い浮かべる人間がどれくらいいるのか知らないけど、いまはただ、彼女と同じことを考えていたことが嬉しかった。
太陽が沈む瞬間、ぼくはカメラを構えていて、夏綺さんは手遊びのカメラを構えていた。
ファインダー越しに見る日の入りは、それでもとても綺麗だった。
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