1-6. 王宮の倒壊を眺めるエリー
エルフの王宮は木造建築だ。
生きた大木を【木魔法】で操作して、美しい尖塔や内部の居住空間を構築している。
大抵のエルフの里は、その中心かつ中枢たる王宮を里で最も偉大なランドマークとしている。というより、王位継承権を持たない(または継承順位が低い)ハイエルフが【木魔法】スキルを得た場合に、独立して新たな里を興すので、基本的には全てのエルフの里には王宮が存在する。
また、里ごとの建築基準法により、王宮の半分を超える高さの建築物は存在を許されない。力の無いハイエルフにより、2階建ての王宮が築かれた里では、その他の全ての建築物は平屋となる。
第427エルフ王国(という名の里)の王宮もまた里の中心にあり、周縁部の一般エルフ居住区からもその威容を眺めることができた。
2階建ての喫茶店、王宮を臨むオープンテラス。平日の昼下がりながら、客入りはそこそこ。
エリーは久しぶりに狩りを休み、友人の奢りで代用コーヒーを啜っている。
この小規模な女子会の名目は、誕生日の祝い、成人の祝い、スキル授与の祝い。
エリーが【火魔法】を授かったことを報告した瞬間の微妙な空気は既に流れ去り、目下の話題は、単なる世間話だ。
「そーいやチャンエリよぅ、聞いたかい? 門が無くなった話」
「聞いたも何も、現場で見てたよ」
今、第427エルフ王国ではどこも同じ話題で持ち切りだ。
実際に門が破壊される場面を見ていたエリーは、話題の中で一歩リードしていると言っても良い。
不謹慎ながら、エリーは少しだけ得意な気持ちになった。
「イェッタは伝説の外れスキルって、どんなスキルだったか知ってる?」
エリーは対面の友人、イェッタに勿体ぶってそう尋ねた。
イェッタは、排他的なエルフの里では珍しい異種族、ハーフリングの少女だ。成人してもヒュームの9歳児程の身長、体型にしかならないことで、「
なお、「ハーフリング」という言葉は国際的な学術機関で定められた正式な種族名だが、近年では差別用語とされ、公的な場での使用は批判されるようになった。
また、かつて汎人類圏で使用された「ホビット」はハーフリングの中の1部族名であり、これを種族の総称として使用するとホビット財団から訴訟される場合がある。
代用の総称を決める議論は
現時点では、「ヒューマノイド系人類種族の中で、体長に比して
とはいえ、このイェッタを含む一般的なハーフリングは、この問題にあまり興味を持っていない。
特にエルフの里では行政上も「ハイエルフ/一般エルフ/その他」の3区分になっているため、日常生活には影響がないのだ。
「えぇー、なんだっけ? わき、わき……」
イェッタは空中に答えが漂っているかのように頭上を見上げ、高く伸ばした両掌を開閉し、
「【
自信なさげにそう答えた。
「まずワキじゃないね。【鼻毛カッター】だよ」
「あ、それそれ! 【鼻毛カッター】な、うん、覚えてたわ!」
エリーから見て数十歳年下のイェッタは、ハーフリングの成人年齢に従って4年前に成人し、【魔力吸収】というスキルを授かった。
一見有用そうなスキルだが、これも少し前(エルフ基準)までは外れスキル扱いをされていた。魔力は人類種がスキルを行使する際に消費するエネルギーだが、【魔力吸収】スキルを持つ者は、当然それ以外のスキルを持たない。つまり、吸収した魔力の使い道が、特に何もなかった。
使用者の魔力を使って動く「魔道具」の普及により、現在ではそこそこ便利なスキルとされている。時代がスキルに追い付いた一例と言える。
「【鼻毛カッター】のお人も、今なら何か活用方法があんのかね?」
イェッタは真剣な顔で小首を傾げる。
そこでエリーは満を持して、己の有する特ダネ情報を公開した。
「それが実は、門を壊した犯人がその【鼻毛カッター】の人なんだよ」
