少女の依頼

卯月悠凛

本編

 ドーリッツ州北部、ナウアタル。


 半年前に開通した首都のスメラスからの鉄道の終着。


 これより北は、標高1000m及の山々が広がっていて、工事は断念された。


 しかしそのおかげで、雄大なナウアタルの山々は、今でも高くそびえ立っている。


 冷涼で降水量の少ないこの場所では、放牧が盛んである。


 鉄道の開通とともに人流、物流が盛んになったため、高齢化が進行していたこの街に、希望の光が射してきている。


 周りよりも少し標高が低いナウアタル駅周辺には、ここ最近屋台が並ぶようになった。


 地元客だけではなく、都会の喧騒から逃れてきた観光客にも需要がある。


 そんなのどかな街、ナウアタルには、昨夜から大雨が降り続いていた。


 これだけ強い雨が真夏に降るのはめったになく、住民は慌てて屋台を撤収し、家の中に戻っていった。


 不安を抱えたまま一晩を過ごした住民たちだったが、次の日の午後から一転、快晴となった。


 街の中心部は、再び賑わいを取り戻そうとしている。


 その光景を横目に、午後一番の列車がナウアタル駅に入線した。


 平日の昼間ということもあり、乗客も少なかったが、一際目を引く人物がいた。


 その人物は夏なのに紫のローブを身にまとい、緑のつばの広い三角帽子をかぶって、黒いかばんとともに列車を降りてきた。


 彼は駅を出ると、小高い丘の方へゆっくりと足を進めていった。






 坂道を誰かが登ってくる。


 15歳の少女エレナには、全く心当たりがない。


 しかし、この丘の上にはエレナの家しかない。


 エレナはゴクリとつばを飲み込み、その人物の動きをじっと見つめていた。


 一歩一歩、確実にこちらに向かってきている。


 エレナは転がっていたほうきを構え、恐る恐る玄関へと向かう。


 コンコン……。


 家の中にノックが響く。思わず後ずさりしてしまった。


「エレナ・フォリエさんのお宅ですか?」


 扉の向こうから男性の声が聞こえる。


「――はい、そうですけど」


 消え入りそうな声で答える。


「カロリーナ魔法相談所から参りました」


 彼のことは全く知らないが、その名前には聞き覚えがあった。


「カロリーナ……あっ!」


 思わず声を上げてしまう。


 エレナは数ヶ月前、街中で見た相談所のチラシに、依頼を書いていたのだ。


 その時は、ナウアタルは遠く、依頼を書いても実際には来ないだろうと考えていた。


「まさか本当に来るなんて……」


 ゆっくりと玄関の扉を開ける。


「突然の訪問失礼いたします。カロリーナ魔法相談所所属、レイ・ネビルと申します」


 そう。彼は、首都スメラスの魔法相談所から派遣された、だったのだ。


 彼の格好はかなり独特だが、顔立ちも美しく、礼儀正しい好青年、といった感じだ。


「どうぞ入って下さい」


 エレナは笑顔で家の中へ手を向ける。


「では、お邪魔します」


 レイは、重そうなかばんを抱えて、中に入った。


「立派なお家ですね。しかもきれいにされてる」

「ありがとうございます」


 エレナは少し頬を赤らめる。


 ナウアタル駅から15分ほど坂を上った先にあるこの家は、木造で、一人で住むにはもったいないほどの大きさをしている。


 2階建てで、ベランダも付いている。


「ちょっと前まで、兄と住んでたんです。両親を早くに亡くしてしまって……」

「お兄さんは、今は?」

「……」


 エレナは急に足を止める。


「――戦争で出ていったきり、戻ってこないんです」


 レイは真剣な眼差しとなった。


 ザルド国境戦争。


 2年前まで続いていた、国の東側、ザルドでの国境戦争。


 最終的に隣国とは和解したのだが、その爪痕は大きく、多くの戦死者を出した。


「――悪いことを聞きました。ごめんなさい」

「いえ、そんな……。お茶をお持ちしますね。そこに座って下さい」


 そう言って、エレナは足早にキッチンへ向かっていった。


 レイはかばんをソファーの横に置き、腰掛ける。


 この戦争は、レイにとっても無関係なものではなかった。


 兵士だけでなく、多くの民間の魔女も動員されたのだ。


 レイは、長期の依頼でたまたま首都に残らなければならなかったため、戦地に足を運ぶことはなかった。


 しかし、ザルドからの事務所への報告書は、送られてくるたび、レイの心を締め付けた。


 今でも時々、その時のことを思い出す。


「おまたせしました」

「ありがとうございます」


 そんなことを考えていると、エレナが紅茶を運んできた。


 ほのかな茶葉の香りを楽しみつつ、ゆっくりと口の中へ。


 穏やかな苦味と少しの酸味が調和を保っている。高級な茶葉を使っているのだろうか。


「美味しいです」

「ありがとうございます」


 軽く言葉をかわし、かばんから紙を取り出す。


「そして、今回の依頼内容なんですが……」


 依頼書に書いてあったのは、「小屋の修理」。


 もはや魔法とは何も関係がない。


 しかしレイは、今回の依頼に驚くことはなかった。


 終戦と同時に、また多くの依頼が舞い込んでくるだろうという勝手な予想とは裏腹に、仕事は激減した。


 魔女という職業は、今や状態。


 今回の依頼を引き受けたのも、それが理由だ。


「現場を見させていただけますか?」

「あ、はい。――ごめんなさい、魔法とは何も関係がなくて」


