第5話 衝突◆
「よし、演目が決まったから、次は配役!」
今日、五回目のクラス全体での話し合いが終わった。
演目は『眠れる森の美女』だ。クラスの皆で、候補にあがった作品を皆で調べて読んで、それから決めた。目立つ登場人物は少ないが、それがかえっていいとなった。聞き込みの結果、台詞ありの役は怖いが、舞台に立ってみたい子や、大道具をこって作りたい子などが多数いたからだ。ナレーションや、演出などを皆でまた工夫すれば、皆が輝ける舞台になるだろう。
担任の福田も、劇のDVDなどをたくさん借りてきてくれたので、自分たちがやる上での想像もしやすかった。
あさきは、ノートを見渡すと、末尾に今日の日付と「演目決定!」と書いて、丸で囲んだ。あさきは書き込まれてふくらんだ「六年三組ノート」の底で、机を軽く叩いた。クラス三十八人分、聞き込みに時間はかかったが、頑張った価値はあると思った。聞き込みを行ったことで、皆のことをたくさん知ることができたからだ。皆、否定でも肯定でも、あさきに対して言葉を向けてきてくれた。
(――ただ、松野たちとはまだ全然打ち解けられてないなあ)
しかし、それらは松野達をのぞいてだった。松野や松野のグループであるところの、畑や椎名、宮野は、あさきに対して一貫して目を合わせてくれなかった。何というか、とりつく島がなかった。
「何か、希望とか、したいこととかある?」
あさきが尋ねても、じっと向こうを向いたままで、
「そもそも、私達のしたかった事じゃないし」
「うん。そういう気持ちとかも聞かせてほしい」
「はあ? あのさ、さっきからうちら勉強してるよね。見えない?」
「仕方ないよ、松野。自分のことばっかりで、気遣えないんだよ」
とずっと意見を出すことを拒否されてしまった。しかし、意見自体はあるようで、何かある度に、松野たちは、「こんなのつまんない。何にも楽しくない」と大きな声で言うのであった。
劇の演目を決定するとき、また松野の希望が通らなかったのも痛かったのかもしれない。松野は「六年生なんだから、子供っぽいものはいやだ」と「リア王」を希望した。しかし、皆で劇を見たり小説を読んだ結果、「難しすぎるし、さすがに時間が足りない」と却下となってしまったのだった。
それで、よけいに松野はクラスの出し物に対して否定的になってしまった。
「こんな子供っぽいつまんない劇で、誰も楽しいはずない」
今日、話し合いが終わったあとも、また大きな声で言っていた。それに対して島が、
「は? うぜーな」
といらついた。あさきは松野たちに歩み寄った。
「松野。不満って事は、松野もいい文化祭にしたいんだよね? だったらさ、いい思い出にする為に、一回ちゃんと話そうよ」
ちゃんと聞くから、と、ノートを掲げてあさきは松野の目を見た。松野は、終始ばかにしたような半笑いだった。それから、すぐにあさきに背を向けて、畑や椎名、宮野と話し始めた。すごく楽しそうな声だった。
まただ。あさきは思った。
文化祭に対して、消極的であったり、出し物に不満があったり、意見を出すのが苦手だったりする生徒は他にもいる。それでも、あさきが尋ねたら、何らかの言葉を返してくれた。
しかし、松野達は違った。文化祭自体には積極的なのに、あさきに対してはそうではなかった。否定の意見さえ、あさきには答えたくない、というのが感じられた。かといって、代わりに先生に尋ねてもらっても、答えとしてはあさきのワンマンさへの不満だけだった。
「松野、言っちゃだめだよ。そしたら絶対『松野さんにも聞きました』って先生に言うんだからさー」
「ポイント稼ぎだよね。こっちのことなんかほんとのとこ、どうでもいいんだよ」
「わかってる。はあ。やることが汚いよね。協調性とか、人の気持ち考えない人は」
