金色宇宙の泡構造(3)

 マーブラは、キャンディをちらりと横目で見る。

 キャンディもまた、マーブラを横目で見る。

 二人はフルートの重奏を奏でながら、互いの体力を推し量っていた。輝術封じの笛の音ですら崩壊しない麦の塔。今は麦の侵食を食い止めるのが精一杯だ。

 カペラはその横で、アルゲディに詰め寄っていた。


「あなた達、スピカを寄ってたかって虐めて。何なんですか?」


「何って……」


「私、そういうの許せないの。大賢人様って、この国の平和を祈る人達じゃないんですか? こんな情けないことして、恥ずかしくないの?」


 アルゲディは詰め寄られ、すっかりタジタジで、カペラから離れるために後退する。しかし背後には麦の塔がある。背中を塔の壁にぶつけ、寄りかかった。

 カペラはなおも詰め寄ってくる。普段のアホの子気取りはなりを潜めており、語気は荒々しい。


「あなた達みたいな大人、ほんと大嫌い! 自分達のやってることが正義か悪かロクに考えもせず、自分の欲ばっかりで! 輝術が使えたらぶちのめしてやるのに」


 双子の重奏が奏でられている間は、輝術が封じられてしまうのだ。カペラは普段使わないような乱暴な言葉遣いでアルゲディをなじる。見た目からは想像できない荒々しさに、アルゲディはたじろいでいた。


