10:懐かしい夢
わたしは物心ついたときから、歌も踊りもできない聖女として他人に蔑まれ、疎まれていた。
普通は聖女になる前に歌も踊りも修行して、覚えた者だけが聖女に選ばれるのだけど、わたしはどういうわけか、覚えるどころか修行する前に聖女に選ばれた。
なぜかはわからない。
わからないまま、歌と踊りを覚えるよう強要された。
ニコルを怒らせた罰として地下の部屋に閉じ込められ、やっと解放された翌日のことだった。
この方が歌と踊りを教えてくださる方だ、と紹介された女の人は、初対面だというのにわたしを睨むような目をしていて恐ろしかった。
「今日からあなたには歌と踊りを覚えてもらいます。聖女としてできて当然のことです、死ぬ気で励むように」
「よろしくおねがいします……」
「声が小さい!」
「よ、よろしくおねがいします!」
師匠の修行は厳しい。歌えば叱責が飛ぶ。
「音程が違う! いつになったら覚えるの!」
踊れば叱責が飛ぶ。
「腕が下がってる! もっと高く上げて!」
怒られると体が萎縮して、わたしは変な声とおかしな動きを披露する羽目になった。
すると余計に師匠が怒って、また体が萎縮する。その繰り返しだった。
こんなことやりたくない。やっても意味がない。
なんて嘆いた日には激しく怒られた。
「何甘えたこと言ってるの?! あなただけしかいないのよ、歌も踊りもできない聖女なんて! 恥を知りなさい!」
そんなことを言われても、わたしが聖女であることに変わりはなかったから、理不尽な思いが募るばかりだった。
耐えられず泣くと、また叱られる。
「何を泣いているの! さあ立って!」
「でも……もう眠る時間……」
「寝る間も惜しんで練習するのよ! 早く立ちなさい!」
毎日が辛かった。
それでも修行を投げ出さずにいられたのは、ひとえにメルのおかげだ。
練習を終え、泣いているわたしにメルは励ましの言葉をかけてくれた。
〈そんなに泣いてどうしたんだ〉
頭の中に響くメルの声は優しくて、わたしは声を上げてわんわん泣いた。
ひとしきり泣きじゃくってから、理由を話した。
〈もう嫌なの。歌も踊りも全然上手くならない〉
〈そうなのか? ちょっとやって見せてくれよ〉
歌を聞かせ、踊って見せると、メルは大層喜んだ。
〈上手いじゃないか〉
褒められた! 嬉しく思うのと同時に、耳の奥で師匠の叱責が聞こえる。――こんなんじゃ上達したとは言えないわよ。
〈でも、師匠は下手だって〉
〈手厳しいんだな師匠ってのは。よし、ちょっとした天罰を食らわせてやるか〉
〈天罰……?〉
〈師匠の足元に果物の皮を落としたり、頭上に雨雲を湧かせるんだ。きっと痛い目見るぞ〉
〈あはは。でもいくらなんでも師匠が可哀想だよ〉
メルに喜ばれたからか、それともたちの悪い冗談が面白かったからか、わたしはすっかり泣き止んで笑顔を取り戻していた。
*
懐かしい夢を見た。甘く、優しい、幸せな夢。
けれども現実は無情で、目を覚ましたわたしの視界に映ったのは、申し訳程度に朝日の差し込んだ薄暗い地下室だった。
辛い現実から目を背けるように、わたしは夢の続きを思い出す。
あのときのメルとのやりとりは、わたしの人生を大きく変えた。
歌も踊りも、神様に捧げるためにあると師匠は言った。
その神様はわたしの下手くそな歌と踊りでこんなにも喜んでいる。
ならばどれだけ師匠に怒られたところで、気にしないのが一番いいんじゃないかと思った。メルが喜んでいるのだから、それでいいのだ。
以来、わたしはどれだけ師匠に怒られてもめげなくなった。
怒声を気にせずにいられると体の動きも良くなって、見る見るうちに上達する。
師匠は渋々といった様子ではあったものの、最終的に歌も踊りもマスターしたことを認めてくれた。
歌と踊りをマスターしたところで周囲の風当たりが弱まることはなかった。
わたしが蔑まれ、疎まれている理由は歌と踊りができないことだけではなかったから。
ショックを受けはしたものの、泣きじゃくるほど落ち込むことはなかった。
誰かに嫌味を言われても、辛く当たられても、メルが励ましてくれる。だから強くいられた。
そのメルが、いない。
まだ何も伝えていないのに。
現実を見る。
メルを捜さなきゃ。見限られたとしても、わたしはメルを見つけたい。
その前にどうにかしてここを出ないと。
小さな換気窓が目に留まった。
すごく小さい……けど、頑張れば通り抜けられそうだ。
部屋の中にはベッドとテーブルがある。窓の下に重ねて置けば窓に手が届くかもしれない。
いそいそと家具を動かし、よじ登る。
思った通り、窓は無理矢理通り抜けられそうな幅だった。
幸い、外に見張りはいない。出るなら今だ。
わたしは窓を通り抜け、地下室から脱走した。
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