第42話 最後の譲渡

 野良猫の一生は、個体差もあるがせいぜい十六年ほど。秀明の生涯を見守り続けるには、何度も生まれ変わりを続ける必要がある。


 猫は、自分が寿命を迎えるたび、どうかこの男の近くに再び生まれ変わらせてほしいと願った。


 少しずつ、少しずつ、着実に消滅へ向かって弱っていく身体から力を絞り出しながら、その度にワシは猫の願いを叶えた。――願いを叶えるたび、小さなヒビを、体に増やしながら。


 ほとんど意識を保つことのできないワシに代わり、猫は自分の意思で秀明を見つめ続けた。夢を見るかの如く、ワシは猫の記憶を通じて、あいつの人生を追った。


 相変わらずお調子者で、不器用で、人のために尽くしているのに報われない。どこか哀愁を帯びた背中を、ワシは心配しながらも追い続けた。


 そして、この男の優しさに気づかない家族に対しての、苛立ちが年を追うごとに増していった。


(なぜ、気づかないのか。秀明なりに、こんなにも家族のために尽くしているのに。ああ、腹立たしい。いっそ捻り潰してやりたい)


 残りの力を使えば、この男の家族の命を捻り潰すことなど容易かっただろう。

だが、そうしなかったのは、どんなに報われなくても――この男にとって、家族は生き甲斐であり、幸せの源であり、なによりも大切な存在だと、わかっていたからだ。


 そしてワシの意識が再び覚醒したのは、この男が最後の幸せの譲渡を行うその日だった。


 物置小屋の如く、沢山の本や写真に囲まれた四畳半の畳敷きの部屋で、秀明は一人、涙に暮れていた。すでに丑三つ時を迎えようという時間、妻の淑恵はすでに眠りについている。


 涙を何度も拭いながらも、秀明は芳名帳に、自分の孫を生かすための最終手段を書き入れようとしていた。

 嗚咽を漏らしながら筆を進めようとする後ろ姿に、聞こえないとわかっていながらも、ワシは叫んだ。


「やめろ、そんなことをしては、お前は死んでしまう。それどころか、この先繋がっていく次の世の生にまで、影響を及ぼすことになるぞ。その道具は神の道具などではない、術者を苦しめる、呪いの道具なのだぞ」


 秀明は動かない。やはり聞こえていないのだろう。だがポツリと、独り言を漏らした。


「あァ……死にたくねえなあ。願わくば、洸太の成長をこの目でもう少しだけ見たかった。……祐也とも、二人で一緒に酒を飲んでみたかった。母さんとも、もっとたくさん旅行に行ってみたかったな」


 涙声でそう呟きながら、ついに秀明は譲渡先を書き入れ終え、筆を置いた。そして誰に聞かせるわけでもない独り言を、ポツリとつぶやいた。


「まぁ、俺はなんとかこの歳まで生きれたことを感謝しねえとなぁ。裕福でもなかったし、たくさん大変なこともあったけど。家族を持てて、俺は幸せだった。――最後に、大好きな孫を救う力を与えてくれた神主さんに、感謝しねえとなぁ」


 ――まさかここで、自分への感謝の言葉が飛び出すとは、思ってもいなかった。


 弟の死をしかたがなかったこととして乗り越え、そのまま呪いの力など使わず、生きていたならば。こんな最期を迎えることはなかった。


 結局は、秀明が打ちのめされる姿を見たくない、という、ワシのその場の感情がもたらした結果なのだ。


(時間が経とうとも、何も学習していないではないか)


 そんな自分に、「家族を救う力を与えてくれて、ありがとう」とは、どこまでお人好しなのだろう。


(このまま、次の人生まで棒に振らせることだけは、阻止しなければ)

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