脆弱
筆をとった。
人が持つ世界を見てしまったので。過去に自分が憧れそして諦めた物に手を出してしまった。
彼女はハッキリとした女だった。意思思想が強く、平たく言えば面倒くさい。僕のなあなあな性格には合わない部分も多い。唯ずっと、誠実であれと、ずっとそれだけを言っていた。
さてして彼女に対して誠実であることはとても難しい。ふと頭をよぎるこれでいいのかという気持ち、彼女とやって行けるのかと、他にもいるのではないかと言う気持ち。弁明するようだが嫌いな訳では無い。当然だが苦手なところも直して欲しいところもある。意外とズボラなとこだったり、僕の顔をすぐに伺い出すところだったり。僕は普段から何も考えていないんだ。
そんな気難しい彼女だったが、よく笑いよく食べ、よく泣いた。彼女によると殆どは僕が泣かせたらしい。人の目に映るところで泣くなんて到底嫌がるような人だったから、初めて泣くところを見た時は驚いた。
彼女には噛みグセがあった。
人間問わず生き物に噛まれた経験のあるものなら知っている事だが、実の所相当に痛い。大の大人が顔を顰めるくらいには。
皮膚に歯が当たる。息遣いが聞こえ、肩を柔く食まれる。筋肉のコリリと軋む音と鈍痛。
いつもは我慢出来た痛みだったが場所が悪かったのか思っていたより傷んだ。反射的に押しのけて痛みにあえぐ。
彼女もやらかしてしまったことをすぐに悟ったのだろうすぐさま大丈夫かと問われ、ごめんなさいと言った。
どうしてだろうか、悪魔にでも取り憑かれていたのか僕はその時返事をしなかったのだ。痛いとはいえ返事ができないほどでは無いし、彼女に肩を明け渡したのは自分だ。正直噛まれるのも悪くないと思ってさえいる。
背を向けてしまった体を戻すこともせず背中から話しかける彼女の声を聞く。丁寧に説明することでもないが情事の最中だ。
ごめんなさい、大丈夫、痛かったよね、お願いだからこっちを向いて欲しい、許して、お願い。そんな言葉はどんどんと涙混じりになって背中に縋り付く暖かさまで感じる始末だ。背中も肩も鈍いとはいえ濡れていくのを感じる中、あろうことか自分はとても、それはとても興奮していることに気づいてしまったのだ。
彼女は当然のことながら情事などどうでも良くなるほどびしょびしょに泣きじゃくっていて、自分の興奮など気狂い以外の何物でもない。
サディスティックな気持ちでは一切なく、泣いている彼女に対して申し訳ない気持ちとともに欲情してしまったのだ。それこそ彼女が自分のために選んだランジェリーをドヤ顔で見せつけてきた時と大差なく。
顔を合わせた途端自分に組みとかれた彼女はヘンテコで複雑な表情をしていた。なんて愛らしいことか。本当に愛らしかったのだ。
彼女には隠したままの劣情の話だ。知られたらきっと怒られるだろう。いやそんなことも無いか、きっと複雑な顔をして羞恥に泣いてしまうのだろう。
言うべきか言わぬべきか、こんな事で悩んでいるような男だ。純愛なんて口が裂けても言えない。分かっていることは、別の女を思い浮かべてもインターネットにあるどんな女も、僕のたった1人の女の泣き顔には敵わないことだ。仮に彼女からいつか別れを告げられ、自分が別の人と付き合ったとてこれがひっくり返る気はしない。
これらのことを誠実と呼んではいいだろうか。
即興の捌け口としてだったが、読めるような代物になっていることを願う。
悪夢でも見ているのだろうか、自分の片手を固く握り締めて目の端を濡らす彼女よ、どうかずっと笑っていてくれ。拙い僕とでは難しいかもしれないが。
短編 Ley @Ley0421
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