「へぇ~、すっげぇ! 時代が鼻毛に追い付いたのかぁ!」
―――しん、と。
ほんの数秒、オープンテラスはイェッタの相槌を残して無音となり。
また少しずつ、音を取り戻した。
イェッタは何も気付かず、へらへらとスキル利用技術の発展について語っている。
道具の進歩、環境の改善、法律の整備、異種族・異文化間の交流、個人の活動範囲の拡大。様々な要因が世界から「外れスキル」を減らしていく。誰もが平等にスキルを活かせる、理想社会の実現。
軽薄な口調で誤解されがちだが、イェッタは4倍近い年齢のエリーより遥かに物を考えて生きている。
エリーはそれに相槌を打ちながら、周囲の反応に驚いていた。
エルフは目と耳が良い種族で、その気は無くとも、他人の会話が耳に入ってしまう。オープンテラスにいる客は勿論、屋内の客や店員、近隣の通行人や住民にもエリーの言葉は聞こえたのだろう。
そのほぼ全員が、火が消えたように絶句するようなことを、自分は口にしたらしい。
「チャンエリーの【火魔法】も、あれだぞ? エルフの里では実感ねぇだろけど、他所では当たりスキル扱いだかんな?」
「……そう、なの? 料理と暖房くらいにしか使わないけど」
周囲は少しずつ、元の穏やかな空気を取り戻してゆく。
エリーも気付かなかったふりをして、友人との会話に乗った。
「そーそー、戦闘職だと火は普通に強ぇからなぁ」
「でも、衛兵さんとかで【火魔法】なんか使ってる人いないよ?」
「へっへ、この里じゃな。でもヒュームの国だと、すっげぇ偉い将軍様が【火魔法】持ちだったりすんのよ!」
それはすごい、とエリーは感心する。
異種族での【火魔法】の扱いも、それを知っているイェッタの知識も。確かにすごいが。
「私、この里から引っ越すつもりないよ? 両親の老後の面倒もみないとだし」
エルフの老後は長いのだ。ここまで育ててくれた両親を置いて里を出る気は、エリーにはなかった。
「スキルは使えなくても、里で就ける仕事を探そうと思ってるんだ」
「うーん、里で就ける仕事ねぇ……」
イェッタはまた空を見上げ、両手で何かを掴むような仕草を取る。
「チャンエリちゃん、肉体労働って平気? デスクワーク以外は嫌とかある?」
「特にないよ」
「収入は固定給じゃないと駄目? 出来高でもいい?」
「生活できれば、どっちでも」
「……里に住めたら、出張は平気?」
「まあ、たまになら」
「毎回3日から1ヶ月くらいの出張で、帰って来たら同じだけ休むって感じは?」
「うーん……内容によるかな。それどんな仕事?」
何かを掴んだような動き。
上を向いた顔と両腕を下ろす。笑顔だ。
「うちで働かない? 配達者ギルドの、配達者」
「配達者?」
「【火魔法】のチャンエリなら天職よぅ!」
イェッタが「配達者ギルド」の総合職として働いているのはエリーも知っていたが。
「前にアルバイトの募集がないかって聞いたら、断られたよね」
「ま、あの時はまだ、スキルがなかったし。子どもの弓矢で配達者は無理だろよ」
エリーの問いにイェッタは答えた。
「配達者って戦闘職なの?」
「何言ってんの。魔物が跋扈する人類領域の外を通って、情報や物資をやり取りすんだ。戦闘能力がないと死ぬわなぁ」
エリーは思う。言われてみれば納得だけど、死んじゃうような仕事は、ちょっとな。
ひとまず回答は保留にして、冷めてしまったカップを手に取り――なんとなく、視線を逸らし――王宮の方を向いた。
特に何か音がしたとか、風が吹いたとかいうこともない。
視線の先の王宮は線を引いたように斜めに擦れて、線から上が滑り落ち、数秒後に里全体が大きく揺れ、こぼれた代用コーヒーがエリーの服を茶色く染めた。
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