19:由々しき事態
昼を過ぎると、わたしは部屋でお茶をする。
猫足のソファは赤い布地のクッションが柔らかく、体を預けると寝入ってしまいそうだ。
同じく猫足のテーブルには紅茶と焼き菓子が並んでいる。
心地の良い家具と、かぐわしい紅茶の匂い、甘いお菓子は午前中に溜まった疲れを癒してくれる、そのはずだった。
今日はソファにもたれてもお茶を飲んでもお菓子をかじっても、ちっとも癒されない。会議終了後に信じられない話を聞いたからだ。
あの日、ニコルはわたしの脱走に気付くなり、すぐさま兵を動かして後を追ったらしい。
北の洞窟にたどり着いた頃には全てが終わっていた。
御神体と、手足を縛られた状態で気を失っているデゼラ、そして爆睡しているわたし。
あとはデゼラが使っていたと思しき野営道具が無造作に置いてあっただけで、それ以外は何もなかったと言う。
「嘘……」
呆然とするわたしに、ニコルは「おかしいと思ったんだ」と続ける。
「デゼラの腹に大きな痣があった。内臓は損傷し、右腕は複雑骨折……お前がやったにしては随分な重傷だった。協力者がいたんだな?」
「うん……」
「由々しき事態だぞこれは。早急にメルティエを捕らえなければ」
「で、でも、メルティエはわたしを助けてくれたんだよ。わたしの首を見て。大したことない怪我だけど、これはデゼラに喉を裂かれそうになってできた傷なの。メルティエが来なかったらわたしは今頃こんなに喋れてない」
「だが神殿警護隊の制服を盗み出し、お前に近付いた奴だ。何を考えてそんなことをしたのかさっぱりわからん。直ちにそいつの特徴を言え。見つけ出して尋問してやる」
「言うけど……」
神殿警護隊じゃなかったメルティエの正体を、わたしも知りたい。
ニコルにメルティエがどんな姿だったか教えれば見つかるのはすぐだ。
けどメルティエはわたしを助けてくれた。捕まって罪に問われました、なんて目に遭わせたくない。
「いきなり牢屋に入れたりしないって約束してくれる?」
「セレーン……それは」
「確かにメルティエは制服を盗んだかもしれない。でも、聖女を命の危機から救った人でもあるってこと、忘れないで」
「……そうだな、英雄だ。覚えておこう」
メルティエは中背で、透けるような金髪。何よりも特徴的なのは虹色の瞳だと説明すると……。
「…………」
またしてもニコルはうろたえた。と、いうか驚きのあまり口を開けてあんぐりとしている。
やっぱり、虹色の瞳って珍しいんだ。びっくりもするか。
「セレーン、協力感謝する」
「約束ちゃんと守ってね」
「ああ。その代わりお前も私と約束してくれるか。メルティエのことは内密に、他の誰にも言わないでくれ。神官方にもだ」
神殿警護隊の服が盗まれたなんて知ったら、セルゲイは口うるさそうだ。
あの人はニコルにもたまに口うるさく言っている。
小言を言われたら可哀想だと思い、わたしは「誰にも何も言わない」と約束した。
ひとまずは秘密の会話を終えて、家に帰った。
どっと疲れが押し寄せる。
メルティエ、あなたはいったい何者なの? どうして神殿警護隊だって嘘ついたの。
今、どこにいるの?
〈残念だったな。当てがなくなって〉
メルが話しかけてきた。
〈事件は終わったんだ。追求しようなんて思わないことだな〉
わたしの考えなどお見通しのようだ。呆れたような声をしている。
悔しいけど、メルの言う通り、メルティエがいないのであればデゼラに会いに行くのは無理だった。
今度こそ大人しくしてるしかないだろう。でも、それはそれだ。
〈ねえメル。メルならメルティエの居場所、わかるんじゃないの?〉
メルティエはメルを捜すのを手伝ってくれた人だ。命だって救われた。
そのお礼をまだ、言っていない。
〈メルティエを捜して。彼にお礼が言いたいの〉
〈そんなの神殿警護隊に頼めよ〉
〈メルが捜したほうが早いでしょ。お願い〉
〈……あのなセレーン、聖女は神の力を自分のためだけに使ってはいけないって、そう教わっただろ? 教えを守れよ〉
〈メルはいつだってそんなのお構いなしにわたしを助けてくれたじゃない。今回も手を貸してよ〉
〈駄目なものは駄目だ〉
〈何で〉
〈これ以上余計なことをするな!〉
初めてだった。メルに怒鳴られたのは。
わたしは驚きのあまり、返す言葉が出てこなかった。
〈……事件は終わったんだ。それでいいだろ〉
そう言って、メルは話を切り上げた。
何か……異様だ。
メルも、ニコルも、セルゲイも。みんなみんな、何かがおかしい。何なの……?
違和感を覚えはしても、その違和感が何なのかまではわからなかった。
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