金色宇宙の泡構造(5)
時計塔の内部はすっかりカオスに侵食されている。絡みついた麦穂以外は全てが黒く、色を失っている。
アヴィオールは、アルファルドと共に階段を登る。
そろそろ三階に差し掛かる頃だろう。アヴィオールは辺りを見回してリフトを探した。
「あ、あった」
見上げる。あと十数段は登る必要があるだろうが、少し高い場所にリフトがあった。とはいえ、それさえ色を失っているのである。目を凝らしてやっと見えるくらいには、存在感が薄かった。
ふと下を見る。次の瞬間には、アヴィオールはそうしたことを後悔した。
自分達が、底が見えない程の深い縦穴にいるかのような錯覚を受けた。あまりの恐怖に生唾を飲み込む。
「下を見るな」
アルファルドに言われるまでもなく、アヴィオールは視線を上に向ける。天井も真っ黒だ。本当に見上げているのは上なのだろうかと不安に思う。
二人は駆け足でリフトに近づき、それに乗り込んだ。入口の右手側にあるボタンを押すと、鉄格子の扉が閉まる。
アヴィオールは呟く。
「動くかな?」
「わからん」
アルファルドは窓の外を見る。そこにはうねる金色の麦があった。
「あれが、リフトの動力さえも吸い上げているとしたら、厄介だな」
上昇のボタンを押す。リフトがガクンと大きく揺れる。
辛うじてリフトの動力は残っていたようだ。ゆっくり、ゆっくり上昇していく。今にも止まってしまいそうな程に遅いが、動かないよりはマシだ。
「白鳩はどうなった?」
アルファルドが問いかける。アヴィオールは片手を開くと、白鳩を呼び出した。
「頂上まで行ったみたい。今はここにいるよ。
だけど、日記のメモは消えてる。スピカに届いたかどうかはわからない」
「そうか」
アルファルドは呟いた。
暫く二人は黙り込む。気まずかった。
「以前……」
アルファルドが言葉を漏らす。
「お前のことを、昔の自分と似ているとか言ってただろう」
アヴィオールは思い返す。確かに、事ある毎に言われていた気がする。アヴィオールは頷いた。
「考えてみたら、全然似てないなと思ってな」
「そりゃそうでしょ。アルフは尊敬できる大人だもん」
アヴィオールは言うが、アルファルドはそれを否定するかのように首を振った。
「大切な人を助けに行くっていうのはな、自分はできなかったんだ」
アヴィオールはアルファルドを見上げる。
「以前、自分に
そうだった。そうだと思ってた。だけどな、自分は結局、エルアの想いを何一つ知らなかったんだ。
乙女を絶やしたいと思っていたことも、それを兄貴分であったレオに託していたことも。自分は何も知らず、のうのうと隠れて生きてただけだ」
アルファルドは、鉄格子に寄りかかってため息をつく。アヴィオールの横顔をじっと見つめて、言った。
「お前は、全てを受け止めて、自分の意思でここに来た。なんて言うかな……すごいと思うんだよ」
他に良い言い回しを思いつかなかったのだろう。アルファルドは、
アヴィオールは
「アルフがスピカを連れてダクティロスに移り住んだから、僕はスピカに会えたんだよ。レグルスやファミラナだって、スピカがいなかったら繋がらなかった縁だから。
だから、僕はアルフに感謝してるんだ」
アルファルドはアヴィオールにフッと笑いかける。
「ありがとう」
「こちらこそ」
互いに礼を言い合って、二人はリフトの外を見る。リフトは今にも止まりそうな程の緩慢さで、最上階を目指していた。時々響く耳障りな軋み音が不安を煽る。
やっと最上階が見えるようになったのは、リフトが昇り始めてから十数分経った頃だった。眼前に近づいたカリヨンもまた、闇の色をしていた。
アルファルドは徐に口を開く。
「アヴィ、約束してくれ。
何があろうと、お前は上を目指せ。自分を待とうとか、助けようとかは考えるな」
アヴィオールは眉を寄せた。アルファルドの言葉が、今から死にに行くかのように聞こえたからだ。
「何言ってんの?」
「頼む」
アルファルドは、覚悟を抱いてここにいる。それはアヴィオールにもよくわかった。
アルファルドの顔を見ればわかる。据わった目、きつく結んだ唇。正に、覚悟を決めた顔だった。
「おそらく、この先にはアルデバランがいる。それだけじゃない。エウレカが行く手を阻むはずだ。
進むことを
傷付けることを
どんなことになろうと、自分はお前を恨むことはない」
アヴィオールは絶句した。何を言わんとしているのか理解したからだ。
これより上は、エウレカの支配地になる。何が起こるかわからない。だからこそ、時に捨て置く覚悟も必要になる。
スピカの元に行くように、願いを託されたのだ。アヴィオールは拳を握った。
リフトが最上階に到達する。
アルファルドはリフトから降り、辺りを見回した。
本来文字盤があるはずの部屋には、ガラス片が至る所に飛び散っていた。見れば、文字盤があったはずの箇所は割られており、そこから麦の穂が内部に侵食している。
アヴィオールはアルファルドの隣に立ち、その光景に唖然としていた。
「文字盤が……」
割れた文字盤の破片をみて呟く。
クラウディオスに来てすぐ、ここから街を見下ろして、街の景色に
これも美しくはあったが、人の営みを感じない、冷たい美しさである。
「ここから上に上がれそうだね」
無理にでも気を取り直さねば。
アヴィオールは、文字盤を突き破って入り込んだ麦穂に触れる。それは
残ったガラス片で怪我をしないように、アヴィオールは身を縮こませて時計塔を出る。文字盤から外へと抜けた先には、麦穂が螺旋状に上空へと伸びていた。
この最上にスピカがいる。そう考えると気持ちが
「アヴィ、あんまり先に行くな」
後ろからアルファルドに声をかけられた。
その時。
「うわっ!」
アヴィオールの前方を、麦の槍が掠めた。すんでのところで避けたため怪我はない。
槍は床に深々と突き刺さり穿つ。開けられた孔は、ものの数秒で修復された。
「この中を進めって?」
アヴィオールは苦笑いをして、手のひらに白鳩を呼び出した。
「僕がなるべく守るよ」
「ああ、頼む」
アルファルドはアヴィオールの真後ろに。そうして二人は、時計塔より更に上、夜天を貫く麦の塔を登り始めた。
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