第4話 教科係

 あらかたの決めごとを終え、本格的に授業が始まり数日が経った。

 教科係というものは、あさきが思っていたより、ずっと面倒だった。各授業のノートやプリント等の提出物の回収、返却に加えて、授業前に、授業で必要な教材などを授業前に取りに行き、授業後には返さなければならない。次の授業が移動授業であってもおかまいなしだった。その他、授業に関する雑事など――なぜこれが、たった二人の生徒に任されるのか。


「一年B組のプリント取りに」

「おう」


 職員室をすすみ、英語教師のもとへ向かう。教師はおにぎりを片手に、コーヒーを飲んでいた。あさきが自分のクラスと訪れた目的を言葉少なに告げると、こちらを見ないまま、無造作に採点済みのプリントの束をよこした。あさきはプリントを受け取ると、出口へ向かった。


「あっ城田さん! ありがとう」


 職員室の扉のところで、声をかけられた。友森大翔(とももり ひろと)だった。同じく教科係になった不運な生徒だった。友森は、古典のプリントを脇に抱えていた。


「返却、一斉にくるから大変だね」


 にこにこと言う友森が、本当に大変だと思っているのかわからないが、あさきは答えずに戸を開こうとした。したが、両手がふさがっていた。その事に気づいた友森が、扉を開ける。あさきを待っているらしく、そこから動かないので、あさきは扉を抜けた。それを確認すると、友森も続いて外に出て、


「失礼しました」


 と大きな声を上げて、戸を閉めた。そうして、あさきの方を見ると


「行こう」


 と言った。別に待っていたつもりはなかった。しかし訂正する気持ちも、そこで立ち止まる必要もなかったので、歩き出した。


「持てる?」


 歩きながら、手をにゅっと差し出してきた。あさきが黙っていると、じっとそのまま歩いているので、仕方なくうなずいた。


「そっか」


 思っていたよりあっさりと手が引いた。


「わあ。今日はいい天気だなあ」


 渡り廊下に、明るい光がさし、反射していた。まばゆさに目を細めながら、友森は、感心したように言った。


「城田さんは、天気がいいの好き?」


 そのまま、あさきに話しかけてきた。尋ねる形を取っているが、答えをそこまで求めていない、なんともカラッとした話し方だった。あさきは、それに黙っている方がばからしい気がして、


「別に」


 とだけ答えた。


「そう? 僕は好きなんだ。外で思い切り走れるから」


 窓の外に目をやって、友森は言った。


「はやく走りたい」


 そう言って天井を見上げた。それから弾むように早歩きになったかと思うと、ぱっと廊下を駆けだした。あさきは、歩調を変えずに歩いていたので、必然的に二人の間に大きな間があく。廊下の突き当たりまで行って、ようやくそれに気づいた友森が、少し「あっ」という顔で振り返り、照れくさそうに笑った。そうして、あさきの方を向いて待ち出した。


 別に待っていなくてもいいのに。あさきはみぞおちあたりが重くなった。

 友森は、係になってからこっち、ずっとそうだった。

 いつも、係をする際に「城田さん行こう」と明るく声をかけてくる。面倒な役回りの道連れがほしいんじゃなくて、何かピクニックにでも行こうとしてるような顔をしてなのだ。

 今回は、ちょうど友森が授業に続いて寝ていたので、一人であさきが出発したのだ。そうしたら、あわてた様子ですぐに追ってきた。いかにも飛び起きたというような顔で、「ごめん!」と謝ってきた。あさきは無視した。妙なタイマーでもセットされているのだろうか。見たところいつも寝ているのに、係をさぼったことはない。

