20:聖女の知らないところで
夜の『御神体の間』は暗闇に包まれる。
光もなければ音もない。殻にこもるには最高の環境だったが、扉がゆっくりと開き、松明に照らされた。
「メルエンテ様」
加えて名を呼ばれれば、否が応でも現実に引き戻される。
「夜分遅くに失礼いたします」
「お前……ニコル・フレンチェルか」
珍しい客だった。奴は神殿警護隊隊長でありながら、『御神体の間』に立ち入る必要のある仕事は全て副隊長に丸投げしている。
それくらい俺に会うことを避けている奴が自ら出向く理由は一つしか考えられなかった。
「あなたでしょう、セレーンを助けたという『メルティエ』は」
やはりこいつは気付く。
俺の姿を知る者はいないが、ニコルだけは例外だった。奴は俺の姿を知っている。
「なぜそのようなことを?」
「そんなの、セレーンに会議から外れるように言ったお前ならわかるだろ」
神殿警護隊は、俺が盗まれた初日には犯人を突き止めていた。
流石に潜伏先まではわからなかったようだが。
「事件発生直後だけじゃない、先日の会議もだ」
隠し事をするために神殿警護隊と神官だけで先に会議を始め、セレーンには後から来させた。
時間通りに来たはずなのに、とセレーンが戸惑っていたことを指摘してやると、ニコルは苦笑した。
「今回の事件、十三年前の怨恨が原因であることは明らかでしたから。ただ……」
「セレーンに怒りの矛先が向いたのは想定外か?」
「お恥ずかしながら。デゼラの供述を聞いたときは腰が抜けるかと思いましたよ。あの話をセレーンに聞かせるわけにはいきません」
「それで、お前の用件は何だ? 愚痴をこぼしに来たわけじゃないだろ」
「実は……今回の事件を受け、セレーンを聖女の座から退かせようと考えております」
御神体を取り戻した功績が記憶に新しい今なら、セレーンは聖女の座を退いたあとでもそれなりに裕福で平和な暮らしが望めますと、そうニコルは語った。
「彼女はこの十三年間、辛い境遇に置かれたにもかかわらず良く耐えてきました。これ以上煙たく思われる必要はないのです。神官らともそのように話をまとめております。メルエンテ様には聖女交代およびセレーンの婚約の許可を賜りたく存じます」
――メルにまだ好きって言ってないから。
『メルティエ』に向かって、セレーンはそう言い放った。
その言葉に嘘偽りなければ、あいつは俺に恋心を抱いている。
聖女をやめろと言われて、セレーンが大人しく引き下がるとは思えないが……しかし。
このまま聖女を続けたとして、何になる。
ずっと疎まれ、蔑まれ、死を望まれて、挙句の果てには殺されかけた。いわれのない罪を被せられて。
今後、デゼラのようなことを仕出かす奴が現れないとも限らない。セレーンの幸せを思えば、答えは一つ。
「許そう。準備が整い次第、セレーンを聖女の座から降ろせ」
「ご承諾いただき、まことにありがとうございます」
「ただし、彼女には必ず最良の縁談を用意しろ。捨て子だからなどというつまらん理由で出し惜しみすれば容赦しない」
「畏まりました。――それでは下がらせていただきます。夜分遅くに失礼いたしました」
セレーンに神殿などという物騒極まりない場所は相応しくない。
安全なところで平和に生きるのが一番いい。それが幸せというものだ。
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