第2話
あの日から、3年が経っていた。
3年という月日が長いか短いかは
よく判断がつかないが、記憶はぼんやりと遠い。
あのあと、少し時間が経ってから自分のした行動を思い返してみると、恥ずかしくてたまらなくなった。
殺気立っていたときは大人しく身を潜めていたくせにいまさら激しく主張しだす羞恥心に抑え込まれる
自分が情けなかった。
情けないと思いつつ、どんどん沈んでいく
気持ちに為す術はなく、憂鬱は膨らんでいった。
それなのに鏡の前であのときの必死な顔をもう一度再現し、わざわざ確認してしまったのは、救いを求めての行動だった。
自分で想像しているよりも、ましな顔であってほしい。そんな期待を込めての行動だったが、その期待は虚しく裏切られた。
狂気と間抜けが入り交じった歪んだ顔は
自分の想像を遥かに上回る、みにくい形相をしていた。
見るに耐えず、急いで顔を元に戻したが、さっきみた歪んだ顔の残像がこびり付いている気がした。
顔全体を手のひらで、力を込めながら拭ってみたが、残像は消えなかった。
それ以上思い出したくないのに、
意識が記憶の方に引っ張られ、頭の中に無茶苦茶な恰好で走り去った自分の姿が映像になって流れる。
その鬱陶しい意識を散らすように乱暴に鼻歌を歌った。
自分の醜悪な姿をみてしまったストレスからか、
深呼吸をしても、吸い込んだ酸素が胸の辺りで
せき止められ、肺まで届いていないような苦しさ
があった。
苦しさにもがきながら、あの男のことを考えた。
私の醜態をみた、たったひとりの目撃者。
薄暗い夜道を奇怪な動きで走り去る私を、
男がどんな顔をして見ていたのか。
それを想像してしまうと、自意識が壊れてしまう
予感がした。
気付くと、心はどこかへ飛んでいき、肉体だけが
鏡の前に残されていた。
鏡面にうっすら張りついた細かいホコリが目にとまる。自分の意思で見ているのか、目が勝手にホコリを捉えているだけなのか、どちらかはわからない。
ただ、空っぽな肉体では腕を動かしホコリを拭うことすらままならないということだけは、はっきりとわかった。
威勢のよかった鼻歌は、弱く、静かな音になって耳に届いたが、その音はほとんど消えかけていた。
すっかり打ちのめされた私はしばらくの間、
自分の姿を人に見られるのが怖くなり
普段よりもひと回り小さくなって過ごした。
嫌な記憶が蘇らないように
あの道を避け、別ルートで自宅まで帰るようになった。
お気に入りの道が通れなくなったのは悲しかったが、これ以上傷つくのは嫌だった。
自分を守るためには、対価を払わなければ守りきれない。だからあの時、男から見た「大人しい社員」の自分を投げ捨てて、逃げた。
でも逃げた先にはまた敵がいたのだ。
今までも、これからもきっとその繰り返し。
またひとつ大切にしていたものを失ったが、痛みに鈍いふりをして、自分自身さえ見失わなければ大丈夫だと、何度も何度も言い聞かせながら、矢が通り過ぎるのをじっと待った。
そうして日々を過ごしているうちに、あの記憶は新しい記憶の堆積により、ゆっくりと遠くへ押し流され、ほとんど思い出すことがなくなっていた。
彼女が困っているのは一目瞭然だった。
息もつかず、とめどなく話をぶつけてくる男に、彼女の顔は固く強ばっていた。
だけど、自分の保身ばかりを考えて、面倒な事には
巻き込まれたくない周りの人たちは、彼女に手を差し伸べようとはしない。問題事だけを器用に避けて、談笑している人たちはとても自然にその場に収まっていて、彼女と男だけが無言の迫害を受け、その場で浮いているようにみえた。
あの時もセクハラまがいなことを受けている私を、周りの人たちはいないものとして扱った。私はその人たちに対して軽蔑したし、こんな人たちにはなりたくないと強く思った。
それなのに、今度は私がその中の一人になっている。
そう気づいてしまうと、急に気持ちが悪くなり、吐き気を催した。お酒のせいにしたかったが、クーニャンごときで酔いが回るような体質ではないことを知っていた。この後に及んで見て見ぬふりをしようとしている自分に、やるせない気持ちが押し寄せ、冷や汗がカッと吹き出てきた。
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