32:石ころと人間

 怒りなのか、不安なのか、それとも悲しいのか。

 よくわからない感情が、いつまで経っても渦巻いた。

 夜のお祈りも身が入らない。

 おかしくなりそうだ。たった数日の間に色んなことが起こり過ぎている。


「ねえ、メル。起きてよ。ねえって。ねえ!」


 我慢の限界だった。

 御神体に向かって直接語り掛ける。


「……何だよ」


 荒らげた声はメルを起こすことに成功した。


「ねえメル、わたしどうしたらいいの」


 メルが眠っている間の出来事を簡潔に話す。

 『しろがねの館』に通い始めたことと、婚約話を持ちかけられたこと。

 黙っていたほうがいいと思っていた。でも、もう耐えられない。


「後継者選びとか、婚約とか……よくわからないよ」


 流石に自分は聖女に相応しくないのではないか、とまでは言えなかったけど、とにかく不安でいっぱいいっぱいだと伝えた。

 なのに――。


「いいんじゃないか、そんなに難しく考えなくても」

「え……」


 メルは、軽い調子で答えた。

 あくびをしてから、更に続ける。


「言われた通り婚約すればいい。それで聖女をやめて、幸せになれよ」

「何を……言ってるの……?」

「だから、結婚して家庭を作れって言ってるんだ。自分の子供は可愛いらしいぞ。ああそうそう、後継者なんだが、できれば可愛い奴にしてくれ。お前に似てる奴がいたら、そいつが――」

「嫌だ!」


 涙で視界が滲んだ。

 なんで……なんでそんなことを言うの。


「嫌だよ……聖女をやめるのも、婚約も……全部、嫌」

「セレーン……泣くなよ。今までずっとそうやってきたんだ。聖女はみんな、務めを終えたら結婚して幸せに……」

「今までの聖女なんて関係ないよ! わたしはメルが好きなんだから、他の人と結婚なんて――」


 言ってから、はっとした。勢いで告白してしまった。

 ほんの少しだけ後悔、けれども言おうと思って言いそびれていたことだ。

 この際だから、ちゃんと言おう。


「好きなんだよ、メルが。そのためにずっと頑張ってきたの。だから今更聖女をやめるなんて考えられない……」


 聖女に相応しくないとか、わたしは普通じゃないとか、そんなことはどうでもよかった。

 ただメルが好き。メルのそばにいられたらいい。

 それで十分だった。


 長い沈黙が走る。

 メルは何も言わないし、わたしもこれ以上の言葉が見つからない。

 だんだん……恥ずかしくなってきた。


「セレーン……」


 と、メルが口を開いた。

 わたしは期待した。メルがわたしを受け入れてくれることに。


「気持ちはありがたいが、俺はただの石ころで、お前は人間だ。やめとけよ、石ころの相手なんか」


 けれどもメルの声は冷たく、わたしの思いを受け入れるどころか、突っぱねた。

 わたしは……どうしたらいいのか、わからなくなった。

 今まで何のために頑張ってきたんだろう。

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