2-6. 掌を返されるシャルロット

 エリーが野盗ラッシュに対応していた時点から、少し遡る。




 ヒューム領内におけるエリーの現拠点、リエット市の中心にある邸宅から、1台の飾り気ない幌馬車が旅立とうとしていた。

 馬車に乗るのは壮年の馭者の男が1人と、成人したばかりの少女が1人。


 馭者の名はケヴィン。リエット侯爵家に仕える家系の1人で、当主からの信頼も厚い男だ。


 少女の名はシャルロット。ただのシャルロットだ。


「ここはもうお前の家ではない。2度と戻って来ようと考えるな」


 それがリエット侯爵家の長女、元侯爵令嬢……今はただのシャルロットが、実の父から受けた最後の言葉だった。




「な……んだ、と? 王太子殿下から、婚約破棄を……?」

「そうですわ、お父様! 卒業式典の場で突然に!

 お父様から、どうにか陛下に取り成していただけませんこと?」


 高等学校の卒業式典で、婚約者である王太子から婚約破棄を言い渡されたシャルロット。

 その場では少し納得しかけてしまったが、そのまま式典を飛び出し、家に帰る馬車の中で、「やはりあれは、わたくしは悪くないのでは?」と思い直した。


 そこで、父から国王陛下に取り成してもらい、その息子である王太子を説得して貰えれば、と考えたのだ。

 何せこれは政略結婚――シャルロットは、愛のある結婚だとも信じてはいたが――、スキルの名前1つで、簡単に、独断で、婚約破棄などして良いものではない。


 リエット侯爵家は、ヒューム領の中でも北側に位置する王国の中で、最北端に広い領地を持ち、魔物の襲来に備える武の家門。

 近年は強力な戦闘スキルを持つ者が生まれず、軍部の中で、南方で他国を抑える役目を持つ家々とのパワーバランスが崩れつつある。対魔物の大規模な戦闘は――ヒュームの時間感覚では――しばらく行われていないものの、予算や兵力が削られて良いものではない。

 王家との結びつきにより、そのバランスを調整することが、この結婚の大きな目的であったはずだ。


 それに、父や家族、リエット家の使用人達は、シャルロットのスキルが【掌返し】という外れスキルだとわかった後も、何も変わらず、彼女に優しく接してくれた。

 きっとまだ何とかなるはずだ。そう思っていた。



「やはりな。【掌返し】などというスキルの持ち主を、畏れ多くも未来の国母とする訳にはいかぬか」



 父がそんなことを口にするまでは。


「えっ……お、お父様?」

「スキル授与の儀式の時から思っていたのだ。【掌返し】に王太子妃は無理だろうと」

「……何を、仰っているのです?」

「いや、それ以前からシャルロットには……くっ、名前を呼ぶのも汚らわしい。リエット家の汚点め……!」


 シャルロットは父の豹変に戸惑うばかりで、何も言い返すことができなくなった。


 あれよあれよという間に、シャルロットはリエット家からの勘当を言い渡され、貴族籍とリエットの姓、そして亡き母から受け継いだカトリーヌというミドルネームを剥奪され。


 危うく監獄送りになる所だったが、特に罪を犯したわけでもないので、遠方の修道院に送られることになった。


 エルフが呼ぶ所の「精霊」、ヒュームが呼ぶ所の「神」に祈りを捧げる暮らし。


「外れスキルを与えられるような者は、神の怒りを買ったに違いない。死ぬまで祈り、侘び続けよ」


 シャルロットは見たことのないほど冷たい顔で告げられた父の言葉を、震え、俯きながら聞き続けた。


「そのドレス……今日は卒業式典だったな。ドレスのまま追い出すと、このリエット家との関連が疑われるか。おい、誰かこいつを修道服に着替えさせろ!」


 着替える間もなく追い出すつもりだったのか、とか。


 リエット家との関連は実際にあるではないか、とか。


 どうしてリエット家に修道服があるのか、とか。


 修道院に行くのに家から修道服を着ていくなんて、プールに行くのに家から水着を着ていくようなもので、成人女性のやることではないし、むしろそっちの方が家の恥では、とか。


 何1つ口から出せないまま、シャルロットは自室に引き摺られ、メイドの手で服を着替えさせられた。


 若干生地が薄く、丈の短い修道服一式を纏ったシャルロットは、再び父の前に引き摺られ、最後の言葉を受け取る。


「ここはもうお前の家ではない。2度と戻って来ようと考えるな」


 そうして、家の前で待っていた馬車に押し込まれ、街の外へ続く道を進み出した。




 ***




 護衛すらない馬車が、ただ1台で僻地へ向かう森道を進んでいる。

 まして、最近やたらと野盗が多いと評判になりつつあるリエット侯爵領だ。


「ヒャッヒャーッ!! 馬車狩りだァーッ!!」

「殺せーッ! 奪えーッ! ヒャッヒャァーッ!!」


 野盗に襲われるのも当然と言えよう。


「ちっ……偽令嬢のお守りだけでも面倒なのに、野盗だって!?

