7-7. 修業回のエリー

「お、おおー……? 本当にレベルが上がってる」


 エリーが自分の内面に意識を集中すると、ほんの数十秒でレベルが1つ上昇がっていることが確認できた。にもかかわらず、体内の魔力はほとんど減っていない。

 ローズマリー提唱の、聞いたこともないレベル上げ方法は、現実に高い効果を発揮したのだ。


「いい? 今は“エリちーが魔法を使って”、“湯船いっぱいのお湯の温度が保たれている”状態なの。

 スキルレベル上げに重要なのは、よ」

「なんだそりゃあ、インチキくせぇ」

「ふふ、我がパースリー家歴代の魔法研究の集大成よ!」


 リエット侯爵領名物の温泉に肩まで浸かったエリーの左右で、ローズマリーとイェッタの声が反響する。

 嫌な集大成もあったものだが、下手に実用的なのが性質たちが悪い。


 泳げるほどの広い大浴場には、源泉から流れてきた湯が常に継ぎ足されていた。

 エリーの魔法はこの浴槽全体の湯を保温せんとするものだが、実の所、魔法などなくとも浴槽の湯は一定の温度を保っている。


 スキルは使用することでレベルが上がるが、その際には効果に応じた魔力が消費される。

 そのため、長時間かつ大効果のスキル使用はあまり現実的ではないのだが、物理現象による補助があれば話は別だ。


 魔法の炎で森を燃やせば、勝手に延焼して「長時間かつ大効果のスキル使用を行った」という結果が得られ、【火魔法】使いは簡単にレベルが上がる。

 川の水に手を突っ込んで川下方向へ水流操作の魔法を使えば、延々と水は流れ続け、【水魔法】使いは簡単にレベルが上がる。

 俗にと呼ばれる地水火風の魔法は、レベルの上がりやすさにおいても飛び抜けているのだ。故に、四属性は魔法系スキルの中でも別格。


 とはいえ、【火魔法】の場合は森1つを犠牲にする必要があるので、心理的なハードルは高い。とされていたのだが。


「こんな簡単にレベル上がっていいの?」

「チャンエリが言うと、今更感しかねえんだよなぁ」


 里外の土地の所有権の曖昧さゆえに、森と共に生きながら森林保護に関する明文法が未だ存在しないエルフ領ならばともかく。森林でも荒地でも領主ないし国家の所有と定められているヒューム領等で、こうした手法が広まった場合、【火魔法】使いの価値は今より更に向上することだろう。


「仮にも魔法の大家と呼ばれる家を背負ってるのよ? これくらいは朝飯前よ」

「すごい……あの実質蔑称みたいな肩書が、ちゃんと仕事してる……」


 どや顔で簒奪紛いの危うい台詞を吐くローズマリーに、エリーは侮辱紛いの危うい台詞を吐いて感心した。


「なぁチャンエリよぅ、この人お貴族様なんだろ? その態度で本当に大丈夫なのか?」


 隣で聞いているイェッタは不安げではあるが。

 初対面でヒュームの貴族と同じ湯船に浸かる羽目になったイェッタは、まだこの友人の友人を計りかねていた。

 エルフの種族差別は排他的、ヒュームの種族差別は侮蔑的。貴族ともなれば、ハーフリングとは同じ湯に浸かるのも嫌がるものだと認識していたが、ローズマリーからは単に「友達の友達って距離感掴みにくいな」程度の隔意を感じる程度である。


「何かそういう宗派らしいよ」


 エリーは小声でイェッタに囁き返す。

 ちなみに、ここで言う「宗派」は文字通り宗教的な分派のことを指すが、イェッタは「考え方」程度の意味に受け取った。


「レベル10で属性親和が解放されたら、熱耐性も付くでしょ? もっと源泉に近い熱いお湯にも入れるようなるから」

「もっと効率良くレベルが上がると。すごいなぁ」

「流石に一晩でレベル999とは言わないけど、数日で身を守れる程度にはなるわよ」


 そんなわけで、エリーは友人達が帰った後も1人で温泉に浸かり続け、レベルが上がるごとに、徐々に熱いお湯を目指して湯元へ向けてパイプライン沿いをさかのぼった。

 保温魔法をかければ良いだけなので、別に温泉に入らなくても良いのだ。パイプを通した全てを1つの湯の集まりと捉えれば、レベル効率は格段に上がる。




 ***




「何か思ったより上がっちゃったな」


 空はすっかり暗くなった。現在のエリーはレベル42。一般的なスキルであれば、数十年かけて到達するレベルだ。

 レベル50まで上げれば「生成」の機能が解放され、火から魔力を回収し、実質的に無限に魔力が使えるようになる。ここまでくれば、レベル50を目指したい。


 が、そろそろレベルの上がる速度も緩やかになってきた。体感的に、この方法だけで残りのレベルを上げ切るとなると、あと5、6日はかかりそうだ。日程的にもそこまでの余裕はない。


