丑三つ時に、祈りましょう

もしも、想像もつかないような事が起きたとして。

その時、私が取る行動を、あなたは軽蔑しますか。

そうであるならば、ただ一つの後悔を抱えて突き進む事が、きっと出来ます。


「それが、答えですか」

 震える声で、私は聞いた。

涙が決して出てこないようにと、瞬きもせずに目の前の男を睨みながら。

「あくまで、僕らが出来る事としては……です」

 屈強な男は、被害者の恨むような眼差しを真剣に受け止めている。今まで嫌というほど、こういう状況を治めてきたのだろう。私もその内の一人というわけだ。

「悔しい気持ちはあると思います。けど、その悔しさに負けた時、加害者と同じになってしまう」

 平静を装っても乱れる呼吸を、荒々しく吐き出す。この人に怒りをぶつけたところで、何にもならない。それでも。

「わかりました。もっと具体的な証拠があれば良いんですよね?」

 破壊する事でしか自分を守れないなら、誰に私を責める権利がある。法律も警察も誰も守ってくれない、こんな世界で。

「例えばなんですけど。あなたが加害者を煽って……この件が事件になるように仕向けたとして……。あるいは、いつ襲われてもいいようにと、常にナイフを持ち歩いたとして……それで、正当防衛が成り立つかと言うと……」

 急いで私は顔を背けた。

その先の「答え」を聞くまでもなく、堪えていたものが零れたからだ。どこまで行っても、この世界は奴らにとってのみ都合が良く、私には味方ひとりいない。

「なんの……慰めにもならないんですけど、悔しい思いをしている人間が……ここにも、います。それだけは、どうか……忘れないで下さい。ここへは、いつ来ていただいても構いませんから。……そう、ならない事を祈ってますけど」

 悔しくて悔しくて、どうしようもない。こんな憤りを、屈辱を、心に刻んでそれでも真っ当に生きろなんて、そんな残酷な話がどこにある。

「……ありがとうございました。何か、書くものとかあれば書きますけど」

「いえ。書類は、最初に記入していただいたものだけで大丈夫です」

 最後に、生活安全課を出る時にも、彼は私に「大丈夫ですか」と聞いた。そんなの決まっているだろうに。

 何十、何百、何千件の、こんな下らない話を彼は聞かされてきたのだろう。担当だと現れた時、年齢は三十八だと言っていた。それなりにキャリアを積んでいるはず。

ゴールデンウィークの真夜中。ご丁寧に正面玄関まで送りに来て、自動ドアを抜けた私に、彼はいつまでも頭を下げ続けた。

「……」

 正義なんて何の役にも立たない。

今、自分が出て来たばかりの警察署を見上げて、絶望的な気持ちになる。

けれどそれは、私にとってはある種の希望だった。

「私を救えなかった事を、悔しいと思ってくれるなら。私の事は軽蔑して……どうか、これから先の被害者の事は、救って」

 あなたみたいな人が、一人いるとわかっただけでも、心は幾分救われる。


 丑三つ時に、祈りましょう。黒い祈りを。

想像も出来ないような世界を、見せてあげる。


(完)


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