6:虹色の瞳の青年

 激痛が訪れるときを覚悟した。

 けれど待てども待てども体は地面に叩きつけられない。


「大丈夫ですか?」


 痛みの代わりに優しい声が頭上から降ってきた。

 恐る恐る目を開ける。

 階段を下り切ったところで、わたしは見知らぬ青年の腕の中にすっぽり収まっていた。

 ぎょっとした。

 慌てて青年から離れる。


「ご、ごめんなさい!」

「いえ……それより、怪我はない?」


 言われてようやく状況を飲み込む。わたしは階段から落ちたところを青年に助けられた。


「平気です。助けてくれてありがとうございました」


 軽く頭を下げつつ、青年をちらりと盗み見た。

 美しい金糸の髪に、虹を閉じ込めたような瞳。

 欠点が何一つない端正な顔はまるで作り物みたいだ。

 青いマントと白い詰襟がよく似合って……って、神殿警護隊の人じゃない。

 でも見たことない顔だ。


「あなた……新人さん?」

「え」青年は長い睫毛を瞬かせた。

「初めて会うよね。明日から神殿警護隊なの?」


 新しく神殿警護隊に入隊した兵士は聖女の元へ必ず挨拶に来るから、知らないなんてことはないはずだった。


「ええ、まあ、そんなところです」

「やっぱり!」


 わたしは神殿警護隊にどこか一線引かれている。

 神殿に携わる者同士、仲良くなりたいのになれない。

 だから新人が来るたび、つい期待してしまう。この人とならそれなりに親しくなれるんじゃないかって。

 期待は虚しく、結局は誰とも仲良くなれないんだけど……この青年は違う。絶対仲良くなれる。根拠はないけれど、そう感じた。


 と、舞い上がってしまったけど今はそんな場合じゃなかった。

 わたしは居住まいを正し、改めて青年にお礼を言った。


「助けてくれて本当にありがとう。それじゃ、また明日」

「待って」


 背を向けたところで、青年に呼び止められた。

 振り返ると、妙に妖しく光る虹色の瞳と目が合った。


「聖女様、今日はどちらに行かれていらしたんですか」

「え」


 今度はわたしが瞬きをする番だった。


「えっと、散歩だよ、散歩」


 今日のことがニコルに伝わったら面倒だ。わたしは誤魔化す。


「神殿のまわりに花壇があるでしょ? 癒されたくてよく見に行くの」

「そうですか……」

「そうだよ。あなたも今度、見てまわったらいい。すごく綺麗だから」


 青年は無言だった。妙に見つめてくるな、と思っていると……、


「……あまり慣れないことはしないほうがいい」


 途端、顔がかあっと熱くなった。

 見抜かれている。

 この人はわたしが外で何をしていたか、聞くまでもなく知ってるんだ。

 弄ばれてる。最悪な気分だ。


「助けてくれたことは感謝します。でもそれは余計なお世話!」

「町で見かけて心配だったもので」

「……帰ります、さようなら!」


 今度こそわたしはその場を走り去った。



 何なの、何なの、何なのよあの人!

 初対面だっていうのに、いきなりあんなこと……人の心を覗くような真似をして……!


 怒りに任せて家路をどすどす突き進んでいると、鼻孔をくすぐる良い匂いが漂ってきた。

 花壇だ。赤、白、黄、桃、青、紫……綺麗な花たちがたくさん植えられている。

 何て立派なんだろう。花それ自体もさることながら、花の並びも完璧だ。

 赤と白と桃の花壇は可憐だし、青と紫の花壇に差し色として植えられた黄色は太陽のように眩しく、どれも見ていて飽きない。


 少しだけ怒りが和らいできた。

 冷静になったところで思い出す。あの青年の名前を聞いていない。

 しまった、聞いておけばよかった。腹立たしいあの人の名前を二度と忘れまいと記憶しておきたかった。

 ……まあいいか、どうせ明日になればわかるんだから。


 そういえばこの花壇、神殿の近くにある花壇にそっくりだ。あそこにもここと同じように花が植えられていた。

 何だっけ、誰かが手入れしているとかなんとか、聞いたような。

 ――いいですか聖女様。この花壇は庭師が入念な手入れをしているのです。勝手に生えてこうなったのではないことをよく覚えておきなさい。


「あっ」


 思い出した。その庭師に会ったことがある。と言っても挨拶を交わしただけなのだけど。

 たまたまセルゲイと花壇の前で話していたときだった。見知らぬおじいさんに挨拶されて、誰だったかわからなかったから、セルゲイにあのおじいさんは誰かと聞いた。

 それであのお説教に至ったんだ。


 庭師は助手なのか弟子なのか、若い男性を連れていた。

 背が高くて、痩せ細った男性を。


「……!」


 わたしは叫びたくなるのをぐっと堪えた。

 会いに行こう、庭師に。彼なら、背が高くて痩せ細った男性のことを何か知ってるはずだった。

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