3.

 水鳥たちは物憂げに、薄氷の張った湖面を見つめながら降り立つこと諦めていた。二人の少年が湖に近寄ってくる。片方の少年が言った。湖の上に立てるのだと。彼は得意げにもう一人を手招きした。飛び跳ねてみては非日常性を噛み締め、新たな発見は少年達に微笑みを与える。岸辺から見ていた友人もそれならと足を踏み出した瞬間、もう一人の勇敢な少年の姿は湖上から消えた。ドボン、という音に続いて水が俄かに飛沫をあげたのは一瞬の出来事だった。友人は歩みを止めて絶叫した。少年は姿を消したまま浮かび上がってはこない。助けなければという思いからか友人は湖を囲む林の外へと振り返った。途端、吹雪は強まって歩をとめる。結局打開策は見つけられず近寄れるだけ近づいて様子を伺うしかなかった。

 冬の冷えた空気はただでさえ彼の肌を痺れさせていた。水中はこの比でないだろう。困惑の中に諦めが芽生えつつある。それを認めたくはないと、彼は大声で叫んだ。すると待つしかなかった彼の視界に沈んだ少年の姿が戻ってきた。彼の胴体は何やら白い塊にしがみついていて、けれどもそれがはっきりと何かはわからない。少年は辺りを見回して長い棒切れのようなものはないかと探した。その時、木々の間から人影が現れる。それらもまた二人組で、かたや髭面の中年男が「くそったれ!」と呟くと冷たい湖に向かって飛び込んでいった。溺れた少年は掴まっている塊ごと岸辺まで引き上げられた。もう一人の長身の痩せた男が少年の蘇生処置を行っている間、もう一方の少年が冷え切って震えていた髭面の衣服を引っ張っりながら溺れていた少年と共に引き上げられた白い塊を指差した。髭面は初めこそ鬱陶しそうにしていたものの、その塊の形を認識するにつれていっそう寒々しい思いをすることになる。それは人間の形をしていた。


***


「オンナ?」

「左様。しかし今はまだその時ではない。ところで宮部。君は魔女についてどれほど知識があるんだい?」

「さてね。そもそも魔法だのまじないだの俺は信じちゃいなかった。こうして目にしてもまだ。いったいどんな手品かってな。お前らは何者だ」

「ひとえに魔女と言っても、それは種族ではない。もっと言えば魔女とは人間だ。君たちとは同一の根源を持ち、どこかの過程で目覚める。条件が偶発でしかなく、鍛錬ではどうにもならんといった点では一般人と区分されるが、とはいえ魔法は元より人間の中に隠されたポテンシャルというわけさ。そしてこのようなチカラはそれまで人類が武力闘争の中で培ってきたパワーバランスを一気に狂わせた。君も目にしたようにこれまでの歴史からすれば理不尽なものだ。ただ魔女個人がどれだけ能力を誇示してもやはり大きな何かを覆すといったことは難しいだろう。そもそも魔女達は争いにチカラを使って来なかった。むしろ秘匿し隠れて暮らしてきたのさ。だがあるオンナの愚行でその存在は露見した。芹沢亜昼。セントラル軍部統括司令官。君の元上司だよ」

「芹沢司令が魔女? 馬鹿な。そんな話信じれるか」

「君は芹沢にあったことがあるのか」

「いや。俺みたいな組織の末端構成員が本部の、それも統括に直接謁見することは許されていない」

「だったら君は芹沢の何を知っている。なぜあのオンナが最も強大な武力組織の最高権力者などというポストに収まっているのか疑問に思わないのか」

「疑問か。確かに今でこそ軍部の体制に疑問を抱くということはあるかもしれん。ただ俺は別に芹沢司令がなぜ芹沢司令かなんて考えもしなかったし、それは今でも特に疑問だとはならない。思っても精々、俺のような人間にはない資質があるんだろうくらいなもんだ。ここはあんたと俺の立ち位置の違いだ。あんたは芹沢司令のことを俺よりよく知っていて、俺は芹沢司令のことを何も知らない。軍人とはそんなもんさ」

「なるほど魔法は信じないが得体の知れない権力には懐疑があるか。組織の人間らしい。魔女は本来孤立した生き物だが、先も言ったとおり根源は人。縁もなしにこの世に生を受けたわけではない。チカラは偶発と言ったが遺伝による影響が大きくてね。からこそ秘匿も可能だった。芹沢も私と同じ郷に生まれ育った。奴は郷を売った。自らのチカラを国家に提供し権力を手にするべく他の魔女を掃討する計画を立ててな。複数の魔女を擁しても奇襲には太刀打ち出来なかった。それだけではない。芹沢は魔女の中でも随一の天才だった。その気になればセントラルの後ろ盾などなくとも郷を滅ぼせるチカラもあった。それに……」

「どうした?」

「私たちはそうなってもまだ芹沢が裏切るはずがないとどこかで信じていたんだ。結果は違った。今現在、この世に現存する魔女は私と芹沢だけになった。まあ厳密に言えば私が作ったこの論理演算装置カロンは死んでいった魔女の魂の欠片で構成されているがね」

「なぜ、芹沢司令が裏切るはずがないと思ったんだ」

「私は当時まだ子供だった。大人たちとは些か考えも違い、だからこそあの奇襲から生き延びたとも言える。彼らは愛していたんだよ芹沢亜昼のことを。たったそれだけ。馬鹿な話だ」

「お前が殺したい相手は芹沢司令なんだな」

「柄にもないが、いずれその日は迎えるつもりだ。準備の一環として君と契約した」

「断る」

「ハ?」

「断ると言った。勝手にやれ」

「もうお前に帰る場所なんてないんだぞ!」

「別に帰らなくても生きていく方法はある」

「ふざけた奴め。助けてやったことへの恩義はないのか!」

「頼んじゃいない。第一お前を手伝うって話のほうが命知らずだとよくわかったよ」

「ならここで殺す」

「その気もないくせにデカい口を叩くな! いいかクソガキ! 人にものを頼むならお願いしますと言え! 契約? 強制? ふざけるな! お前の決意は遊興か何かか? 違うだろ! お前が本気ならお願いしますと言え! それが人間だ」

「……い……ます」

「ナンダア?」

「お願いします! これでいいだろ!」

「やりゃあ出来るじゃねえか」

「なんなんだお前」

 カロンが嗤った。

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