金色宇宙の泡構造(4)

 ファミラナはようやく目を覚ました。

 頭はくらくらとし、視界はぼやけている。だが、嘔吐感はなくなり、立ち上がれそうである。

 自分が気絶している間に、世界は様変わりしたようだ。地面には金色の麦の絨毯。空は、影より闇より深い黒。

 そして、自分の傍には誰もいない。


 誰かいないのだろうか。ファミラナは人の姿を探して辺りを見回す。すると、遠く離れた場所で、二人のヒトが戦っているのが見えた。

 微かだが、金属が弾かれる音が聞こえる。ファミラナはポーチから分解された長棍ちょうこんを取り出し、それを組み立ててから、音の方向へと向かう。

 差程歩かないうちに、見知った顔が見えた。レグルスだ。彼は背後で倒れているアンナを庇うように立っていた。アンナは貧血を起こしているらしい。額を押さえ、うずくまっている。

 レグルスは、アンナのものらしきサーベルを片手に握り、眼前に迫るエストックを防いでいた。

 レグルスと向かい合っているのはスコーピウスであった。彼はレグルスをもてあそんでいるようだ。レグルスのつたない剣を、わざとエストックで受け、笑っている。


「そう熱くなるものじゃないよ。諦めなさい」


「諦め切れるかよ! あそこに居るのは、俺らのダチだ。ダチがヤバいことになってたら助けに行くのは、普通のことだろうがよ」


「あはは。いいねえ、子供は純粋で」


 レグルスはサーベルを両手で握り、力任せに振り下ろす。両手剣ではないのに、そのような動きは無意味であるし、大振りな動きは太刀筋たちすじを読まれてしまう。

 案の定、スコーピウスは体を捻るだけで易々やすやすとかわした。


「剣は教えて貰わなかったのかい? その振り方、素人より酷い」


「うるせえ!」


「私が教えてあげよう」


 スコーピウスは言う。

 次の瞬間、レグルスは目を見開いた。


「あ……ぐ……」


 レグルスはサーベルを落としてしまう。左腕が、エストックによって斬られたのだ。


「加減はしたからね。神経も骨も傷付けてはいない。少し痛いだけだ」


 レグルスは左腕を庇うことをせず、サーベルを再び拾い上げる。レグルスの利き手は右だ。左腕が使えずとも、スコーピウスに一矢酬いっしむくいるつもりであった。

 だが、彼らの能力には差がありすぎる。

 スコーピウスがエストックを振るい、サーベルの等身を弾いた。レグルスの手に強い衝撃が伝わり、再びサーベルが手から離れてしまう。


「君のお父さんは強かったのにね。残念だ」


 レグルスは何も言えない。

 ファミラナはそれ以上見ていられず、レグルスの前に飛び出した。


「ファミラナ?」


「ごめんね。起きるの遅くなっちゃった」


 スコーピウスは、突然現れたファミラナを見て目を細める。


「次は君が相手かい?」


 ファミラナは返事をせず、スコーピウスを睨む。


「君のボーイフレンドを傷付けられて、怒っているのかい?」


 それにもファミラナは答えない。

 代わりに質問を投げかけた。


「あなたは何故エウレカに与しているのですか。あなたはさそりの一族……エウレカのことは知りようがないでしょう」


 スコーピウスは、ファミラナの気迫に驚いた。

 ファミラナは、スコーピウスを真っ直ぐに見つめ、彼の行動を非難した。普段おどおどとして頼りない彼女からは、想像できない姿であったのだ。

 だが、少しの意外性を感じたのみで、すぐに表情を食えない笑みへと戻す。


「私の仕事だからだよ」


「はい……?」


 ファミラナは間の抜けた声を漏らす。


「法王の仕事が、これを引き起こすことなんですか? ふざけないでください」


 だが、スコーピウスは首を振った。


「理解してくれなくてもいいんだよ。私達は今夜、カオスに呑まれて消えるのだから」


 ファミラナは何も言えない。

 スコーピウスの言葉は、くだらなくて、あまりに幼稚だと、そう思った。


「レグルス君、ここ、私が引き受けてもいいかな」


 ファミラナは問う。

