第2話 公ではなく私の
「なまみの人?」
「もしかして読んでなかった?」
迂闊だった。僕だと特定できるほどに読み込んでいるのだから、当然、本心が色濃く反映される恋愛観の記事も読んでいると勘違いした。
告白を断るのは、塾講師として当然のふるまいなので、そこ自体は噂になっても痛くないが、生身の人間がどうこうという部分では、最悪の場合、クビになるだけじゃなくて、就活にも響きかねない。教職を志す者として、塾とのパイプラインからの情報漏洩はどこよりも痛烈。
終わる。
彼女の困った笑顔には、今後否が応でも拝む事になるであろう、同情と忌避とがありありと想像を刺激した。
「………やだ」
「え、そ、そうだよね」
これで良かったのか?でも僕にはどうすることも。
「やだやだやだやだ!」
「し、静かに!?」
すねた鳥羽ちゃんをなだめつつ、ようやく着いた駅の待合スペースでもう少し話すことにした。双方にとって、傷ついた思い出にはしたくない。
「まず、一つだけお願いしてくれるかな?」
「何ですか?」
「ブログの事は秘密にしててほしいな」
小さな手を顎にすえて、名探偵さながらの思案の結果、これまた小さな口から放たれたのは、およそいたいけな少女から発されたとは思い難い、駆け引きごとだった。
「付き合ってもらえないなら、すべてをバラします」
「そうきたか」
「こうきました」
にこにこ。きっと若いながらも、オンナの勘が勝ちを理解しているのだろう。
「なんで僕なの」
純粋さには純粋を、率直には率直を。
「そこにいたから!」
妙な言葉だけど、ハグとともに語られたその言葉は、文字通りぐっと来た。人間関係などというものは本質的に言えば、そこに居たからであって、インターネットの方が地域と比べて身近であれば、当人における『そこ』がSNSの向こう側になるだけだ。
ましてや出会いの場の限られた彼女たちにとって、たとえ平々凡々な大学生塾講師アルバイトであっても、大人の一員として価値が付加されているに違いない。
僕にもかつては…………
「先生には自分だけのヴンダーカンマーを完成させたいという夢があるんだ」
「つれづれぶんだーかんまー?」
「そのヴンダーカンマー。ドイツの貴族たちがかつて自分だけのコレクションを持っていてね」
「貴族って、王子さまみたいな感じだよね?」
「そうだよ。ヴンダーカンマーっていうのは、そうだね、今の博物館の元になった施設のことなんだ」
「つれづれは?」
「徒然なるままに、っていうある古典の最初の言葉。その内習うよ」
「教えてくれる?」
「きっとね」
つぶらな瞳で、他人の夢さえも想像してしまう生きもの。愛らしい表情は、消え去ったと思った妙な感情をほんのわずかに揺らしたかと錯覚させたが、博物学が森羅万象を包括しているように、この感情も単なる化学反応、一刻のまやかしに過ぎない。
「だからさ、僕は何か一つの事、一人の恋人に時間を割くことができない。もはやそういう体質とさえ言えるんだ」
「バカ!」
一瞬にして鳥羽ちゃんは怒りをあらわにした。
「私だって、小さい頃からおままごとだけじゃなくて、本も映画も見てきてるんだよ!これからずっと先生に迷惑かける為に告白したんじゃないもん!」
僕は後悔していた。
何にでも興味がある反面、大人からみれば、一つの事を極められない飽き性だと散々馬鹿にされ、時には叱られてきた。
でもその度ごとに、大人は何も分かってないと反骨精神という言葉も概念も知らないで、反抗期のごとく、心の中では抗ってきた。
心の中にあるこの博物館だけは、と。
それが今や、落ち着いて説得すれば子どもは言う事を聞くなどとどこかで考えていたのだろう。
これをきっと大人になると言うのだろう。何よりも嫌ってたあの存在に。
「それとさ、先生」
「なに?」
「先生に拒否する権利はありませんー」
「…………ははは」
「ていうか、どうしてぶんだーかんまーになまみの人間は関係ないの?」
「だからさ―――――」
収集の妨げになるから。馬鹿にされるから。壊されるから。理解してくれないから。
怖いから。
「そうだ!わたしもぶんだーかんまーに入れてよ!」
「……え?」
「結構、私モテるし、この前も2組の青木くんに告白されたんだよ。青木くん、勉強も走るのも得意なの。でも私には好きな人がいるからってふったの。えへへ。先生から見て、私ってかわいい?」
黒目が綺麗な大きな瞳。サラサラとそよ風になびく黒髪ショートボブ。身長はおおむね145センチくらいか?テクテクと歩く姿は愛らしく、成績優秀な点から言っても、将来有望。うん、はっきり言って、彼女は可愛く、そして魅力的だ。
でもその先は許されない。
「鳥羽ちゃんは可愛いよ。でもそれとこれとは別」
「だ~か~らぁ~先生に拒否権はありません~」
「ぐ、卑怯なことは許さないよ」
「えへへ、怒らないなんて、先生やっぱり優しいね。すき」
こうなれば、生命を賭けて、彼女を欺くしか未来はない。ああ!鳥羽未来ちゃんがどこまでも付きまとうような表現はなしだ!
「わかったよ。でも先生は法的に君と恋人にはなれない。そう、なる権利がないんだ。だからその代わり、鳥羽ちゃんがさっき言ったように、君を僕のヴンダーカンマーに入れてみようと思う。もちろん、これは僕だけじゃなくて、二人にとって、お試しだよ。これで、僕の事が嫌いになるなら、それまで。好きでいてくれるなら、先生じゃなくて、そうだね、パートナー的に関わっていこう………どうかな?」
自分でも何を言っているのかよく分からない。
でも、鳥羽ちゃんはこれから訪れるであろう大いなる将来の一ページとして、小さく数回ジャンプすると共に、再び、僕の胸へと飛び込んできたのだった。
【*ヴンダーカンマー* 管理者:
保管No.039「
注記:臨時的保管。文化における少女性と、その好意への調査研究対象として。
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