 エレナも申し訳なく思っているようだった。


「いえいえ、何でもご相談下さいと書いたのはこちらですし。これも仕事ですから」


 とはいえ、レイに大工の経験はない。


 事務所で少し練習してきたぐらいの腕しか持ち合わせていないが、やるしかない。


 エレナとともに家を出る。


「――でも、最初びっくりしました。てっきり女性の方が来るのかと……」

「そうですよね。うちの事務所で男は僕だけなんです」


 行く先々で似たようなことを言われる。


 だが、レイはあまり気にしていない。いや、慣れてしまった、と言ったほうが正しいのかもしれない。


 それに、レイにしかできない仕事だってたくさんある。


 今回の依頼のように、体力や精神力がいる仕事なんかは特に……。


「ここです」


 エレナが立ち止まる。


 その小屋は、屋根の一部が剥がれ、さらに昨夜の雨の影響で、中も水浸しになっていた。


「板は、その横に置いておきました」

「わかりました。では、始めさせていただきます。お休みになっていて下さい」


 レイは覚悟を決めて腕をまくり、かばんから工具を取り出した。






 コンコン……。


「はい」


 扉を開けると、そこにはレイが立っていた。


「修理、終わりました」

「ありがとうございます……」


 彼の服にはたくさんの泥が付いている。


「そんなに汚れて……ほんと、ごめんなさい」

「なぜ謝るんです。大丈夫ですよ、仕事ですから」


 そう言うと、彼は笑顔を見せた。


「何かあったら、また呼んで下さい」

「っ……!」


 レイはその笑顔のまま、温かい言葉を発した。


 そしてそれは、エレナの記憶の中の光景と重なり合った……。






「何かあったら、魔女を呼びなさい」

「まじょ?」


 エレナの兄、ロベルトはその日、国からの招集で、ザルドへ向かおうとしていた。


「そう。困ったときには魔女を呼びなさい。きっとエレナを助けてくれる」


 ロベルトはエレナの頭に手を置く。


 エレナは目を閉じ、兄のぬくもりをじっくり味わった。


「わかった、そうする。早く帰ってきてね、お兄ちゃん」

「ああ、きっと……」


 このときエレナは、ロベルトがどこへ向かおうとしていたのか、何をしようとしているのか、全く知らされていなかった。


 ただ、「仕事の都合でしばらく家を離れなければない」、と。


「じゃあ、そろそろ行くよ。体に気をつけてな」

「うん、行ってらっしゃい」


 だが、戦場に向かう兄の背中は、嘘をつかなかった。


 どこか寂しげなロベルトの後ろ姿をエレナはじっと見つめ、そして耐えきれず、玄関の扉を開けた。


「お兄ちゃん!」


 ロベルトは足を止める。


「帰って……くるんだよね?」


 彼は振り向かない。


「――エレナ、強く、生きなさい……」


 彼はそれ以来、妹に顔を見せることは、声を聞かせることはなかった……。






 エレナは、レイの胸の中にいた。


「――あれが、最後だったなんて……」


 震える声で話す。


 15歳のエレナにとって、最も身近な人を失うのには、衝撃が大きすぎた。


 レイはただ黙って、彼女の思い、後悔を受け止めていた。


 数分後、彼女は目を開けた。


「すみません……」

「大丈夫です。依頼者のお話を聞くのも、魔女の仕事ですから」


 エレナは俯き、後悔の言葉を口にする。


「私は……私は、お兄ちゃんに何もしてあげられなかった……」


 レイは、自分なりに言葉をかける。


「わかりません。でも、一つだけ言えるのは……」


 レイが続ける。


「きっと、妹が幸せでいることが、兄の一番の幸いだと思います」


 その言葉を聞き、エレナは……。


「そうかもしれません」


 涙目ながらも、屈託のない、美しい笑顔を作ったのだった。






「着替えまで……ありがとうございます」

「返さなくても結構ですから」


 レイが帰宅する前、エレナは彼に着替えを渡していた。


 決して魔女の正装とは言えないようなタキシードだが、エレナの家にはこれしかなかったらしい。


「あ、お代……」

「いりません」

「え?」


 レイははっきりと断った。


「僕は、正直うんざりしてました」


 今まで誇りを持ってこなしてきた、魔女の仕事。


 それが今や、ただのなんでも屋。


 レイは、自分がこの仕事をしている意味がわからなくなってきていた。


「この依頼が終わったら、仕事をやめようと思っていたんです」


 エレナは驚きを隠せなかった。


「でも……」


 レイは少し照れながらも、続ける。


「いろいろな人に会えて、そしてその人達に喜んでもらえる。そう考えると、まだやめられない」


 後ろ向きな気持ちで仕事をしていた自分を振り返ってみると、多くの人に出会い、それだけの数の人生に触れてきた。


 レイはそこに、やりがいを見出したのだった。


 そしてそのきっかけは……。


 レイはエレナの顔を真っ直ぐ見つめる。


「ありがとう」


 この先、レイとエレナはどんな運命をたどるのか。


 互いにそれはわからないが。


 一人の青年と一人の少女は、再び前を向いて歩き始めた。


 ナウアタルの空は晴れ渡っている。

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