 レグルスは情けなさを感じた。女性に守られるのは、彼にとって恥だった。守る側でありたいのだが、ファミラナに言われては任せるより他にない。


「頼む」


 一言呟き、ファミラナから離れる。ふらつくアンナの肩を支え、戦場から離れていく。

 ファミラナは、レグルスが十分離れるのを確認する。深く息を吸い込むと、震える腕を押さえ付けるため、長棍ちょうこんをぐっと握り締めた。

 武者震いだと、そう自身に言い聞かせる。


「少しは骨がありそうだ」


 スコーピウスは言うや否や、エストックを突き出した。

 ファミラナは飛びずさる。床は麦の葉だ。砂地程の摩擦力はなく、体重が乗せられた踵がズッと滑る。両足の力だけでは支えきれず、片手を地面につけた。

 目を逸らした一瞬のうちに、スコーピウスの姿が消える。彼の輝術を知らないファミラナは、少しばかり呆けてしまった。

 だが、殺気が後方に迫ったことに気付くと、振り向き様に長棍ちょうこんを振るう。

 エストックと長棍ちょうこんがぶつかり合い、互いの腕に、反動による衝撃が走った。

 その一打でファミラナは輝術の性質を理解した。さそりの輝術は、身体能力の底上げだ。

 互いに武器を押し返そうとし、身動きが取れず、互いに飛びずさって距離を取る。

 これは面倒な相手だと、ファミラナは顔をしかめた。自分より遥かに素早い敵と対峙してしまえば、防戦一方になりがちだ。

 ファミラナは立ち上がり、長棍ちょうこんを回した。くるり、くるりと、最初はゆっくりであったが、次第に回転は速度を増す。戦闘の最中に次の手を迷ってしまうのは、相手に隙を与えるのと同じこと。


「随分と余裕だね」


 ファミラナのパフォーマンスを見て、スコーピウスは笑う。

 戦闘の最中では、ファミラナの行動は必要のないものだ。スコーピウスをを煽っているに等しい。それにはスコーピウスも気分を害したらしく、苛立ちが言葉に現れていた。

 不意なことだった。スコーピウスの脳内に、声と寒気が入り込んでくる。スコーピウスはぶるりと震えた。


『あなたの輝術は、身体能力の変化ですね』


 ファミラナの声だ。

 見れば、ファミラナの体から光がちらりと舞っている。ファミラナが輝術を使い、テレパシーを送り込んでいるのだ。

 ファミラナの足元は、輝術を使ったためか、黒点がじわりと広がっている。星の光を使う輝術は、敵味方関係なくカオスを助長させてしまう。

 だから、早くけりをつけなければならない。


『伝達の賢者、我が名はファミラナ・チェブロ。

 私の輝術と、あなたの輝術。どちらの精神力が先に果てるか、根比べです』


 ファミラナは長棍ちょうこんを握り直す。下向きに構え、走り出す。

 スコーピウスも駆け出そうとするが。


『止まりなさい』


 言葉と寒気が身体の芯に突き刺さり、動き出すのが遅れてしまった。

 ファミラナは長棍を突き出す。スコーピウスの額を狙うが、エストックの横薙ぎに弾かれた。


 長棍ちょうこんは、武器としてはあまりに長い。その性質上、リーチが長い。ファミラナはその利点を活かして、エストックの攻撃範囲内に入らぬよう、突きに徹した。二度、三度。足を踏み込みながら突きを繰り返す。その全てが、エストックに弾かれてしまう。


 スコーピウスの肩を狙って再度突きを繰り出した。スコーピウスは体を捻る。空を貫く音がした。空振りだ。

 スコーピウスの手が長棍ちょうこんを握る。ファミラナは驚いて長棍ちょうこんを引く。だが敵の手は、長棍ちょうこんを捕らえて離さない。


 引っ張られた。ファミラナの体がつんのめる。目の前には、切っ先を向けられたエストック。突き刺すつもりだ。


 ファミラナは長棍ちょうこんから手を離す。体勢をすぐ様整えると、片足を振り上げスコーピウスの下顎を蹴り上げた。

 スコーピウスは、それを想定していたのだろう。顔を上に逸らして避けようとするが、ファミラナの爪先が顎を掠めた。スコーピウスは後ろに仰け反り、数歩後退る。長棍ちょうこんは、彼の手から滑り落ちた。