「いや、いやいや、君は御者の子だろ? 俺達大賢人のゴタゴタには、全然関係ないじゃないか」


「関係ないなんてことない!」


 カペラはすかさず反論する。


「私はスピカの友達なの。友達が困ってるのに無視なんてしない。できない。だから私は、私にできることをするの!」


 一瞬、フルートの音が止んだ。キャンディとマーブラが、故意に演奏を止めたのだ。


「御者の賢者、我が名はカペラ・アマルティア!」


 カペラは長鞭ちょうべんを握りしめ、それを頭上に掲げる。鞭を振るい、何も無い空間を叩く。

 光が集まり、それは巨大なチャリオットを作り出す。


「やば……」


 アルゲディの顔が青ざめた。

 次の瞬間、チャリオットがアルゲディに向かって突進した。アルゲディは、すんでのところで身をひるがえす。地面に伏せて、頭を片腕で庇った。

 チャリオットが麦の塔の根元にぶつかる。馬の体が塔にめり込んだ。

 再びフルートが奏でられる。チャリオットは光に戻り、霧散して消えた。


「はあ……これだから子供は嫌いだ……」


 アルゲディは弱々しく呟いた。

 普段であれば、パンパイプを奏でて無理矢理にでもカペラを捩じ伏せるところだが、双子のフルートが邪魔をして輝術が使えない。

 それ以外に戦う術を持たないアルゲディは、逃げるより他になかった。


「カペラ! マーブラにキャンディも!」


 声が聞こえ、カペラは振り返る。

 アヴィオールとアルファルドが、麦の塔に近付いて来るのが見える。カペラは笑顔を浮かべて、大きく両手を振った。


「アヴィ。パパさんも。来ると思ってましたー」


「カペラは怪我してないか?」


「大丈夫。キャンディとマーブラに助けられました」


 アルファルドは、双子の賢者を見遣る。彼らはフルートを吹きながらも、アルファルドの姿を見ると会釈した。

 アルゲディは、カペラ達が談笑している今をチャンスだと思ったらしい。コソコソと逃げようとするが。


「あ、あいつ……!」


 アヴィオールはそれに気付き、アルゲディへと駆け寄った。


「ちょっと、逃げる気?」


 そして彼の腕を掴む。

 アルゲディは目を泳がせながら、蚊が鳴くほどの声で呟く。


「逃げるとかじゃないよ。ちょっと離れたとこから見守るだけ」


「それを逃げって言うんじゃないか」


「うるさいな!」


 アルゲディはアヴィオールの腕を振りほどく。細い腕からは想像できないほどの力に、アヴィオールは驚いた。

 アルゲディは、腹に溜め込んでいたものを、大声にして吐き出し始める。


「逃げてるわけじゃない。俺はそもそも何もできないんだ。

 エルアの時もそうだった。殺された現場を見たのに、子供だからと、当時の俺は相手にされなかった。

 スピカがいなくなった時だってそうだ。捜索は大人の仕事。俺は何もできなかった。

 大人になった今はどうだ? 結局君達の仲睦なかむつまじい様子を見てるしかない。干渉したければ、アルデバランに協力するしかなかった。

 俺は、エルアにも、あの子にも、触れることも近付くこともできないんだよ。ただ遠くから見つめるしかできないんだ」


 淀んだ泥水のように、すくいようがない、行き場のない感情であった。アルゲディは俯く。

 アヴィオールは、彼が何を言っているのか理解できず、その場に呆然と突っ立っていた。

 フルートの演奏が止む。


「ばっかじゃないの?」


 呆れた声を出したのは、マーブラであった。

 皆彼を振り向く。彼は、ヒマティオンの着崩れを直しながら、アルゲディに野次を飛ばす。


「なんかよくわかんないけどさ。自分には何も出来ないから、なんてさ。それ言い訳じゃん。

 コレに加担した言い訳のつもり? だとしたら、自己陶酔じことうすいもいいとこだね」


 マーブラは麦の塔を拳で叩く。中は空洞なのだろう。見た目に反して、軽い音がする。


「干渉したいなら、最初から声をかければよかったじゃん。遠くから見つめて、でも危害は加えてって、自己中もはなはだしいね」


 アルゲディは何も言えない。自分より一回りも年下のマーブラに諭されるとは、思ってもみなかった。

 マーブラは肩を竦めて、アルゲディに提案を持ちかけた。


「てかさ、見てたいなら見てれば? わざわざ隠れなくてもいいじゃん。

 あんた、もう何もする気ないんでしょ?」


「君達に輝術封じられるから。しないというか、できないというか」


「だったら、ここに居れば? まあ、スピカとアヴィの仲を割くなんて無理なんじゃないかな」


 飛び火した言葉に、アヴィオールは顔を赤らめる。自分が話の主軸になると思わず、油断していたのだろう。

 その様子がおかしくて、マーブラはケタケタ笑っていた。つられてキャンディとカペラも笑う。

 アヴィオールは、助けを求めるようにアルファルドを見るが、アルファルドもまたニヤリとほくそ笑んでいた。


「……わかったよ。ここにいる」


 アルゲディは観念したように言うと、麦の塔を背もたれにして、その場に腰を下ろした。

 今後、アルゲディは脅威にはならないだろう。アヴィオールは安堵した。


「あ、あれ……」


 キャンディが呟き、指を差す。

 先程、カペラのチャリオットがぶつかった先。麦の塔の外壁に、大きな穴が空いていた。

 アヴィオールはアルファルドと共に、その穴に入る。

 麦の塔は、時計塔を飲み込んでいる。チャリオットがぶつかった箇所は、時計塔の入口であったようだ。真っ黒に塗り潰された中には、辛うじて壊された扉と階段が見える。


「おー。いいじゃん。ここから登れるね」