「性格腐ってる」
松野はあさきを見ずにしかし、あさきを意識して畑や椎名、宮野と話し、甲高い声で笑った。
「んだ、てめー! 言いたいことあんならはっきり言えよさっきから!」
島があさきの肩をぐっとつかみながら、叫んだ。クラスに響く様な大声で、他の生徒たちもあささと松野を見る。
「こっわ。動物じゃん」
「話できない」
ひそひそと椎名と畑が耳打ちして忍び笑いをする。それに島の顔が紅潮する。
「こそこそしやがって、このまじブス! 性格腐ってんのはてめーらだろーが!」
「そうそう。だいたい、いつあさきが勝手にきめたわけ。全部多数決なんですけどー」
「だいたい、ダセー案しか出さないそっちが悪いじゃん。皆がいやだって言ったんだからね!」
「あー待って待って待って! そういうことは言ったらダメだって」
「んだよあさき! いい子ぶってんじゃねーよ!」
つもりつもった怒りの限界だったようで、島に続いて奥村、真木まで参戦する。言葉がかぶる勢いで、松野たちに攻撃する。あさきはあわてて皆を止めるが、怒りは収まらない。島は、止めたあさきに対しても怒りを向けた。あさきは、島の目を見返した。
「ごめん。島の気持ち、無視したいんじゃないよ」
島は怒りにうるんだ目で、じっとあさきをにらんでいたが、息を整え出した。
「やっぱり本性出した。こっちの意見なんて聞く気ないんじゃん」
するとそこで、椎名が目をむきながら、声を震わせて言った。松野はうなだれて、机に突っ伏すと、
「本当に、言わなくてよかった。こっちが傷つくだけだし」
と言い、背中をふるわせ出した。
「松野、泣かないで」
「松野」
畑と宮野が、松野を囲んで、背中をさすり出す。
「またこれだよ」
真木が、うんざりしたように肩をすくめた。奥村も不満げに顔をしかめる。早愛が、不安そうにあさきの服のすそに触れた。あさきが早愛を安心させるように笑い返す。
また後で話そう。そう決めて、あさきは島の背に手をあてた。島はまだ怒りがさめやらないようだったが、手を払われることはなかった。
「あさきー、何で止めるの」
「あさきも言えばよかったじゃん」
「ごめん。松野と一度、ちゃんと話つけてみたいんだ。ありがとう、怒ってくれて」
あさきは、不満そうな奥村と真木に謝る。三人が怒ったのは自分のためだ。となると心苦しいが、それでもあさきは松野と話し合うことをあきらめたくなかった。
「怒ってはいる?」
奥村が、窺うように尋ねた。
「そりゃ怒ってるよ。島にひどいこと言ってさ」
「そっか」
奥村が、満足したように笑った。ふいに島があさきの首に腕を回してきた。タックルの勢いだったので、あさきの体が島に引っ張られる。
「ぐえ」
「あさき。ごめん」
「私こそごめんね」
島の声は小さかったが、はっきりと聞こえた。あさきは島の腕をぽんぽんと叩いた。
「絶対おもしろい劇にしてやろーぜ」
真木が言った。奥村が「おー」と両の拳を小さくあげる。あさきと島は笑って答えた。
「ちょっといいかな」
それから、松野の涙が引いた頃を見計らって、あさきは松野達を尋ねた。椎名は松野をかばうようににらんだ。松野はそしらぬフリで、英単語帳を見ていた。
「私は松野と、椎名、畑と宮野の話を聞きたいし、皆が楽しい文化祭にしたいと思ってる。だから、力を貸してほしい」
痛いほどの無言だった。畑が「どっかいってよ」と小声であさきをののしった。
そうしてじっと待っていたが、昼休みが終わってしまった。松野達は一斉に立ち上がり、掃除にむかった。
「あー全然集中できなかった」
「ほんと自分勝手だよね。松野、気にしちゃだめだよ」
「他にまず言うことあるよねー」
