第7話 笑う女性

 それを決定付けることになった日も、普段となんら変わりのない日だった。バイト先に向かうため、いつものように電車を待っていた。

辺りには様々な色の霧を纏った人々が見えた。通勤時間とはずれているため、それほどの混雑はないが、ホームは子供から老人まで、幅広い年齢層が電車を待っていた。


『まもなく電車がまいります』そんなアナウンスが流れた時だ。少し離れた場所から、一人の若そうな女性が僕に視線を向けてきた。知り合いではない。この駅で出会った記憶もなく、ましてや同じ学生との認識もなかった。


そんな彼女が、僕に対して笑顔を向けていた。『だれだろう』と考えていた矢先、僕は彼女が真っ赤な霧に包まれていることに気が付いた。そして次の瞬間、彼女は滑り込んできた電車の前に身を投げた。僕に笑みを向けながら、何の躊躇いも見せずに身を投げた。あたりは騒然となったが、僕には一つのことが分かった。


『真っ赤な霧は死の前兆なのだ』と。その事実が分かったことによって、別の問題が提起された。それは『なぜ、僕に見えるのか』である。考えてみれば、先の事故の老人も最後は笑顔であった。今、電車に飛び込んだ彼女も僕に笑顔を向けていた。『なぜだ?』それだけが気になったが、もはや知る由もない。


 電車はしばらく運休になるだろう。そう思って、僕はバスでバイトに行くことにした。この判断をくだす間も、僕は至って冷静であった。目の前で一人の女性が死んだことにも、なんの感情も湧かなかった。そしてバスの中でも色とりどりの霧が視界に捉えられていた。その光景を見ながら僕は思った。


『すべての人はこの霧に包まれ、色によってその人物の寿命、もしくは体調が反映されているのではないか』と。バスの車窓からも道行くたくさんの人物が見える。そしてたくさんの人物を包む色とりどりの霧は、まさに幻想的ともいう光景。さながら『地表に最も近いオーロラ』とでも呼べそうだ。


中には薄いピンクの人もいた。赤に近いと言うことは、体調が優れないのか、或いは死に関わる病に侵されているのか、はたまた見当違いの予想をしているのかは断言できない。言い換えれば、今の僕には真っ赤な霧以外の見当がついてはいない状態だ。それでも、霧のない人物は一人も見当たらなかった。


バイト先には事前に連絡を入れておいた。事情が事情なだけに、遅れてシフトに入ったが店長からのお咎めはなかった。それよりも『大丈夫なのか?』と僕の精神的ショックを心配しているようだった。『大丈夫です』僕は迷わずにそう答えた。


店長の色は薄い青。それが良い兆候なのかどうかは分からないが、他のバイトにも青が居り、元気そうなことからも特に問題はなさそうに見える。

その日、小林は僕よりも二時間遅くシフトに入っていた。ところが、他の従業員には様々な色の霧がかかってるのだが、小林だけはその霧に包まれていなかった。目を凝らしてよく見たが、薄いわけでもなく、完全に霧が見えなかった。


じっと凝視する僕を見て、

「気持ち悪いな、なんだよ。俺に惚れたか?」と小林は笑っていた。僕はその言葉を無視するかのように、

「終わったら飲みに行かないか?」と、皿を下げてきた小林に尋ねた。

「いいよ、どこ行くか?」

「そうだな……」僕は返事に困った。そして出した答えが、

「お前の家でいいや。つまみと酒を買って帰ろう」

「オーケー、じゃ、後でな」小林はそう言ってホールに向かった。


今日の僕は調理補助と皿洗いで、小林はウエイター。いつも通りにバイトをこなし、コンビニに寄ってから小林のアパートに着いた。彼の家は二つ隣の駅から近く、商店街と住宅地の混合地域だった。買い物も楽で僕の家よりは遥かに若者向きだ。

僕のアパートはどちらかといえば住宅地の中で、静かだが商店や飲食店などとは離れており、小林の住処に比べたら不便だとも言える。それが小林のアパートを選んだ理由であり、もう一つの理由としては、他人に聞かれたくない内容でもある。その上、酒の力でも借りなくては話せそうもなかった。

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