 後から入ってきたマーブラは、呑気にそう声をかけてきた。


「君ら、登るんでしょ?」


 マーブラは、アヴィオール達が何をするつもりなのか気付いていたようだ。当たり前のように尋ねてくる。


「これ登るんですか? 下から崩すんじゃなくて?」


「カペラちゃん。それは無理あると思うよ」


 カペラとキャンディが、塔の外から声をかけてくる。

 アヴィオールは時計塔の内部を見上げた。色を失い黒に塗り潰されたその空間は、ブラックホールの中を覗くかのように不気味である。


「あ、君ら気をつけた方がいいよ」


 塔の外から、アルゲディが声をかけてきた。


「エウレカは容赦ないから、多分攻撃してくるよ」


 その言葉通りだった。

 突然、天井から槍のようなものが落ちてきた。アヴィオールはそれを目にした瞬間、慌てて白鳩を呼び出した。

 白鳩は槍にぶつかると、それを貫いた。貫かれた槍は砕け、欠片がハラハラと落ちてくる。

 その全てが、金の麦であった。


「ほらね」


「ほらね、じゃないよ」


 アヴィオールは振り返る。

 白鳩で防ぐことはできそうだ。だが、数本の槍に襲われれば、防ぎ切れないのでは? と、不安を感じる。


「アルフ、あれは大丈夫だったりする?」


 淡い期待を込めて尋ねる。アルファルドの輝術が問題なく発動するのであれば、無理に彼を庇う必要はないのではないかと思ったからだ。

 だが、アルファルドは首を振る。


「乙女の輝術だから、多分駄目だな……」


「だよね」


 アルファルドは苦笑いし、アヴィオールはため息をつく。

 再び槍が襲ってきた。アヴィオールは白鳩で槍を砕く。やはり槍は麦で作られていた。真っ黒な床に、金色の葉がパラパラと降る。


「じゃあ、やっぱり私達がフルートを……」


 キャンディはマーブラの顔を見上げる。

 しかし、アルゲディがそれに反対した。


「いや、やめた方がいいんじゃないかな」


「何で?」


 マーブラが問う。アルゲディは淡々と説明した。


「アルデバランが、この上にいるはずだよ。あいつ、何処で学んだか知らないけど、剣術を身につけているらしいんだ。輝術がなくても、ある程度戦えるんだよ。

 船の賢者君も、海蛇の賢者君も、生身じゃ戦えないんでしょ? なら、輝術を封じられるのはマズいんじゃない?」


 アヴィオールは腕組みし思案する。

 今まで困ったことになると、白鳩を頼りにしてきた。それが封じられるとなると、襲われた際に何もできず殺されてしまうだろう。

 アルファルドの輝術は、大賢人の術による攻撃には効果がないが、刺し傷切り傷なら問題なく発動してくれる。ただの剣による攻撃であれば、アルファルドの輝術をアテにしても良いだろう。


「それに、そんなにあの攻撃が困るなら『やめてください』って手紙飛ばしてみればいいし」


 アルゲディが突拍子もないことを言い出した。その場にいた皆が「はあ?」と間の抜けた声を出す。

 アルゲディは、アヴィオールの顔を指さしてこう言った。


「君の輝術は鳩でしょ。伝書鳩に使えって言ってんの」


「え? 伝書鳩?」


 アヴィオールは白鳩を呼び出す。白鳩はアヴィオールの肩に乗って、じゃれるように彼の頬を甘噛みした。

 この白鳩は、災いを打ち消してくれる、いわば守護霊のようなものだ。手紙を運ぶなどといった術の使い方は教えられたことがない。


「知らない? 伝書鳩」


「いや、知ってるけど、この子をそんな風に使ったことなんてないから」


 アヴィオールは白鳩を見る。白鳩は、どうやらアヴィオールの胸中を理解しているようであった。


「やってくれる?」


 アヴィオールは、ポケットの中から紙片を取り出す。それは日記の断片。レグルスから受け取った紙切れであった。

 白鳩はそれをくちばしで咥える。羽ばたいて浮かび上がると、時計塔の天井を見上げた。


「船を導きし賢者、我が名はアヴィオール・リブレ。

 白鳩よ、僕らの行き先を導いてくれ」


 アヴィオールは上空を指差す。

 白鳩はその言葉を聞くと、猛スピードでカオスの中を貫いた。

 空を目指し、カリヨンを貫き、天井を貫く。黒の中に、一筋の光。強く煌めいて、やがて消えた。ややあって、発光する白い羽根が、ひらひらとアヴィオールの手まで落ちてきた。


「スピカのとこまで行っただろうか」


 アルファルドは呟く。


「行く。いや、行かせる」


 アヴィオールは力強く応える。

 疑いながらも飛ばせた白鳩だったが、不思議と自信が胸の内に溢れてきた。きっと届く。そう信じる。


「自分達も行こうか」


「そうだね」


 アルファルドの言葉に、アヴィオールは同意する。美術館である一階を横切り、部屋の奥にある螺旋階段の登り口に立つ。

 足場はぼんやりとしか見えない。手すりも、目を凝らさなければ何処にあるかわからない。落ちないように気をつけなければ。


「アヴィ!」


 カペラがアヴィオールを呼んだ。アヴィオールは振り返る。


 カペラが、マーブラが、キャンディが、そこにいる。友人達は、アヴィオールを信じて笑いかけてくる。


「ちゃんと、スピカちゃんと戻ってきてくださいね」


「うん。絶対ね」


 アヴィオールは笑ってそう返す。


 アルファルドと並んで、階段を上る。

 リフトが動いているか、時計塔の頂点より上はどう登るか、それを考えるのは今は止めだ。

 少しでも早く、スピカの元へ辿り着きたい。その思いを抱いて、アヴィオールは階段を上る。

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