 ファミラナは落とされた長棍を拾い、仰け反ったスコーピウスの腹を殴打しようと、それを振るう。


 一瞬のうちに、スコーピウスの姿が消えた。長棍ちょうこんは、誰もいない床を叩く。麦穂の床が抉れ、葉が飛び散る。


 ファミラナはすぐ様テレパシーを飛ばした。


『止まりなさい!』


 強い思念を送ったのだ。寒気も相当なものだ。

 だが、一度寒気を経験したスコーピウスは怯む気配がない。ファミラナの周りで、僅かに空気が動く。

 正面に、刃の一閃が見えた。ファミラナは反射的に長棍ちょうこんをかまえ、攻撃を防ぐ。

 弾いたと思ったら、次には右手に影がちらつく。長棍ちょうこんを振るい、攻撃を弾く。


 次には左手から。

 弾けば前方から。

 それを弾けば後方から。

 攻撃を仕掛ける余裕がない。


『本当に……面倒この上ない……』


 ボヤきをテレパシーで送ってみるが、スコーピウスは止まらない。


 再び後方に殺気を感じ、ファミラナは振り向くことなく、長棍ちょうこんを振り抜いて防御する。

 次は何処だと迷った刹那せつな。ファミラナの前方にギラリと一閃が振り下ろされた。

 ファミラナは身を捩る。しかし避けきれず、刃は肩を掠めた。鋭い痛みが灼熱しゃくねつごとく、ファミラナを襲う。


「くっ……」


 堪らず呻く。だが、掠めた程度だ。まだ動く。


 再び前方から、エストックによる追撃。ファミラナはそれを長棍ちょうこんで弾き、これ以上ない程に強い思念を送る。


『あなたには負けない!』


 ぶわっと、ファミラナの足元から光が舞い上がった。黒点が一気に広がり、辺りは黒に包まれる。


 その黒の中、動く光の粒が見えた。先程ファミラナが巻き上げた光が、何かを追うように……

 ハッとして、ファミラナは長棍ちょうこんを構える。光の軌道を予測し、此処と思う箇所に長棍ちょうこんを振り下ろした。


 柔らかいものを殴った衝撃。それと同時に、スコーピウスの姿を視認した。スコーピウスは顔を殴られ、よろめいていた。頬は真っ赤に腫れ上がり、口からは血が溢れている。


 ファミラナは、好機とばかりに長棍ちょうこんを振るう。前方に足を踏み込み、左から、右から、スコーピウスの体を殴打する。

 肩に、横腹に、そして脚に。スコーピウスは何度も長棍ちょうこんの殴打を受けた。二度右脚に打撃を受けると、堪らずその場にくずおれた。

 ファミラナはとどめとばかりに、上から下へ、真っ直ぐ長棍ちょうこんを振り下ろす。スコーピウスは目を見開いてそれを見つめた。


 長棍ちょうこんが殴ったのは、スコーピウスではなく、黒に染め上げられた床。ファミラナはスコーピウスに慈悲を見せたのだ。


「私の勝ちですね」


 ファミラナは静かに呟く。

 両者ともに息が上がっていた。輝術を使用しながらの戦闘は、体力だけでなく気力も奪っていく。ファミラナとしても、ここで戦闘を終えたかった。

 スコーピウスには、その考えが透けて見えていた。ファミラナを見上げると、肩を上下させながら問いかける。


「トドメは刺さないのかい?」


 ファミラナは、スコーピウスに長棍ちょうこんを突き付ける。しかし、それ以上のことはしなかった。


「甘いね、君は」


 スコーピウスはエストックを握る。そして、あろうことか自身の腹に深々と突き立てた。


「あっ」


 ファミラナが声を洩らすが、スコーピウスは片手で制した。


「強者の情けは、弱者への侮辱ぶじょくだ。覚えておきなさい」


 そう嘲笑あざわらったかと思うと、スコーピウスの体は音を立ててその場に倒れた。腹から溢れ出る血は、カオスに呑まれて黒く色付く。床に零れてしまうと、カオスの黒か血液か、見分けがつかなかった。

 細い息遣いが聞こえる。そのまま捨て置けば、きっと彼は死んでしまうのだろう。だが、助けたりなどすれば、また侮辱ぶじょくだと嘲笑あざわらうのだろう。

 だからファミラナは、スコーピウスに頭を下げた。そうして、その場から立ち去る。


「ファミラナ! 勝ったんだな!」


 戦闘が終わったことを理解し、レグルスが声をあげた。遠くから静観していた彼は、駆け足でファミラナに近付くと、彼女の肩を見てギョッとする。


「ファミラナ、お前……肩怪我してんじゃねえか」


 レグルスは慌ててマントを差し出そうとするが、ファミラナは首を振った。


「ダメだよ。それは輝術の媒体なんだから、レグルス君が持ってないと」


 ファミラナはポケットからハンカチを取り出す。それを肩に押し当て、止血を試みる。

 ファミラナはちらりと振り返る。スコーピウスの体は未だに呼吸しているようだが、いつまでもつかわからない。

 自分が殺してしまったようで気分が悪かった。だが、本来は慈悲などかけず、そうすべきだったのだろう。心臓がちくりと痛む。


「おい、あれおかしくね?」


 レグルスは麦の塔を指差す。ファミラナも塔を見上げる。

 麦の塔は、身をよじるかのように揺れた。鳥を象った白い光が、塔を貫いて空へと昇る。

 辺りに金色の欠片が降り注いだ。麦穂の束だ。単体では無害であろうとも、それがヒトの頭程の大きさに束ねられたものであれば、激突したらただでは済まない。

 その内の一つが、レグルスとファミラナに襲いかかろうとしていた。

 レグルスは慌ててマントを頭上に掲げ、振った。落ちてきた麦穂の束は、マントにぶつかると絡まりが解れ、放射状に跳ね返される。


「あぶねー……」


 レグルスはため息をつき、ファミラナは身を固くしていた。

 再び塔を見上げる。鳥に貫かれたことが余程痛かったと見える。誰のものかわからない甲高い叫び声が、辺り一帯に響き渡った。


「あの鳥って、白鳩だよな」


「一体、塔の中はどうなってるの」


 レグルスとファミラナは、互いに疑問を投げかける。だが、二人で言い合ったところで疑問が解けるわけではない。

 二人は塔を目指して歩き出した。

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