松野は無言で、視線ひとつよこさなかった。あさきはため息をつき、肩を落とした。まだ話し合うには早かったか、そもそも話し合おうとする方が、悪くなるのかわからない。
一連の出来事を思い返し、あさきは、腕組みをして、考え込んだ。
(うーん。松野の言うことも一理あるんだよなあ)
どんなにいい案がたくさん出してもらっても、最後は多数決で一つに決めなければならない。満場一致なんてないし、皆、何かしら不満が出てしまう。それなのに、意見を出せと言われてもいやになるのもわかる。
(皆が楽しめるって難しいな)
それでも、あきらめたくない。できる限り、皆が楽しんで、やってよかったなと思えるようにしたい。
あさきはノートを引き出しにしまいながら、気合いを入れ直した。
「城田さん、大丈夫?」
皆の意見をもとに、役の選出の仕方を考えていると、担任の福田が声をかけてきた。あさきは顔を上げると答えた。福田は、クラス分の習字の半紙をわきに抱えている。
「はい、先生」
「ずっと、頑張ってくれてるわよね。ありがとう。でも、あんまり無理しちゃダメよ」
「ありがとうございます! 皆、助けてくれるから大丈夫です」
あさきが隣の早愛に「ね」と言い、にこにことしていると、福田は優しく微笑んで、
「そう。何かあったら。いつでも先生を頼ってね」
と、一声かけて、去っていった。福田の気遣いがうれしかった。あさきは笑顔のまま福田を見送ると、また、ノートに向かった。
クラスはざわざわとしている。あさきは、クラスを見渡した。皆、思い思いの事をしている。あるグループは勉強をし、またあるグループはおしゃべりに花を咲かせている。
「あさきー」
荷物をロッカーにしまっていた島が、振り返って手招きしてきた。あさきは立ち上がり、島の元へ向かった。早愛が後に続く。
「どうした、島ー」
「やばい。パンが出てきた」
そう言って差し出してきたパンは、明らかに年季が入っていた。あさきはそれをおっかなびっくり受け取ると、袋をつまんで掲げた。
「うわっいつの?」
「わかんね。食べる?」
「食べるか!」
あさきの答えに島がけらけらと笑う。トイレから帰ってきた奥村と真木が寄ってきた。
「何してんの」
「パン出てきた」
「げっ、無理無理。やだあさき、近づかないで」
「ひどくない」
「どうすんのそれ」
皆で騒いでいると、「うるさいなあ」と言う声が聞こえた。
「皆の教室なんだけど。自分の家の感覚?」
「ていうか、食べ物粗末にして、笑える神経がわかんない」
「ほんとそれ」
松野達だった。ごもっともの意見だった。皆黙ったが、やはり気に入らないので、島や奥村、真木は顔をしかめた。早愛があさきの腕を強く握る。
「行こう。ごめんなさいしてこよう」
「わかった」
あさきがうながすと、島はゴミ箱へ向かった。怒り任せに歩いていくので、がたがたと机にぶつかった。あさきは周囲に謝りつつ、机を直しながら、進んだ。
「あいつらほんとむかつく」
パンを捨てたゴミ箱の中を、にらみつけながら、島はそう言った。あさきは島の背を抱いた。島は怒りのやり場がないようで、ずっと大きく息をついていた。
「島さん、どうしたの」
「先生」
教室の後ろの壁に、習字の掲示をしていた福田が、あさき達に気づいて、椅子の上から声をかけてきた。皆一様に福田を見る。福田のハーフアップのやわらかな髪が揺れ、丸いめがね越しに、穏やかな二重の目が島をのぞいた。
「パンが、出てきて」
「あら、もったいない。だめよ」
「そうなんですけど」
島はそこで黙ってしまった。福田は、じっと島を見ていた。福田は、やさしさに満ちた空気を持っている。島は怒り続けるのが、難しくなっていた。あさきは、互いの顔を交互に見ていた。すると、ふと福田の後ろにいる碓井と目があった。碓井は福田と同じく、生徒たちの習字の半紙を抱えていた。