 警備隊の連中は何してるんだ、糞ッ!」


 完全に囲まれたと見て、馭者のケヴィンは已む無く馬車を停止する。


「ちょ、ちょっとケヴィン! 急に止まるなんて危ないですわね!」

「うるさい、偽令嬢! 盗賊が来たんですよ!」

「に、偽令嬢って……それに、盗賊ですって?」


 学園からの帰り道までは優しかったケヴィンは、修道院へ向かう時点で、既にシャルロットを蔑むような目で見下ろしていた。

 長い付き合いのケヴィンから偽令嬢と呼ばれたのもショックだったが、それより盗賊だ。


「だだだ、大丈夫なんですの!?」

「さあね! お得意の【掌返し】でどうにかしてくださいよ!

 でなきゃ俺1人で4人からの盗賊を相手にせにゃならんです!」

「ひぇぇぇぇ、そんなぁ……私は戦えませんし、ケヴィンもただのオッサンですもの……もうおしまいですわぁ~……」

「こ、こいつ……!」


 よよよと泣き崩れるシャルロットに見切りをつけ、ケヴィンは馬車と馬を繋ぐくびきを解いて、馬に跨った。


 ケヴィンのスキルは【馬術】。長年リエット家の馭者として働く内、それなりにレベルは上がっている。馬車馬は臆病で戦闘経験などないが、スキルの効果で制御は効くし、馬の能力も向上している。


 護身用の剣を抜き、見様見真似で振り回す。

 剣なんてほとんど振ったことのないケヴィンだが、こと馬上戦闘においては、スキルによる動作補助でそれなりの形になる。


「うおおおお!!」

「ヒャッヒャ……ヒャワバッ!!」

「まずは1人っ!」

「ヒャヒャッ!? このオッサン、思ったよりやるぞ!!」


 まずは正面にいた1人を不意打ち気味に切り倒し、馬との連携でもう1人を追い払う。

 巨大な馬体はそれだけで凶器だ。

 即席コンビの人馬は、野盗達の想像以上の強敵だった。


「流石、やりますわねケヴィン! 私は信じていましたわ!」


 幌の隙間から応援するシャルロットは、ケヴィンには完全に無視されていたが、野盗達の気を散らす役には立っていた。


「オーホホホ! そこですわーっ!!

 やりなさいましーっ! いきなさいましーっ!」


 景気良く声を挙げるシャルロット。

 こいつを人質の取ればあるいは、と考えた盗賊もいたが、行動する前にケヴィンは叫ぶ。


「おい、盗賊ども! できればその偽令嬢を殺してくれ!

 そしたら俺もこのまま逃げられるから!

 そいつが生きてる限り、無事に送り届けるのが俺の仕事なんだよ!

 死んでくれたら逃げられるから、頼む!!」

「ななな、なんてことを言うんですのー!!」


 ブラフではなく、本気らしい言葉に、野盗達は戸惑う。

 幌馬車を覗いた限り、積み荷は先程から騒がしい女だけ。

 特に装飾品なども身に付けていないので、戦利品はその身1つだ。

 これを殺してしまうと、収入はほぼゼロ。完全に赤字である。


 仲間を1人殺されている以上、そんなことは認められない。


「ヒャッヒャーッ! お前が死ね!」

「ヒャーヒャッ!!」

「ヒャヒャヒャーヒャ!!」


 単純なことだ。

 人と馬、2者が一体となった相手なら、3人以上で同時に攻めればいい。


「ぐわーっ!!」

「ヒヒーンッ!!」


 森という地形も、防衛戦という条件も、騎兵の有利を小さくした。


「け、ケヴィーンッ!!」

「馬も殺しちまったか……仕方ねえ、いよいよもって戦利品はこの尼だけだな。おい、引き摺り出せ!」


 終わってみれば双方1名、そして馬1頭の死者を出し、戦闘は順当に決着した。

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