10-6. 会議を開くリーン‐ジャクリーン
海中に沈んだ部屋の透明な壁を通して、巨大なサメが泳ぐ様子が見える。
つい先日まで陸地だった海域、新しい湾に、当然ながら大型の海生生物は棲息していなかったはずだが。
いつの間にか、近くの海から流入してきたらしい。
新生魔王軍首領のリーン‐ジャクリーンは、水で作られた城の地下――もとい水面下の広間を見渡した。
そろそろ見慣れてきた配下の顔が並ぶ。
そう、配下だ。リーンの配下。
へにょり、と、頭頂部の両耳が倒れた。
旧魔王軍で同格以上だった相手は1人も残っていない。
もちろんその中には魔王軍首領たる【魔王】陛下も含まれる。
【魔王】もいないのに新生“魔王”軍だなんて、おかしな話だ。
旧魔王軍時代は【魔王】の側近であったリーンだが、現在は新生魔王軍の首領、つまり役職としての“魔王”を担っている。
***
リーンはヒューム領内にある、小さな猫系獣人コミューンで生まれ育った。
猫系獣人の成人年齢に行われる成人の儀において授かったスキルは【水魔法】。
一部の猫獣人文化において、水は文化的に嫌悪すべきものとされる。
呪われた外れスキルとして虐待を受けていたリーンは、ある日、コミューンを滅ぼした【魔王】ドルガンドスによって拾われた。
「ククク……貴様も外れスキル故に虐げられし者か。
余の配下となり、魔王軍四天王として働くが良い」
当時は1人もいなかった魔王軍四天王。
その第1席として【魔王】の配下となったリーンは、後に加入した【水虫耐性】のアスリーに『水の四天王』の座を譲り、魔王軍がなくなるその時まで側近として【魔王】ドルガンドス陛下を支えてきた。
魔王軍残党の多くは犯罪者として賞金稼ぎに狙われた。
レベル999の猛者ですら、相性の悪いスキルの保有者――それこそ【魔王】に対する【勇者】のような――を中心とした討伐隊の手で
四天王の座を
【木魔法】や【雷魔法】といった、それなりに強力なスキルを持つ者もいたが、彼らが思っていた程には、【水魔法】使いがそれらと相性が悪いという事実はない。
特に問題なく返り討ちにした後、何もすることがないので、かつて【魔王】が推奨していたように、スキルのレベルを上げた。
【水魔法】は「四属性魔法スキル」と呼ばれる、莫大な自然エネルギーを操る魔法系スキルの1つ。
周囲に水さえあれば、水を魔力に変換して魔法も使い放題。
以前はレベルの上がりにくい【魔王】スキルを持つドルガンドスのスキルレベルに合わせて自分のレベルを上げていたリーンだが、本気でレベルを上げようと思えば、1晩でレベル999に達することも容易い。
レベル999になってはみても、特に何が変わるわけでもなかったが。
かつての四天王や、ほとんどの四天王候補達が狩り尽くされて、しばらく後。
唯一【魔王】に深く関わった者で、レベル999の
リーンを【魔王】ドルガンドスの後継者、新生魔王として新たなテロ組織を興したいというのだ。
どうでも良い。故に許可した。
すぐに飽きるか捕まるかすると思っていた新生魔王軍の面々は、意外に有能な者が多かったのか、各地で雑多な犯罪行為を繰り返しつつも、それなりに上手くやっていた。
各地の軍隊や官憲により一斉摘発が行われたこともあったが、名目上とはいえリーンの配下だ。助けを求められた際には助力し、全て返り討ちにした。