「松野さんたちに怒られたんです」
「うん」
「それで、ムカついてたんですけど。もういいです」
「そう」
福田は、島を見て微笑んだ。島は、福田を見て、笑い返した。すっきりした笑顔だった。奥村と真木が安堵しているのを感じた。あさきも二人と同じく、安堵した。
「これからは気を付けようね」
「はい。気を付けます」
島の元気のいい返事に、福田がうなずく。島は照れくさいのを隠すように
「先生、うちらも手伝う」
と、福田の持っている半紙に手を差し出した。あさき達も否やはなかった。それぞれ椅子を持ち出したり、半紙をわけてもらったりと動き出す。あさきは、碓井に近づくと、
「碓井さん。私もやるよ」
と手を差し出した。碓井は手に持っていた半紙をわけて、あさきに差し出した。
「ありがとう」
「こっちこそ。碓井さん、えらいね」
「ううん。ひまだったの」
おっとりとした声で言うのが、何となくおかしくて笑うと、碓井は少しきょとんとしたが、はにかんだ。
「さっきは大丈夫?」
「うん? ――ああ、平気!」
半紙を掲示用のシートに入れ込みながら、碓井が遠慮がちに尋ねてきた。あさきもまた、同じ作業をしながら答えた。
「よかった」
「ありがとね。あれ、何かここぶらぶらするなあ――あ、画鋲がない。早愛、下に画鋲落ちてない?」
「えっと」
あさきは椅子から降りると、早愛と床を歩いて画鋲が落ちていないか探す。碓井はシートの安定の悪い部分を押さえながら、上から探した。
しばらく教室の後ろをうろうろしていると、後ろの列の席の生徒が声をかけてきた。
「城田、何してんの」
「画鋲探してる」
「画鋲?」
「うん、ほら、あの習字とめてたやつ。落ちてない?」
「どうかな」
あさきの動きにつられるように、田中や秋田など、近くにいた生徒たちも、皆周りを見渡し始める。
「あれ? おまえ踏んでね。うわばきの裏、ピカッてした」
「ま? うわ、ほんとだ」
秋田に指されて、足の裏を見た久岡がぎょっとする。上履きの裏のゴム地に、丸い金色が輝いていた。
「気付けよー」
探していた生徒たちが笑う。久岡は照れくさそうに笑いながら、上履きを脱ぐと、画鋲を抜いた。
「はい」
「久岡君、ありがと。皆も探してくれてありがとう! 画鋲見つかったよ!」
あさきは画鋲を受け取ると、探してくれていた皆に声をかけた。椅子にのぼって、碓井の示したところへ画鋲を刺した。
「うん、完璧」
「そうだね」
満足げなあさきに、碓井が笑った。どこかのツボに入ってしまったのか、ずっと口元をおさえて笑っている。あさきは、不思議だったが、碓井が笑っているのを見るとなんだか少し安堵した。
「あさきー、秋田の持ってない?」
「待って、――あ、持ってる! 渡すよ」
椅子を降りて、奥村に秋田の半紙を渡しにいく。
「俺らもやる」
「何したらいい?」
久岡達ほかの生徒も集まって、皆で掲示を終えた頃、休憩時間の終了を告げるチャイムが鳴った。
「皆、ありがとう。おかげできれいにできました」
福田が礼を言うのを聞きながら、皆満足げに、席に戻っていく。
「碓井さんも。いつもありがとう」
福田が、碓井に声をかけるのを背に、あさきは島達と席に戻った。島は席に戻る際、ぽんとあさきの肩を叩いていく。あさきも叩き返すと、島は振り返り笑った。あさきも笑い返す。
席に座ると、松野達を見た。固まって何か話していた。
松野達にも、松野達の考えがある。あさき達が嫌いだから反対の意見を言うのではない。そんな気持ちが、ふっと降りてきたのだった。
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