第3話 六年三組ノート◆
「――全部で二十五票。じゃあ、文化祭で私たちがやるのは、体育館を借りての劇になりました」
黒板に書かれた「正」の字を数え、あさきは言った。それから、振り返り、クラスの皆を見渡した。自分たちの候補が勝った生徒たちは、嬉しそうにうなずき、または賛成の声を上げた。他の候補を推していた生徒たちは、残念さを隠しつつうなずくもの、残念さや不満を表すものにわかれていた。あさきは、それらを確認すると、
「じゃあ、演目の方に話を進めます」
と話を進めた。
文化祭についての話し合いの授業が終わると、あさきは席についてノートを開いた。そのノートは、真新しく、大きな字で「六年三組ノート」と書かれていた。そっけない無地の表紙は、マスキングテープやカラーペンではなやかに装飾されていた。あさきが文化祭の為に、ノートを五冊一組で買って、自分で装飾したものだった。
下敷きを差し込んで、ペンで今日決定したことを書き留める。その他気づいたこと、考えたことをメモして、重要なところに色をつけていると、島や早愛たちがやってきて、ノートをのぞき込んだ。
「あさき。何してんの」
「ノートつけてる」
「何?」
「今日決まったこととか、いろいろ」
「ああ、劇に決まってよかったよね!」
島が嬉しそうに声を上げた。島は、今回採用された案を出した生徒だった。あさきは顔を上げ、笑い返した。
「うん。楽しみだね」
あさきは少し小声で返した。自分の候補が選ばれなかった生徒への気遣いだった。
「でもマメだねー。わざわざノートつけるなんて。先生だってメモしてるのに」
奥村がノートをとり、内容を読み上げた。そこで、ふと気になることがあったのか、あさきの方を見た。
「あさき。この他の案を再検討って何?」
ノートを返しながら、問う。あさきは、ノートを受け取りながら、答えた。
「うん、他の候補もかなり人気だったじゃん? できそうなのは、またお楽しみ会とか、六送会とかでやるのはどうかなと思ってさ」
「えー、あさき、それはそれだよ。やらなくてよくない?」
島がそれを不満げに遮る。あさきは島にうなずいて
「うん。まあとりあえず、聞いてまわろうと思ってんだ。島の意見も、ちゃんと考えるから」
そう言って、ノートに新しく書き付けた。真木がぐるりとあたりを見渡して「うへえ」と声を上げる。
「クラスの皆に聞くの? 大変だよ」
「まあ、大変だけど、頑張るよ」
「ぐえー、マメだなー」
「やっぱり、小学校最後だしさ。皆が楽しい方がいいじゃん」
あさきが笑って言うと、真木や奥村は、「そうだね」と賛同した。早愛も小さくうなずいていた。島は不満げに口をとがらせて
「でもそれさ、松野の案でしょ。やめなよ」
島が肩越しに振り返れば、黒板の前で固まっていた女子のグループと目があった。ちょうど向こうもこちらを見たのか、ずっと見ていたのかわからないが、目が合うとふいとそらされた。あさき達に背をむけるようにして、何やら話し込んでいる。
「感じワル。絶対今、うちらの悪口言ってんよ」
候補で最後まで競ったのは、松野の出した案だった。残念だろうし、不満が出るのは仕方がない。
「まあ、私も劇じゃなかったら絶対不満だったし。それに、松野とは、あんまりちゃんと話したことないしさ。何ていうか、きっかけ? になればいいなって」
あさきと松野は、勉強にも運動にも積極的に取り組み、クラスで発言もよくする。共通点は多いのに、意見が反対になることが多かった。松野は、あさきと共通の友達をもたず、接点もあまりなかった。
あさきは、松野が自分を嫌っているのなら仕方ないが、それでも自分と松野の、広く言えば両者のグループ間の齟齬は、互いをよく知らないままに起こっているような気がしてならなかった。もし自分の間に、何か行き違っているようなものなら、解消できないかと考えていた。
「あさきはまじめだなー」
「せっかく同じクラスだからね。気になるだけだよ」
皆の呆れ混じり感心に、あさきは笑い、ノートから消しくずをはらった。その拍子に生乾きだったカラーペンが、びっと一筋伸びた。
「ぎゃ」
「あーやっちゃったねえ」
「はは。あさき、だっせ」
「うるさいよ」
友人たちのからかいに、あさきは唇をとがらせた。伸びた分が、消しゴムで消えないかな、とあがいてみる。
「無理無理」
「わかんないって」
「貸してみ」
真木が消しゴムをとって、ノートを消し始める。繊細な手つきでしばらくやっていたが、しばらくすると肩をふるわせ始め、
「何やってんだ、うちら」
とあさきに消しゴムを返した。それから大笑いしだした。島や奥村もつられて笑い出す。あさきも笑った。ひとしきり笑った後、あさきがノートを掲げて
「まあ、これも味だね」
「味なわけないって。バカ」
あさきの言葉に笑いがぶり返したのか、島がまた笑い出した。真木が背中をさすってやる。あさきも、まだ頬に笑いの余韻を残しながら、それを見ていると、早愛が、じっと見ていた。
「どした。早愛」
「ううん」
早愛は顔を背けて、手をもじもじとさせた。何か言いたいときで、でも今は言いたくない時の仕草だな、とあさきは感づいた。
「そう?」
だから、とりあえずその場では終わらせた。帰りに聞こう、そう思いながら。
あさきは、ふとクラスを見渡した。皆、思うところは多々あっても、わくわくし、落ち着かない空気に満ちていた。
「よし、頑張るぞ!」
「うわっ何いきなり」
「超、燃えてる」
胸の前で拳を握っての、あさきの気合いに、島が引いていた。それにもあさきはにこにことしたままでいた。
これから、頑張って、皆のことをたくさん知りたい。そして、文化祭が終わる頃には、きっとそうなっているだろう。そう思うと、あさきもわくわくした。
「まあ、がんばりな」
「あさきなら大丈夫だよー」
「骨は拾ってやるから」
真木、奥村、島が言うのに、
「うん!」
とあさきは応えた。
「さっきの、何だったの? 」
帰り道、二人きりになると、あさきは早愛に尋ねた。早愛はもじもじと黙っていたが、あさきがじっと待っていると口を開いた。
「あのね。私、修正テープ持ってたの」
「修正テープ?」
「あの時、言えなくて」
消え入りそうな声で、早愛は言った。
「ああ、そうだったのかあ。いいよ。それで、気にしてたの?」
あさきの問いに、早愛はうなずいた。あさきはそれにあたたかい気持ちになる。
「優しいなあ。ありがとね、早愛」
背中をぽんぽんとランドセルごしに叩く。すると早愛は、照れた顔をして、
「うん」
と言った。
ダイニングは、晩ご飯のあたたかなにおいに包まれていた。カップに入った中華スープをスプーンですくいながら、母はあさきに尋ねた。
「あさき、今日は学校どうだったの?」
「うん、あのね、文化祭に向けて話し合いをしたんだ。劇になったよ」
「へえ、いいじゃない」
母が楽しそうに目をくるりと動かした。言葉を転がすようにして話す母は、音の高低がころころと変わる。それが、妙に耳に心地よく、くすぐったく響いた。
「でもずいぶん早いな。文化祭って冬だろう?」
キッチンのコンロに向かっていた父が、振り返りざまに言いながら、焼きたての餃子ののった大皿を、「はい」とテーブルにのせた。妹と弟たちが、歓声をあげ、われ先にと箸をのばした。
「うん、十一月。でも、今年は最後だから、大きなことしようって、クラスの皆で話しててさ。だから早くに話し合ったんだ」
「そうか。がんばれよ」
「うん! ありがとう」
父の応援に、あさきは声をはずませ応えた。
「劇かあ。いいわねぇ。もちろん、主役はあさきでしょ?」
「ええ? そんなの、わかんないよ」
両手を顔の前で重ねあわせ、小首をかしげながら、うきうきと尋ねた母に、あさきが困り顔で、はにかんだ。
「何よう。したくないの」
「そりゃ、したいけど。でもまず、皆が楽しいのが大事だから」
「あら、いいじゃない。なおさら、あさきがするのが一番よ。決まり」
「いや、決まりって」
「それなら一番前で見に行くぞ」
「がんばれ、お姉ちゃん」
「がんばれ」
母の言葉を、ビールを片手に父がテーブルに座りながら、引き継ぐ。餃子をほおばりながらの妹と弟が続けた。あさきは、困った顔をしながらも、内心とてもくすぐったかった。父は、母が差し出した小さなコップに注ぐと、残りを自分のビアグラスに入れた。母はそれを一口飲んで、ふうと満足げに息をついた。父は、そんな母を熱っぽい目でじっと見つめている。
「お母さん、わたしは今日はねえ」
「ぼくも」
母に、妹と弟が、今日幼稚園であった出来事を話し出す。母は夢の中にいるような、ふんわりした瞳でそれを聞いていた。あさきは餃子をほおばりながら、考えていた。
絶対楽しい文化祭にしたい。
「うん。じゃあ、田中さんは、大道具希望なんだね」
ノートに書き留めながら、あさきは田中に確認した。
「うん。人前は苦手だし」
田中は、背を丸くしながら答えた。
「そっかあ。田中さん、本読みとかすごくうまいから、もったいないけど」
「そうかな」
あさきの言葉に田中は、目を見開いた後、おずおずと尋ねた。
「うん。何ていうか、田中さんが読むと、話がいきいきするんだよね」
田中は小さくなって、黙り込んだ。あさきは、じっと田中を見たが、田中はもっと丸くなってしまった。そうしている内に、あさきの座っている席の持ち主が、帰ってきてしまった。あさきは、しばらく時間をおいた方がよかろうと話を切りあげた。
「ごめん。秋田君。借りてた」
「いや、いいよ」
「じゃあ、ありがとう、田中さん。また何かあったら、気軽に言ってね」
あさきは席を立ち、次の生徒のもとへと向かおうとした。そのとき、ちょうど前から歩いてきた生徒とぶつかってしまった。
「わ、ごめん」
「ごめんなさい」
同じくらい体をはじかれて、二人は同時に謝った。あさきがそれに思わず笑うと、相手は困ったように、はにかんだ。その生徒は、クラスの女子で一番の長身だが、細身で柳のような印象を受ける子だ。
「そうだ。碓井さん。今いい?」
どうせだし、今聞いてしまおうと、ノートとペンを片手にあさきは詰め寄った。碓井はあさきの勢いに少し圧されながらも、うなずいた。
「あのね、文化祭のことなんだけど。碓井さん、これから皆でやってく上で、何か希望とか、気になることとかある?」
ロッカーを机代わりにしてノートを広げ、あさきは碓井に尋ねた。碓井は、少し困ったような顔であさきを見ていたが、目が逸らされることはなかった。少しの間があって、やわらかく細い声で、話し出した。
「意見っていうか、ただの私のお願いなんだけど、いいかな」
「全然いいよ! 何でも言って」
申し訳なさそうに言うので、励ますようにあさきは促した。碓井は少し安堵と嬉しさの混じった微笑を浮かべると、続けた。
「私、放課後に残れないの。その、用事があって。だから、授業以外での活動は、できたら朝とか、お昼休みにしたいんだけどいいかな」
「そうなんだ! もちろん大丈夫だよ。安心して。他にも塾の子とかいっぱいいるし、先生にも居残りは基本しないことって言われてるから」
「そうなの? よかった」
あさきの答えに、碓井は安心したようで肩の力を抜いた。
「碓井さんも、放課後に用事あり、っと。でも大変だね。碓井さんも塾?」
あさきはメモを取りながら尋ねた。何気ない疑問だった。すると、碓井は、気まずい顔をして、しばらく言おうか言うまいか、悩んでいるようだったが、答えた。
「ええと、その、母のお見舞い。ちょっと入院してるの」
その言葉に、あさきは、思わずペンを置いて、碓井を見た。
「そうだったんだ」
あさきは考えなしに聞いたことを後悔した。そういえば、碓井の母はよく入院していると、聞いたことがあった気さえしていた。碓井は首を横に振り、さっきまでと同じように微笑している。
「ごめんね、聞いちゃって。お母さん、早くよくなるといいね」
碓井は、わずかに目を見開いて、それからにこ、と笑った。
「ありがとう」
今までで一番、大きな笑い方なのに、今にも泣きそうな顔にも見えた。あさきは、その顔を見ていると胸に何かじんわりとしたものがわき起こってきた。
その時、ちょうどチャイムが鳴った。あさきは驚いて小さく跳ね上がった。
「時間だ。碓井さん、ありがと。また何かあったら、気軽に何でも言ってね」
「うん。ありがとう。城田さん」
ノートとペンを抱え、自分の席に戻る。今まで話したことがなかったが、碓井がそんな事情を抱えていたとは。あさきは、今まで、身内が入院したことはなかった。だから、碓井の気持ちはわからない。けれど、きっと心細いだろうし、つらいだろうことは想像できた。
碓井の負担にならないように、ちゃんとスケジュールを立てよう。
知ることが出来てよかったと思う。やっぱり、誰だって、話してみないとわからない。碓井だけじゃなく、きっと他にも事情を抱えている子はいるだろう。皆に聞き込みをすることを決めてよかったと、あさきは改めて感じ、そう決めた自分をほめた。
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