首魁としてリーンが直接襲われた際にも、当然ながら悉く押し流した。
新生魔王軍は瞬く間に規模を拡大した。
名目上の首領、“魔王”職のリーンは直接的な新生魔王軍の運営にはほとんど関わっておらず、実務はほぼ全て「四天王」が担っている。
ここしばらくでリーンが運営方針に関わったのは、1度だけ。
国盗りをしたいので対象とする国を選べと言われたので、【勇者】の故郷を選んだ。それだけだ。
普段は何を聞かれても「よきにはからえ」としか言わないリーンが、珍しく自分の意見を述べたことで、四天王は発奮し、嬉々として準備を進めた。
実際に国土を沈めたり、討伐隊の主力を沈めたりしたのはリーン自身だが。
***
「それでは時間になりましたので、出席を取ります!」
議長兼書記を担う【濡女】のレオナがハキハキと宣言する。
リーンは追憶で弛緩していた意識を少しだけ引き締めた。
「新生魔王軍首領、【水魔法】のリーン‐ジャクリーン様!」
「はぁい」
リーンは首領として、精一杯キリッとした表情で返事をしてみせた。
「『酒の四天王』、【地酒鑑定】のキキ様!」
「あいあい」
一升瓶を抱えた森エルフの女が応える。
かつての魔王軍はであれば『地の四天王』候補ともなれただろう逸材で、新生魔王軍四天王の結成を提案し、新生魔王軍の中から候補者を集め、それを実現したのも彼女だ。
長命種であり、実際かなりの長寿らしいが、幼い見た目でガバガバと酒を飲むので絵面が良くない。
「『
「此処に」
黒装束に覆面をした壮年の男が応える。
肉体の衰えから現役を引退したものの、殺しの魅力に抗えずに新生魔王軍に参加したという危険人物だ。怖い。
「『男の四天王』、【雪男召喚】のヒマリ様!」
「おう!」
ボサボサに膨らんだ白髪を掻き乱しながら、ヒュームの老女が応える。
本人は小柄だが、彼女が召喚する雪男は驚くなかれ、なんと全長12メートルにも達する。
その姿はまさに、全長12メートルの巨大白ゴリラだ。
「『女の四天王』、【濡女】のレオナ! はい!
以上、全員出席です!」
最後にレオナが自分で自分を呼んで、自分で応えた。
常に生乾きの長い黒髪をたたえる犬系獣人の女だ。
濡れた犬のような臭いがするが、慣れればそれほど気にならない。
強い【水魔法】スキルを持つリーンに、無意識に惹かれて集まった水系の属性を持つ面々。
いずれも自力でレベル60を越えた猛者の中の猛者であり、長命種のキキに至ってはレベル200以上にまで至っている。
スキルレベルはただ漫然と長生きすれば上がるものではなく、相応の努力を積んだことが伺える。
リーンの主観では勝手に作られた四天王であり、そもそも勝手に集まって来た新生魔王軍ではあっても、曲がり
それなりの親近感は抱いていた。
「それでは早速今回の議題、1つ目!
この間うちに攻めて来た、何とかいう人の所属していた、何とかいう国への報復について、です!」
「情報ゼロじゃのう」
「いや、言いたいことは伝わるじゃろ」
【地酒鑑定】のキキが茶化し、【雪男召喚】のヒマリが顔を
片方は見た目の若い長命種とはいえ、四天王の中に2人も老人キャラがいるのは、キャラ分布的に問題があるような気もする。とはいえ、四天王云々について全権委任していたリーンが今更、人選に口を出す気もなかった。
「こちらの議題に、ご意見のある方! はい!