 また、渡り廊下の扉をあけて、友森が待っていた。あさきはまた、何も言わず通り過ぎた。


 クラスに戻れば、室内は昼食時の喧噪に包まれていた。友森は皆が昼食を取っているのを見るとうらやましそうな顔をして、


「お腹空いたなあ。早く配っちゃおう」


 と、前半は独り言、後半はあさきの方を向いて言った。それから、あさきの返事を待たずに、ぱっとプリントを見ながら動き出した。あさきは教卓に置いてある席順表を手に取った。表に書いてある名前と、プリントの名前を一致させながら、プリントを裏返しに置いていく。席は、無人の方が配りやすかった。席について弁当を食べている生徒には、たいてい置くスペースがないので直接渡さなければならない。今もちょうど、渡辺の席の近くで、四人が集まって弁当を食べていた。あさきが脇に立って、無言でプリントを差し出すと、気配に気づいた生徒が怪訝そうな顔をして受け取る。


「渡辺、なんかお前のプリント渡されたんだけど」


 渡辺の席には、違う人間が座っていたらしい。プリントを受け取った生徒は、向かいの生徒にそれを差し出した。渡辺と呼ばれた生徒は、いやそうな顔をして受け取ると、プリントの中身を隠すようにすぐに折り畳んで、弁当の下に置いた。

 教室中をふらふらうろついていると、ちょうど友森と行き合った。友森は、笑いかけてきたが、あさきは顔をそらした。席順表をあさきが持って行ったためか、友森のプリントはあまり減っていなかった。


「一谷さん、一谷さん。ねえ、ここに一谷さんいる?」


 友森は、ぶつぶつと名前をつぶやき、それっぽいグループに片っ端から声をかけていた。あさきは席順表を見た。左から二列目、前から三番目だった。

 そこに目をやれば、一谷がいるのは、佐田のグループだった。


「――早愛、聞いてた?」

「えっ、うん」

「それだけ? ほんと早愛ってゆるいっていうか、やばいよね」

「髪の毛と同じでな」


 一同がどっと笑う。早愛は、困ったような、泣きそうな顔で笑っていた。どういう風の吹き回しなのか知らないが、早愛はいつの間にか、佐田たちのグループに入っていた。


「てか、一谷さあ、呼ばれてない?」

「えーだって俺一谷さんじゃねーし。くんだし」

「あはは、言えてる。あーあ。ほんとうちらのクラスって冴えてないよねー」


 グループの一人が、友森を見て、それからあたりを見渡して、うんざりという様子で腕を前に伸ばし、伸びをした。

 あさきは、友森に近づくと、友森の手から一谷のプリントをひったくった。


「えっ、どうしたの?」


 答えずにあさきはずんずん歩く。一谷のところまで行くと、一谷や佐田が、半笑いのまま、怪訝な目をした。早愛は、あさきをこっそりと窺っていた。あさきは、それぞれを回転させてくっつけてある机の中心に、プリントを表向きでたたきつけた。そこには飲み物やお菓子がすでに置かれており、ささやかなスペースしかなかったが、知ったことではなかった。


「んだよあぶねーな」

「ちゃんと配れよ――って、うわっ一谷、十三点じゃん。この点数はやばくね」

「もう留年決定ー?」


 あさきへの文句に続いて、一谷の点数を見た一人が、一谷を指して笑った。グループの他の人間も、一谷をからかい出す。一谷は笑いながら、「うるせえよ」と言っていたが、目が笑っておらず、一瞬、あさきに殺しそうなほどの視線をぶつけてきた。あさきはにらみ返すと、そのまま自分の作業に戻った。


「ああ、一谷君だったのか。ありがとう、城田さん」


 様子を見ていたらしい友森が、あさきにお礼を言ってきた。あさきは何も言わず、通り過ぎた。友森は、きょとんとした顔をしていたが、あさきの持っているプリントもまだたくさん残っているのを見て、それから自分のお腹を見下ろして、宙を仰いだ。

