15:死への恐怖、生への安堵
「あっ……!」
地面の出っ張った部分に踵を引っかけてしまい、わたしは尻餅をついた。
転んだ衝撃は骨まで伝わり、痛みのあまり動けなくなる。
それでもデゼラは問答無用でじりじりと詰め寄ってくる。
もう限界だ、逃げられない。
わたしは御神体をちらりと見やる。
メルだけなら救い出せるかもしれない。
デゼラはわたしを聖女に選んだ神さえも憎んでいる。そこがセルゲイとは違うところだ。
けどどれだけ憎んだところで相手は神。いくらデゼラでも、殺すなんて恐れ多いに違いなかった。
「提案があるの、聞いてくれない?」
デゼラの歩みがぴたりと止まる。
「あなたはわたしが憎いんでしょう。だったら煮るなり焼くなり、好きにしていい。でも御神体だけは……メルエンテだけは見逃して」
御神体を神殿に戻して。わたしを殺すのはそのあとにしてほしいと、そう懇願する。
御神体を盗んだのはきっと、わたしをここへおびき出すためなのだろう。
つまるところ、メルは巻き込まれただけだ。いつまでもこんなところにいさせるわけにはいかない。
「それもそうだな。神様は綺麗な神殿にいるべきだ。ここは聖女様に免じて見逃して……なんて、言うわけないだろ!」
提案を聞き入れてくれると、そう思ったのに違った。
デゼラはナイフを振り上げた。
わたしは刺されまいと、目前に迫るデゼラの腕を掴み、押し返そうと踏ん張った。
「誰がお前の願いなんか聞き入れるかよ」
「あっ……!」
力で勝てるはずもなかった。
倒れ込んだわたしの首に、デゼラが馬乗りになってナイフを押し付ける。
首の皮がじわじわと裂ける。
首を伝う血はほんのわずか、けれども死への恐怖を感じるには十分だった。
「抵抗するんじゃねぇよ!」
「いや……いやだ……」
「ここで死ぬべきなんだよお前は! 十三年前、聖女の力を奪って人々を不幸にした罪人がのうのうと生きてちゃいけねぇ! 殺してやる、神もろともな!」
酸欠なのか、血を流しすぎたのか、意識が遠のいていく。
このまま抵抗らしい抵抗もできなくなって、やがて喉を裂かれ、わたしは死ぬのだろう。
今になってわかった。メルがどうして関わるな、なんて言ったのか。
こうなるって知ってたんだ。だから……。
理解したところで、もう遅い。
死を覚悟した。途端に世界がゆっくりになる。
腕は脱力し、地面に落っこちた。
デゼラがより力をこめてわたしの首にナイフを宛がう。
あと少し。あと少しで死ぬ。嫌だ。怖い。死にたくない。メル――。
意識がなくなる寸前のことだった。
突如としてデゼラがわたしから離れ、塞がれていた気管が解放される。
瞬く間に肺に流れ込む大量の酸素にむせ返った。
「ぐ、あぁぁぁ……!」
少し離れたところで、デゼラが右腕を押さえてもだえ苦しんでいる。
「てめぇ、何者だ!」
デゼラは痛みと怒りで目を吊り上がらせた。その目が向けられているのはわたしではない。
じゃあ、誰?
デゼラの視線を追う。青いマントに白い詰襟を着た虹色の瞳の青年――メルティエがいた。
メルティエはデゼラの質問に答えることなく走り出し、デゼラの腹に飛び蹴りを入れた。
デゼラから体が砕けるような音がした。
蹴られたのはさっきまで自分を殺そうとしていた人物だというのに、痛そうだな、と他人事のように思った。
悲鳴を上げる暇もなく気絶したデゼラをメルティエが拘束する。その光景をぼんやりと眺めていた。
我に返ったのは、メルティエに声をかけられてからだ。
「セレーン」
「メル……ティエ……?」
「起き上がれるか? ――おっと」
差し伸べられた手を借りて上体を起こすもすぐにふらついたけど、メルティエが受け止めてくれる。
「ごめんなさい……すぐ起きるから……」
「……いいって。少し休んでろよ。疲れただろ」
「でも……」
やっと御神体と、御神体を盗んだ犯人が見つかったんだ。
やらなきゃいけないことは山積みだ。御神体は神殿に戻したいし、デゼラは中央の町の牢屋に入れておきたい。
休んでいる場合じゃないのに、体はメルティエにもたれかかったまま、言うことを聞かない。
「すぐに応援が来るから」
「そうなの?」
「ああ。だから安心しろ。後始末は任せておけ」
「じゃあ、少しだけ……」
それならば、とわたしはメルティエに甘えることにした。
彼は……わたしを追いかけてきた。そして助けてくれた。神殿警護隊に相応しくないと思ったけど……逆だ。まるで鑑のような人だった。
密着するとメルティエの鼓動がよく聞こえる。
つられて自分の心臓の動きまでわかった。どくどくと波打っている。
生きてる。わたしは今、生きてる。
御神体も無事だ。傷一つない。
かつてないほどの緊張から解き放たれたからか、強烈な眠気に襲われた。上瞼と下瞼がくっつきそうになる。
不思議……。
メルティエの前なのに。嫌な奴だと思っていたのに、メルティエの腕の中はなぜだかすごく安心する。
「よし、よし。もう大丈夫だ」
わたしを寝かしつける声がメルによく似ていた。
甘くて、優しい、いつでもわたしを励ましてくれた、メルの声に。
御神体が見つかったとなればニコルも出向くだろう。そうしたらわたしの出る幕はない。あとのことは神殿警護隊に任せよう。
わたしは欲望のままに目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます