4.

 白い者。それは人か、或いは精巧な人形。田舎町に突如現れた異質さは当然ながら町人達の目を惹いた。はじめは遺体だと考えられた。凍った湖の底から現れたヒトガタの何か。力なく眠ったように動かないそれを生きていると考えるのは難しく、かといって捨て置くわけにもいかずに町へと連れてこられたのである。医者は言った。脈があると。居合わせた発見者の髭面はそんなわけあるかと白い者の頬をペチペチと叩く。そうすると目が開いた。髭面は無骨な図体を仰け反らせてその場に転倒した。白い者は上体を起こして辺りを見回す。

「あのー」

 その場の誰もが身構えた。喋った、喋ったぞという表情で互いに目をくばせた。

「ここはどこでしょうか」

 白い者はその肌と同じく透き通った声をした。耳心地の良さと得体の知れなさで男達は混乱していた。第一発見者の一人であった子供だけは物怖じすることなく答えた。

「プルートだよ。プルートって町さ」

 髭面は少年に向かって莫迦野郎、止せと諌めたがかえって白い者に注目されてしまい押し黙った。少年に続いて町長が口火を切る。

「キミは何者かね」

「私は、名前を思い出せないんですが」

「記憶がないのかね」

「うーん、そうですね。うっすらと水の中に居たことは覚えているのですがナゼそこに居たのかも」

「よく生きていられたな」

「不思議ですよね」

 一同は唾を飲み込んで互いに目を見合わせる。拍子抜けした。死体が動き出したかと思えば随分暢気な態度で、自分のことながら不思議だなどといって微笑むのである。

「もし皆さんが宜しければなのですが」

「なんだね。言ってごらんなさい」

「この町でしばらく生活させてもらってよろしいですか」

 白い者はよく見ると美しい女性の姿だった。本人は無頓着にしていたが服を着ていない。男達はそれを急に意識してしまい、すぐさま布を羽織らせて着物を用意した。


 彼女は間もなくして町に馴染んだ。空き家を貸し与えられ、タダでは悪いからと町の酒場に勤めることになる。自分のことは覚えていないが他人の機微には繊細だった。女将が彼女を他の従業員と分け隔てなく扱ったので周りもあまり敬遠することなく受け容れた。よく働き、よく笑う彼女をもう気味の悪い人形だなどと思う者はいなかった。


「シロちゃん、今日はもうあがっていいよ」

「大丈夫です。まだ片付けが残ってますから。女将さんこそ休んでください。あとはやって起きますから」

「そうはいかないよ。アタシゃこれでもここの頭だからね。にしてもアンタはほんとに働きもんだよ。助かってる。助かってんだけどさ」

「なんです? 気に入らないことは遠慮なくおっしゃってください」

「違うんだよ。そのね、アンタの名前だけど」

「シロ、ですか」

「そりゃあ仮で町長が付けた名だろ。なんていうかセンスがないやね。肌の色でシロなんて犬じゃないんだからさ」

「気に入ってますよ。でも犬か。確かにそうですね」

「ふふふじゃないよまったく。ほんとに自分のこと覚えてないのかい」

「そうですね。後で聞いた話でも私はナゼ生きてたのかなって不思議で。あ、変な意味じゃなくてですよ。でも縁あってこの町の人にはよくしてもらって。ありがたい話です」

「そうかい。アタシゃアンタ見てると出てった娘を思い出すんだ。憎たらしい子だったけど別れた旦那との間にもうけた一人娘さ。何したって可愛いと思ってた。いき過ぎた愛情だったのかね。今でもわからない。どこで何をしてんだか。生きてるか死んでるかもわからないままもう十年以上経ってる。アンタがここに来てくれて、アタシの勝手で申し訳ないけど親子の続きをやってるみたいでさ。莫迦だわね」

「そんなこと……女将さん、娘さんのお名前はなんておっしゃるんですか」

「イトコだよ。どうして」

「女将さんが良ければなんですけど、私のことイトコと呼んでください」

「いやいや、アンタに背負わすつもりじゃなかったんだよ。気にしないどくれ」

「素敵な名前だと思いました。シロも悪くないですけれど、イトコ、優しい名前」

「イトコ」

 

 昔日の風景。儚い幻想はいっときの夢でしかなく造りものでは埋められぬ現実がある。それでも彼女は孤独な恩人を慰めたいと思った。自らの出生を持たざるものはそこに愛を見出したのかもしれない。彼女自身もどこかで愛に飢えていたのかもしれない。町人達がイトコとして受け入れた彼女は彼らにとって聖人の如き清らかさであり、彼女もまた人と町を愛した。凡そ五〇〇年前、今なおいたる地に傷痕を残す創世史上最悪の被害を齎した人魔大戦において、永遠と破壊の魔女として君臨した凶悪な生物兵器は気まぐれか贖罪か、田舎の片隅で自らの記憶に蓋を閉じ人間を目指していた。

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