第22話 歩み寄る
神主の姿が消えた瞬間、街の喧騒や、建物の彩りが目の前に現れた。急に戻ってきた現実世界に、脳が追いついていかない。――だが、不思議と気持ちだけは、冷静さを取り戻していた。
(あれだけ神主さんに啖呵切っちゃったけど、あの人を『不幸の
大体、先程の人が彼の彼女なら、私の入る隙間などそもそもないし、いくらなんでも略奪愛は遠慮願いたい。でも、わざわざ神主が私のところへ来たということは、彼女では救えないということなのだろう。
しかし、今日はなんだかんだ疲れてしまった。いくら前世に経験はあると言えど、十九の自分としては初めてのデートだったのだ。それなりに緊張したし、ドキドキもした。そして舞い上がったところに唐突にやってきた修羅場。ダメ押しの人外の存在との遭遇。疲れないはずがない。
(まずは一旦休息をとって、後日森本さんに電話してみよう。今日は変な別れ方をしてしまったし・・)
そう考えて、私は深くため息をついた後、電車に乗るべく代々木公園駅に足を向けた。
* * * * * *
一旦寝かせて、数日後に、と思っていたのだが。
家に帰って自室のベットに滑り込み、スマホを取り出すと、すでに森本さんからの着信が残っていた。
そしてSMSで、「できたら今晩話したい」という、森本さんらしい、シンプルな用件だけのメッセージが残っている。時計をちらりと見ると、時刻はすでに午後九時。明日早朝から仕事だったとしても、ギリギリ起きている時間だろうか。
しばらく躊躇した後、思い切って電話をしてみることにする。
電話で誰かと話すことは、今の世に生まれ落ちてから物心ついて、ほぼした記憶がない。現代は殆どの場合、メッセージアプリのやり取りで用件が済んでしまう。よほど込み入った話でない限り、声のやり取りをする機会はないのだ。
誰かの息遣いが聞こえる、なんとなく生々しさのある電話という通信手段を使うことは、現代人の自分にとってはとても勇気のいる行為だ。・・しかもそれが、意中の相手とあれば、なおさら。
(彼女らしき女性が現れて、はっきり自覚した。・・私やっぱり、あの人が好きなんだわ)
私が夫と出会ったのは彼が四十代に差し掛かる頃。生気に満ち溢れ、みずみずしく力強い肉体をもった二十代の彼の姿を目にすると、なんだかどぎまぎしてしまう。改めて夫に恋をするという感覚は、不思議で、弾けるような甘酸っぱさがあった。
画面をタップして、彼が電話口に出るのを待つ。すると待ち構えていたのか、ワンコールなりきる前に電話がつながった。
「も・・もしもし? みさきちゃん?」
慌てた様子の森本さんの声が聞こえる。今日会ったばかりなのに、すでに久しぶりな感じがした。
「ちょっと待って。電話代かかっちゃうだろ。こっちからかけ直すから」
そう言って一旦電話が切れた。ぶっきらぼうなようで、こういうところが律儀な森本さんに、少しだけ口元が緩む。
「もしもし? 折り返しくれてありがとな。えっと、今日はその・・・」
「今日、ありがとうございました。逆に色々おごってもらってしまって・・。ただ・・あの・・。あの人、彼女なんですか? ・・その、ちょっと、気になって・・・」
「え? いやいやいや、違うよ。違う。典子はさ、前にうちの会社にいたやつでさ。今は別の、もっと大きい会社で事務員やってるんだよ。ただ・・まあ、色々あってな。たまに相談のってやってんだ」
とりあえず、「彼女ではない」という一言に安堵した。ただ、そのあとに続いた、「色々あってな」が釈然としない。
「いろいろってなんですか」
「まあ、それは・・。個人的なことだからよ、いくらみさきちゃんでも、話せねんだわ」
困ったような声で「ごめんよ」という森本さんに、自分の発言を恥じた。いくらなんでもいきなり突っ込みすぎた。確かに彼女の個人的な事情を、根掘り葉掘り聞く権利は私にはない。
「いえ・・すみません、こちらこそ。帰りも、急に帰っちゃってごめんなさい。でも、本当に今日は楽しかったです。森本さんのことが知れて嬉しかったし」
「いやあ、典子もすげえ失礼な態度とってたしな。こっちこそ、不意打ちだったとは言え、嫌な思いさせちゃってごめんな。俺も今日一日、みさきちゃんと過ごせて楽しかったよ。それでさ・・・」
数刻の間があった後、声を上ずらせながら、森本さんが言った。
「また・・会ってくんねえかな。俺、こんな仕事だし、今の時期日曜しか会えねえけど。それでもよければ、会ってくれると嬉しいんだけどさ・・」
声が若干震えている気もする。きっと、相手も緊張しているのだ。
私は口をキュッと結び、嬉しい気持ちを相手に悟られないよう一拍おいてから、極力平静を装って、彼の言葉に答えた。
「・・はい、よろこんで」
「ほ、ほんと? ああ、よかったあ、絶対ムリ、とか言われたら、俺一生立ち直れないとこだった」
「それは言い過ぎですよ。私も、もっと森本さんと、話がしたいです・・」
電話を隔てて、お互いに笑いがこぼれた。「何笑ってんだよ」と言いながら、森本さんは何度も、小さな声で「よかった」を繰り返していた。
恋の始まりというのは――それが、世を隔てた元夫婦同士であったとしても――やはり楽しいものだ。
何より、夫が再び、私に関心をもってくれたことが、なんだかくすぐったくて、嬉しかった。
(でも、さっきのお茶を濁したような言い方が気になる・・もしかして、あの典子さんて人、『小さな不幸』か『大きな不幸』のどちらかに結びついているんじゃあ・・)
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