「まだ溶岩に触るのは無理かな? でも熱めの岩盤くらいなら行けるかも」


 温泉パイプラインの保温は、距離が離れることで幾らか魔力の消費が出てきたが、レベルアップで魔力効率も上がって来ているし、エルフの魔力なら数時間はもつだろう。


 湧き上がる力を受け調子に乗ったエリーは、更なる保温対象を探し、火山の火口を目指していた。

 より熱を感じる方向へ。

 腐卵のような臭いが漂い始めたが、何かの死骸でも落ちているのだろうか。見つけたら火葬しておこうと思う。


 火口に近付くにつれ、気温自体が上がってくる。

 ただ、それなりに風があるので、空気を保温するのは効率が悪そうだ。

 適当に座りやすそうな場所を探して道なき道をふらふらと歩く。

 熱はともかく、臭気がきつい。何となく、あまり長居はできないとエリーも感じる。



「あ、人だ」


 月明かりの中、自分以外の人影を見つけたのは意外だった。

 シルエットからは、猫系の獣人だと見て取れる。

 暑いし臭いこんな場所、こんな夜中に、登山客だっているものだろうか。


「うー……暑いですぅ……帰りたいですぅ……」


 エルフの鋭敏な聴覚も、その人影の愚痴を捉えた。

 やはり帰りたいようだ。当然だろう。


 その人物は、月夜の火山で薄靄の中をくるくると舞っていた。


「≪ミストシャワー≫……あ゛あ゛ー……一瞬だけ涼しい……」


 霧の出そうな気温でもなし、高温の蒸気かと思っていたら、どうも当人が魔法で出した霧のようだ。

 わざわざ魔法で周囲を冷却しながら、こんな辺鄙なところで月見でもしているのだろうか。不審だ。


「こんばんは」


 不審ではあるが、エリーは暇潰し程度の気持ちで、その人物に話し掛けてみることにした。

 山で人とすれ違う時は、挨拶をするのがヒュームの礼儀だとも聞いた気がする。相手は獣人だが、ここはヒューム領の果てだし、郷に入っては郷に従えとも言う。


「へっ!? ひゃあ!! ひ、人がいますぅ!?」


 が、挨拶のつもりが、どうやら随分驚かせてしまったらしい。


「すみません、突然。特に用事は無いんですが」

「わ、私も用事はないですぅ!!」


 山での挨拶は、あまり異種族には浸透していない礼儀作法のようだ。

 エリーは侘びの意を込めた会釈をして、山頂へ爪先つまさきを向けた。


「あっ!」


 呼び止めるような声に、ゆっくりと振り向く。


「や、やっぱり用事……あったかもです……か?」

「えっ……いや、無いですけど……」


 何だかよく判らない質問に、首と長い尾を傾げて答えた。


「あぅぅ、じゃなくて、用事が……あ、ありますぅ……!」


 なるほど、エリーが相手に用事があるのではなく、相手がエリーに用事があるらしい。


 短期間だがリエット市で暮らしたこともあるエリーだ。ひょっとすると、初対面の相手ではないのかもしれない。

 往路を共にした護衛組に獣人はいなかったが、ともすれば、配達者ギルドの職員や、昨日寄った定食屋の店員辺りが、たまたま夜間登山をしていた可能性もある。

 エリーには、普段着で1人だけ現れた異種族を、外見から個人特定できるほどの眼力はないので、ひとまず無難な対応を行うこととした。

 会話の中で、相手が誰かを探るのだ。


「何でしょう?」

「え、えぇとぉ……その、まずは、初めましてぇ」

「はい、初めまして」


 知人ではなかったらしい。


「実は私、ちょっと探し物……捜し人?

 えぇと、人材発掘? を、してるんですぅ……」

「はぁ」


 相手は随分と小さな声で話しているが、エルフの聴力は離れた距離でも問題なく聞き取ることができる。


「探してるのは、火系統のスキルの人なんですけどぉ……あの、火山の近くなら、火に関わるスキルの人がいるかなぁって……うぅ……そもそも人がいないんですけどぉ……」

「あ、私【火魔法】ですよ」


 エリーは軽い気持ちでそう答えた。

 配達者の仕事には不満もなく、特に求職中というわけでも、安定した定職に就きたいというわけでもなかったので、これは雑談程度の返答だった。

 特に相手の反応を予測しての言葉ではない。


「へぇぇ、それはそれはぁ……当たりスキルで、羨ましいですぅ……」


 しかし、眉根を寄せて口を尖らせ尾を垂らし、馬鹿にするような声音でそう言われると。「意外」な、「予想外」のリアクションだな、とエリーは感じた。

 そう感じるということは、だ。自分のスキルが【火魔法】だと明かすことで、大絶賛で歓迎、勧誘されるとでも、無意識に思っていたのだろうか?

 だから何ということはないが……自分の感情や認識を、自分自身で把握し切れていないこともあるのだな。そんな結論に落ち着いた。


「じゃあ、私はこれで」


 何となくふわふわした気分でエリーは、再び山頂へ向き直る。


「あっ! ……あの、そっちは危ないですよぉ?」

「熱いのは得意なので、ご心配なく」


 足を止めずに、首だけ振り向いて答える。


「じゃなくてですね、火口の近くは毒ガスが出てるんですぅ。

 あと、窪地になってる所は底に溜まってたりしますし……」


 毒ガス。何か臭いと思ったら、毒ガスだったとは。

 毒ガスに対する対策は、特に何もしていない。


「うーん。歩きながら何か考えますね」

「うぅ……行くのは行くんですね……」


 そろそろレベル50に達し、魔力と火や熱を相互変換可能な「生成」の機能が解放されるのだから、火山地帯では魔法も使い放題だ。

 周囲の熱を魔力に変え、魔力を炎に変えてガスを吹き散らせば、まあ死にはしないだろう。引火性のガスだったら大爆発を起こすかもしれないが、その毒ガスは燃えるのだろうか? 燃えたらそれも魔力に変えればいい。

 エリーはいい加減な目算で方針を定め、火口へ向けて歩を進める。



 結局、その後すぐにエリーはレベル50を超え、火山の熱を利用して魔力を浪費したり、出鱈目な威力の魔法を空に向けて放ち続けるなどした。

 お陰で翌日の昼頃には――景気よく魔法を打上げ続けていたので、実際にいつ頃そうなったかは把握していないが――エリーはレベル999に達することができた。


 ただ難点として。

 それと引き換えに、無遠慮に全ての熱を奪われ続けた一帯の火山は。

 その時から、一切の火山活動を停止してしまったのであった。

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