第14話 中心地

 それから数週間が過ぎた時、小林が勢いよくドアを開けて帰ってきた。康子と二人で食堂兼居間でぼーっとテレビを見ていた時だ。テレビを通しては霧は見えないようで、その点だけは安心して観ることができる。


「大変なことが起きるかもしれない!」小林の顔は恐怖に怯えており、早口でまくし立てる程の慌てぶりは初めて見るものだった。

「なにがあったんだ?」僕はその慌ただしさに圧倒されながら訊ねた。

「みんながみんな赤くなり始めた!」小林の言葉に、僕も康子も言葉を発することさえ忘れた。三人が『赤』と言う言葉に敏感なのは当然だろうが、小林の言葉の意味を理解しかねていたのだ。いや、認めたくなかったとも言える。


小林は二講義を受けて真っ直ぐに帰ってきたようだが、見た光景のショックは計り知れなかっただろう。『赤くなる』イコール『死』だからだ。

「みんなって?」康子は再確認するかのように声を大にして尋ね返した。

「駅で電車を降りた時、ほぼすべての人が赤くなり始めたんだよ」

「どういうことだ?」

「電車内では普通だった。でも降りたホームを歩き始めた時、徐々に人々の霧が赤くなり始めた」

「行こう」それ以上の言葉は必要がなかった。僕は上着を掴むと二人に言った。


「うん」康子もこれにはすぐに同意した。小林も書籍の入ったカバンを投げるように置くと、そのまま続いた。駅に向かう道では数人しか出会わなかったが、小林の言う通り、ほとんどの人が濃さには差はあるものの、同じように赤い霧を纏っていた。駅前の商店街でも駅の北口でも、一握りの人を除いて、ほぼ全員が赤に変わっていた。


「どういうことなの」康子は道行く人を見つめながら呟いた。

「これだけの人間が一気に死ぬのか?」僕もたまらずに口を開いた。

「そんなことってある?」

「危険な病でも流行るのか?」小林も呆気に取られているようだ。

「いや、大きな地震かも……」僕は少し考えてから答えた。それ以外にこの状況を説明することは不可能に思えたからだ。


「大震災でこれだけ死ぬってことか?」

「それはあり得ないと思う。東京の免振構造は世界有数のはずだし、同じように色が変化してるなら、時間的な差はないはずよ。地震だとしたら、一気に日本が沈没するくらいの規模じゃないとこの現象の説明はつかないと思う」

「じゃ、戦争か?」小林は躊躇いながらも呟いた。その言葉に敏感に反応したのは康子だった。


「とにかく、真っ赤になるまでに、逃げなくちゃ」

「おい、家族はどうする?」と小林は言った。正直、彼が言い出さなければ、僕はそのことに気が付いていなかった。

「忠告しても信じないだろうな」そして家族のことを思い出し呟いた。

「それでも行かなくちゃ」康子の叫びにも似た声に、三人は駅に向かうことにした。そこから僕たち三人は、そのまま電車に乗り込み地元に向かった。


同じ都内にあるとはいえ、地元は東京の西の外れだ。下り電車は昼の時間帯はさほど混雑はしていない。それでも乗った車両にはつり革に掴まる人が数人いるほどの混み具合だった。そんな中僕は、電車が一駅西に進たびに、乗客の霧の色が薄くなることに気が付いた。


「どうやら中心地からは離れていってるみたいだ」僕がそういうと、小林と康子もそれに気が付いたらしく、納得するように頷いた。

「都会のど真ん中か……」

「やはり戦争か?地震ならばこんなにピンポイントにならないだろう」周りに聞かれないようにと小さな声で話すが、静かな車内では怪訝そうな眼を向ける人もいた。

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