7:取引
朝日が昇る中、わたしは『御神体の間』で祈りの舞いを行う。
刈り揃えられた草を踏みしめながら、寂しく思った。
相変わらず御神体の間の中央は空っぽだった。
メルはまだ、帰ってきていない。どこにいるのかもわからない。
でもきっと大丈夫。わたしが必ずメルを救い出すのだから。
舞いを終え、本来なら御神体のある場所に向かってお辞儀をした。
これから急いで家に戻って着替えて、庭師の元を訊ねる。それが今日の予定だ。
「きゃあ!」
御神体の間を出ようとして驚いた。扉の前に虹色の瞳の青年がいたから。
「おはようございます、聖女様」
「あ、あなた、ここで何を?!」
「何って、挨拶しに来たんですよ。今日から神殿警護隊ですので」
「そうじゃなくて!」
この青年は、いったい何を考えているんだろう。
「ここがどこだかわかってる?! 『御神体の間』だよ?!」
御神体の間に入ることができるのは聖女と神官、それから一部の神殿警護隊だけ。その中に新入りの隊員は含まれない。
「新人は入っちゃいけないの!」
「あー……そうだったか?」
信じられない。青年は呑気に頬をぽりぽりと掻いている。
「早く出て!」
わたしは青年の背を押しながら御神体の間を出た。
出てからは、青年の腕を引っ張って歩く。
「ちょ、聖女様、痛い! 離せ!」
「離すもんですか! あなたなんかニコルに突き出してやるんだから!」
「待てそれだけは勘弁してくれ」
「待たない! さあ、歩いて!」
「離してくれないと、聖女様の秘密をうっかり漏らすかも」
言われてわたしは足を止めた。
青年は周囲に聞こえないよう、耳元でこそっと囁く。
「場所を変えよう」
*
わたしの秘密といえば、昨日誰にも知らせずに町を歩き回っていたことだ。
理由もなく彷徨っていたわけじゃない。メルを捜すためにやった。
これをニコルに知られるとまずい。関わるなと言われたことに関わっているわけだから、知ったらニコルはかんかんに怒るだろう。
ニコルは怒るとすごく怖い。
いつだったか、罰としてしばらくの間、家から一歩も出してもらえなかったことがある。何をしてそんなに怒られたのかは覚えてないけど……。
とにかく、怒らせたら厄介だ。今、家に閉じ込められるわけにはいかない。
そんなわけで、わたしは口封じのために虹色の瞳の青年を家に招き入れ、紅茶と菓子をご馳走した。
「あなたが『御神体の間』に立ち入ったことは特別に見逃してあげます。神もわたしに免じて許してくださるでしょう」
「んー……」
この人は……自分がやったことの重大さがわかっていないのだろうか。
どこ吹く風と菓子を摘まんで口に運び、「うまい」と呟いている。
「だから、あなたもわたしの秘密を言いふらそうなんて考えるのはおやめなさい」
「言いふらさないから教えてくれ。聖女様はなぜ一人で町を歩いていたんだ」
普通は護衛をつけるもんだろう、と青年は言う。
つけるわけにはいかなかった。全部全部、ニコルに知られないようこっそり動く必要があったから。
「あなたも知ってると思うけど、御神体が盗まれたでしょ? 神様は現在どこにいるのかもわからない。それで――」
わたしは御神体捜しに協力させてもらえないこと、一人で御神体を盗んだ犯人を追っていることを簡潔に説明した。
「わからねぇな……」
「だから、ニコルに知られると面倒だから……」
「そうじゃない。なぜ聖女様がわざわざ捜しに出るんだ。こういうのは神殿警護隊に任せておくのが最善だろ」
青年の言うことはもっともだ。けどそれじゃあ駄目なのだ。
メルはどこにいるのか。無事なのか。どうして捜すな、なんて言うのか。
それがわからないまま大人しくしているなんてできない。
「わたしが行かなきゃ駄目なの。他の誰でもないわたしが」
「…………」
青年は微妙な顔を浮かべた。説明になってなかったのかもしれない。けどまあいい。
「というわけだから、このこと絶対に誰にも言わないでね。わたしもあなたが『御神体の間』に入ったこと、黙っておくから」
「今日も町に出るのか?」
「うん」
今日は庭師に当たってみるつもりだけど、その前にまずニコルの執務室だ。
庭師がどこに住んでいるのかはわからない。でも神殿の花壇も手入れしているような人だ。ニコルの執務室に庭師に関する情報があるはずだった。
「俺も行く」
「え、いいよそんな。それより仕事に戻ったら? 初日でしょ」
「忘れたのか? 神殿警護隊は聖女を守ることも仕事だ。連れて行って損はない」
「そうかもしれないけど……」
この青年、いまいち信用に欠ける。
一緒に行動したくないということ、どうやって伝えようか……。
まごついていると、青年は「嫌だと言ったら秘密を漏らす」なんて脅してきた。
「約束が違うじゃない。そんなことしたら、あなたが『御神体の間』に入ったってニコルに知られちゃうよ」
「構わない」
「本気?」
不遜というか、自信満々というか。
許可されてない人間が『御神体の間』に入ったなんて知られたら、大勢の人からひどく非難されるのに。
この青年は怖れというものがない。こんな人に会うのは初めてだった。
「本気だ。で、どうするんだ。俺を連れて行って秘密を守るか、連れて行かないでニコルに秘密を知られて面倒な目に遭うか」
「秘密を守るわ。あなたを連れて行く」
メルを捜すためだ。ここは青年の言うとおりにしよう。
「じゃ、そういうことで」
「ところで、あなたの名前は?」
今日になれば青年の名前を知れると思ったのに、結局自己紹介の一つもされていなかった。
青年は少しの間わたしをじっと見つめて、名乗った。
「メルエンテ」
「えっ」
「に、あやかってつけられた、メルティエって名前だ」
びっくりした……。
まさかメルと同じ名前だなんて。この世界でそんなこと絶対にありえない。
でもあやかった名前なら珍しくはなかった。
「よろしく、メルティエ。さあ、わたしについてきて」
庭師を辿れば、きっとメルをさらった犯人にたどり着くはずだった。
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