第5話   特殊部隊『ノット・シュレディンガー』について

「うお」


 痩せた街路樹をよじ登ってきた吾輩に、青年が声を上げた。こんなところで何をしているのかと尋ねると、彼の視線が振り子時計のごとく二三度右往左往した。


 吾輩は彼の履いている靴が、妙に気になった。店にいた時は、さほど気にならなかった、その真っ赤なブーツのかかとの長さが、あの鎧武者と似ているのである。


 青年はどこか観念したように幹へと背中を預けて力を抜き、そのまま大きく伸びをしてみせた。


「さてねえ……と、ごまかしておきたいところだけど、クロウ君と後々揉めるのは厄介だな。デーモンちゃんとの商売に響きそうな予感がするよ」


 店で遭遇した時の軽薄そうな雰囲気とは打って変わって、その口調と表情には落ち着きと狡猾さが混ざっていた。


 彼が木の枝からひょいと飛び降りたので、吾輩も右にならった。大きくしなった街路樹が二人分の男の全体重から解放されて、喜ぶあまり激しく揺れている。


「そうだよ、俺はここからあの店を眺めていた。何かあったら、彼女を助けるつもりでね」


 好いた女を守ろうと意気込む姿勢は、賞賛に値する。吾輩は納得の意味をこめて素直にうなずいた。


 だがまだまだ腑に落ちない部位はある。この青年は鎧武者の訪問を事前に予測し、マドンナに情報を渡していた。ただならぬ客である。


「吾輩は明日から店員として労働する身、恐ろしい営業妨害に遭うマドンナに無関心でいられるほど神経が太くない。彼らは何者ぞ。なんの因縁を付けて徘徊している」


「あれ? そうか、知らなかったのか」


 もったいつける男は嫌われるのである。メシもナデナデも素早くが妥当だ。


「さっきのごてごてに着飾った人は、『ノット・シュレディンガー』という特殊部隊なんだ。国で部隊が構成されている地域もあれば、さっきみたいに、自警団の一人として見回りをしている。彼らも、悪人というわけではないんだよ。未知なる脅威を排除したいだけなのさ。きみのようなね」


「未知なる脅威とは、これ如何に。しかしマドンナは未知なる脅威に接客業を任せようと計画している。あの店は、ノットなんたらから特別に見逃されているのか?」


「んん、まあ。デーモンちゃんは強いからね。そんな彼女が選んだ猫たちだ、しっかり働いてくれることを、彼らも願っているのさ」


「マドンナとて、ノットなんたらにとっては未知なる脅威ではないか。なんとも弱々しい自警団ではないか」


 だが、気に入った。どんな形であれ未知なる敵に挑み続ける彼らがいるからこそ、この街の治安は保たれているのだ。


「まあ、そう言ってやるなよ。ノットなんたらも、きみと戦えばきみが負ける。彼らの鎧には、充分に用心することだ。下手に挑むと、マドンナが悲しむことになる」


「ご忠告感謝する、カフェラテ」


「カフェラテ? ハハ、ちっちゃいのにずいぶん堂々としているんだなあ」


 若造が、随分と上から目線である。しかし今は、致し方なし。吾輩はどこからどう見ても、無力な子供なのだから。


「また見回りの情報が手に入ったら、デーモンちゃんに渡すよ。俺はあの店が好きだからね」


 彼は片手を上げ、ニヤリと口角も上げ、愛嬌たっぷりに去って行った。商売に使う仮面が、全種類揃っていそうな青年である。



 店の扉からこっそりと戻るつもりが、吾輩を待つ乙女の観察眼の可視範囲を見誤ってしまった。


「ああよかった、クロウちゃん。あの銀色の鎧の人には見つからなかった?」


「応」


「お出かけするときは気を付けてね。あの鎧に蹴られると、どんな魔法も解けちゃうの。おまけに大怪我付き。あなたの名簿も急いで作らなくっちゃ」


 吾輩のために慌てふためく。その必死ぶりがなかなかに愛らしい。一匹のメスに、これほど胸ときめく日があっただろうか。


「マドンナ、それに関して提案があるのだが」


「あら、どうかした?」


「あの鎧武者どもの正体と目的が明白になるまでは、そしてそれについて吾輩が納得するまでは、名簿に記載はせんでくれんか。どうにも彼らの存在がノドに引っかかる小骨のようだ。我が一族を敵視する彼らの信条が知りたい」


「信条ねえ。未知の種族が怖いから、それから、知人や自分になりすまされるのが怖いから殺すのよ。人間の脅威となる不都合な動物は、駆除される宿命を背負ってしまうわ。私はそんな猫たちを保護しているの。簡単に説明するとこんなところね。納得は、できたかしら」


「いいや。申し訳ないがマドンナよ、もしも吾輩の生き方が不都合ならば縁を切ってくれても構わぬ、吾輩に危険な旅をさせてほしい」


 乙女の顔が曇るのも承知で、吾輩は切り出した。仕事と恋愛との両立に悩み、公園で吾輩どもに愚痴るサラリーマンを想起させる。吾輩は今、おのが使命と恋に悩み、今まさに漢道を走ろうとしていた。


「吾輩なりに奴らめを、理解してやりたいのだ。その後どう戦争するかは、未定だがな」


 荒野を逝く定めのガンマン、マドンナはそれとわかって見送る酒場の女である。


「困った子猫ちゃんねえ。いいわ、うちでしっかり働いて利益だけ出してくれたら、私は何も関与しない。ノット・シュレディンガーがやってきても、あなたのことは従業員の誰かになりすました知らない猫だということにしておくわ。とりあえず、この条件でいいかしら」


「感謝する、マドンナ。吾輩なりにこの店に貢献すると誓おう」


「ふふ、頼りにしてるわ」


 大反対されるかと思ったら、なかなかどうして肝の座った女である。吾輩のような気質のオスに遭遇すること事態に、慣れきってしまったかのよう。


 彼女はあっさりと見送る立場を選んだ。その諦めを含んだ微笑みが示すものとは、吾輩の今生が、波瀾万丈かつ短命やもしれんということだった。


 室内飼いの猫よりも、野良の方が平均寿命が圧倒的に少ない。しかし吾輩は野良である。野良の生き方しか知らぬ。守るべき群れなき今、吾輩は自由である。心の赴くまま、世界と旅しよう。


 そして今生こそ、好いたメスと子供を持ちたいものだ。


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