また攻めて来られてもあれなので、とりあえず滅ぼすと良いと思います!」
初手、議長が自分で挙手して、自分で指名し、自分で意見を言う。
それに対して各々が賛否や自論を述べることで、この四天王会議は進む。
そして、最後にリーンが議長のレオナに話を振られ、決を下す。
「リーン様はいかがでしょうか!」
「えぇと……国を相手にするのはぁ……危なくないですかぁ……?」
確かにこの新生魔王軍、というかリーンは、国を相手にしたことはある。
それは【魔王】陛下の仇討ちのためであり、それ自体が絶対に必要なことであった。
しかし、遺恨を断つために完全に国ごと沈めてなお、よく知らない国から難癖をつけられるのだ。
これ以上、無駄に敵を作るのもどうかな、とリーンは思った。
対して、四天王筆頭のキキは笑って答えた。
「我ら四天王は外れスキルとはいえ、一騎当千の高レベル。
そこへリーン様がこちらに居て、何の危ないことがあるのじゃ」
「で、でもほらぁ……最近、野良のレベル999スキル持ちも増えましたしぃ……」
リーン自身は直接世話になってはいないが、あの鼻につくヒュームの女。
【魔王】陛下までも自分を“先生”と呼ばせていたあの身の程知らずが、レベル999スキル持ちを増やしてそこらにバラ撒いていたせいだ。
恐れ多くも陛下のビジネスパートナーとして、魔王軍にも高レベルスキル保有者を斡旋していたため、表立って敵意を向けたことはなかったが。
「つっても、その
四属性スキルの一角、【水魔法】のレベル999! 大当たりスキルをカンストしたリーン様に敵ではないわい!」
「同意す」
「はい、私も賛成です!」
【雪男召喚】のヒマリの言葉に、【催泪魔法】のサイゾウ、【濡女】のレオナも賛同した。
大当たりスキル、と彼らは言うが。
リーンは今でも、自身を外れスキルだと思っている。
そうでなければ故郷で排斥されることはなかったし、そうでなければ【魔王】に拾われることもなかった。
何より、絶大な力を持っていながら、【勇者】に対し相性の差で敗北した【魔王】ドルガンドス。
その【魔王】が外れスキルだというのなら、それに劣るスキルは
リーンにとって、当たり外れの認定基準は【魔王】スキルより――もとい、【魔王】ドルガンドスという個人より優れているか否かになっていた。
とはいうものの。
真っ向から言葉によって相手の意見を否定するのは、リーンの得意とするところではない。
というか、長々と喋るのが、それほど得意ではない。
今回の議題は何か。何とかいう国を滅ぼすか否か、みたいな話だったと思う。
元々賛成4票だし、確か、相手方の【氷魔法】の何某という騎士も、「ぼんやりした気分的な安心感のために相手を滅ぼすのはオッケー」みたいなことを言っていた気がする。
それならまぁ、特に問題あるまい、とリーンは考えた。
「うぅん……じゃぁ、それで行きましょぉ……?」
そうして毅然とした態度で、最終決定を下した。
「はい、では報復攻撃は決定です!
日時や方法などを詰めて行きましょう!」
かくして、いつも通り四天王会議は進み、予定された議題が全て消化されたわけだが。
「そうじゃ、忘れとった。報告が1件あるんじゃ」
そう言って【雪男召喚】のヒマリが軽く額を叩いた。
「はい、ではヒマリ様!」
「おうおう、すまんの。
大したことではないんじゃが、この間の、海岸線沿いの雪山で、わりかし強い連中に会ったのよな」
海岸線沿いの雪山、というと、ヒマリがスキルレベルを上げるのに使っている場所だったか。
リーンが国境線でスパッと一国の国土を沈めたせいで、新たな観光名所になったとかいう場所だ。
「やたら強い、と言いますと、どれくらいでしょう!」
「ワシの雪男を軽く捻りおったのよ」
「ひええ、あの全長12メートルの巨大白ゴリラをですか!?」
「驚嘆す」
ヒマリの報告に、レオナとサイゾウが驚きを顕わにした。
全長12メートルの巨大白ゴリラとは、文字通り、全長12メートルの白ゴリラである。
通常のゴリラを体長1.6メートルとすれば、実に7.5倍。
即ち、筋肉量で言えば7.5の3乗、つまり約422倍以上となる。強い。
「まぁ雪男は召喚し直せば良いだけなんじゃが」
現在のヒマリはレベル72で、最大同時召喚数は7体。
つまり、筋肉量で言えば通常のゴリラの約2950倍にも上るのだ。凄い強い。
「そう言われると、確かにそこまで大したことじゃないのう……それで、その連中の特徴などわかるかの?」
実際、四天王は実力者揃いだ。
ヒマリの補足に少しばかり危機感が削がれたのか、キキは長命種らしく、のんびりした調子でそう尋ねた。
「おう、まず、きゅうきゅうと唸るドワーフがおったな」
きゅうきゅうと唸るドワーフ。
「それから、火を使うエルフがおった」
火を使うエルフ。
「あと何か、ヒューム? じゃと思うが、遠目じゃったから何か別の種族かも知らんのが何人かおったの」
あと何か、ヒューム。
そのぼんやりとした情報に、リーンと四天王達は、「ふーん」という以外の感想を抱くことはできなかった。
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