 そして、何かひらめいた顔をすると、あさきに小走りで近寄ってきた。


「城田さん。プリント全部貸して。いいこと考えた」


 満面の笑みで、にゅっと手を差し出してきた。あさきは、仏頂面で見ていたが、プリントと席順表を渡した。友森は、受け取り、


「あっ、これ、皆がどこに座ってるか書いてあるの? へー、こんなのあったのか」


 あさきが返事をしないのに、一人感心したように、席順表を見て話している。そのまま席に戻ってもよかったが、戻ろうとしたタイミングで、友森が席順表を見ていた顔を上げた。


「城田さんも、早くお昼食べたいよね。だから今日はこうしよう」


 古典のプリントの上に英語のプリントを十字になるように重ねると、教卓へ向かった。それから、プリントをめくり、それぞれのプリントから同じ名前のものを探り出し神経衰弱の様に一組にすると、おもむろに声を張り上げた。


「皆ー。今から、古典と英語のプリントを返すから、名前呼んだ人とりにきてくださーい。えーと、まず、大町さん」


 喧噪の中でも、悲しいほどよく通る声だった。反応した生徒たちは、「え?」という薄笑いを一様に浮かべた。周囲の喧噪に、友森に対して引いている感情がまじった。


「いませんかー。いないなら友達か誰か引き取ってあげてくださーい。教卓に置いていきまーす。えーと、次は、植木くーん」

「何あいつ。何してんの」

「ないわ」


 小声で、友森に対してネガティヴな発言が行き交った。しかし、友森は意に介した風もなく、プリントを組み、調子よく名前を読み上げている。

 置いておかれるのがいやだったのか、こそこそと取りにくる生徒もいたが、たいていは無視していた。教卓に、プリントが積まれていく。あさきは、席順表をまた手に取った。


「あれ? あまり減らないなあ。僕らもお腹空いたし、ご飯が食べたいでーす。取りに来てくださーい。――久本さーん」


 何でだろうという顔で、あさきを見たが、あさきは、まあそりゃそうだろうと思った。半分くらいまで読み上げたところで、ちょうど大量のパンを持って、教室に入ってきた男子生徒二人が、友森を見た。


「あれ? ヒロト何してんの」

「あっウッチー、須賀ちゃん。プリント配ってるんだよ。石原さーん」

「おいおいおい! まさかだけど、ずっとそんな配り方してんの」


 一人がざっと友森のそばに寄って、押し殺した声で確認した。


「うん。そうだよ。おーい、石原さーん、いませんかー」


 けろりと答えると、また呼びかけに戻った友森に、二人のうち、一人は顔を赤くして、もう一人は苦笑した。


「あああやめろ高校生にもなって! 見てていたたまれん」

「え?」

「キャラとかあるだろ! バカ!」

「まあ、キャラは知らないけど。俺らも配るの手伝うから」

「いいの? でも、僕の役目だしなあ」

「いいからやらせろ。あーむずむずする」


 二人は、友森にパンを押しつけると、プリントを半分ずつ掴んで、ぱっと配り始めた。二人はとても手際がよかった。友森は、しばし感動して二人を見ていたが、手元に残ったほんの少しを配り出す。


「あ――えっと、ち、ちょっと見せてくれる」


 二人の手際の良さが鈍るのは、あさきの持っている席順表を見るために、あさきに話しかけにくるときだけであった。

 二人は、机の間を器用にすり抜けすり抜け、自分の分がなくなると、友森の手からプリントを取り、あっという間に配ってしまった。


「終わったぞ」

「わー速いなあ。二人とも、ありがとう」

「そろそろ顔と名前覚えろよ」

「ははは。頑張るよ」

「ヒロトはクラスで寝てばっかりだから。まあ飯にしよう」

「やったあ」

「やったあじゃないんだよなあ。あっ、じゃあ、し、城田さんもまたね」

「またね」


 三人は、あさきを振り返り、声をかけると、連れだって自分たちの席に戻っていった。別段、返事は求めていない風だったが、しっかり気にかけている。そんな口の利き様だった。

 あさきは、首を伸ばして、自分の席に戻った。そんなにお腹も空いていなかったが、とりあえず何かお腹にいれようと思った。

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