金色宇宙の泡構造(2)

 足元は硬く、麦穂が幾重にも編み込まれていることがよくわかる。

 辺りは一面金色の化粧をほどこされており、舞い上がる光は空に登って消えていく。それが、この星の光だと理解するのに時間はかからなかった。

 アヴィオールは、アルファルドと共に麦の塔を目指す。


 カオスと麦穂の波に飲まれ、随分と遠くまで流されてきたようだ。どれだけ歩いても、塔はただひたすらに高く大きく、近付いているという実感が得られない。


「どこだ! 返事をしろ!」


 声が聞こえた。アンナの声だ。


「アヴィ、待ってくれ」


 アルファルドは、アヴィオールに声をかけ辺りを見回した。

 すぐに見つかった。右手側だ。アンナは四つん這いになって麦穂を掻き分けながら、床に向かって叫んでいる。


「アンナ、どうした」


 アルファルドはアンナに駆け寄る。

 アンナはアルファルドを見ると驚愕きょうがくした。


「アルフ! アヴィも! よかった、生きていたのか!」


「ああ、何とかな」


 アンナは、盟友が無事であったことにほっと胸を撫で下ろす。だが、すぐに足元を見つめ、いぶかしむように呟いた。


「じゃあ、この下にいるのは誰だ……?」


 先程まで、足元をナイフで掘り起こしていたらしい。太腿に突き刺さっていたナイフは抜かれ、今は麦穂の床に突き刺さっている。


「アンナ、血が……」


 アルファルドは指摘する。

 アンナの太腿からはダラダラと血が流れている。そのままにしてはおけない。

 アルファルドは上着を脱いで、アンナの太腿を縛った。止血としては効果が薄いが、ないよりはマシだろう。


「私のことはいい」


「お前な……」


 アンナが手当を受けている横で、アヴィオールはナイフが突き刺さっている一点に目を向けた。

 アンナは麦を掘り起こそうとしていた。そして、あの台詞。容易に状況判断ができた。


「ねえ、この下、誰かいるんですか?」


 アヴィオールはアンナに問いかける。アンナは頷いた。


「ああ。この下から微かに声が聞こえてきたんだ。はっきりとしたものではなかったから、誰かはわからない。てっきりアルフか誰かかと」


 アヴィオールは膝をつき体を丸め、麦穂の床に耳をあてた。

 暫くは何も聞こえてこなかった。だが、麦穂が蠢く音の中に、微かに声が混ざり始めた。


「すけて……だれか……」


 女性の声だ。


「カペラ……? いや、違う……」


 真っ先にカペラの顔が頭を過ぎるが、今聞こえているのは大人の声のようである。誰なのか全く検討がつかず、アヴィオールは眉を寄せた。


「早く助けてやらなければ……」


 アンナは言う。

 アヴィオールは立ち上がり、足元を指さす。そして、指先から白鳩を呼び出した。

 白鳩は麦穂にぶつかり、引っかかることなく突き抜けた。白鳩が突き抜けた箇所に穴が空く。ヒト一人なら入れるくらいの穴だ。

 アヴィオールは穴を覗き込んだ。


「いた!」


 穴の奥底に女性がいた。

 狼の耳に銀の髪。リュカが麦穂に手足を絡ませて囚われていた。


「た、助けて……」


 リュカはアヴィオールを見上げて言う。

 アヴィオールは、声の主がリュカだとわかると救助を躊躇ためらった。

 リュカがいなければ、アルデバランに殺されかけることはなかった。少なからず、リュカに対して憎悪を抱いていた。

 だが、


「アヴィ、お手柄だ」


 アンナはそう言って、アヴィオールの肩を叩く。


「今助ける。待ってろ」


 アンナは何の躊躇ためらいもなく、穴の中へと下りようとした。それにアルファルドが制止をかけた。アンナの襟元を掴んで引き止めたのだ。


「怪我人が無茶をするな」


「ぐえ……」


 首が締まり、カエルのような声を出しながら、アンナは後退する。

 代わりにアルファルドが穴へと下りていく。口にナイフを咥え、絡まった麦の束を足掛かりにして、リュカが待つ穴の底を目指す。

 程なくして、穴の底にやってきた。アルファルドは、リュカに絡まっている麦の葉をナイフで切り、彼女を解放した。


「大丈夫か?」


 アルファルドに声をかけられ、リュカは頷いた。きっと恐ろしかったのだろう。彼女の瞳は潤んでいた。

 両手首、両足首に絞められた痕が残っているものの、大きな怪我はなく、リュカは自分の力で穴を上る。命綱がないことに恐怖を感じたようだが、しっかりと足場を踏み締めて、危なげなく穴の外へと這い出した。


「何で……」


 アヴィオールは、リュカを見下ろして呟く。


「何でこいつを助けなきゃいけないんだ……」


 リュカはその言葉に身を縮こませた。


「こいつのせいで、スピカが連れて行かれたし、僕は殺されかけた。今こんな状況になってるのだって、こいつらのせいでしょ。助ける義理なんてないじゃん」


 アヴィオールはそう吐き捨てる。彼の怒りはもっともだ。

 大賢人に囲まれて、スピカが転んで……だがあの時、アヴィオールには逃げる意志があったのだ。リュカが逃げ道を塞がなければ、もしかしたら逃げられたかもしれない。そう考えてしまうのも仕方ない。

 リュカは弁解しようと口を開く。だが、弁解の言葉が思い浮かばない。

 アルファルドが穴から這い出てくる。彼はリュカの正面に屈み込むと、彼女の顔を平手打ちした。


「ひっ……」


 リュカは殴られた頬を押さえて、怯えた目でアルファルドを見つめる。

 だが、アルファルドがそれ以上何かすることはなかった。


「これであいこだ。いいな」


「納得いかない。何だよそれ」


 アヴィオールは抗議する。だが、アルファルドの考えは変わらない。


「確かに、こいつがいなければ結果は違ったかもしれん。だが、こいつだって被害者みたいなものだ。

 アルデバランの仲間なら、こんなとこに捨て置かれることはないだろう」


 アルファルドはリュカを見遣る。言葉は冷たいものであったが、それは事実だ。リュカは痛感していた。


「気付いたら埋もれてて、ああ、私捨てられたんだって。結局私は捨て駒なんだって、ようやく気付いた。ごめんなさい……」


「だとしても……」


 納得できないアヴィオールの言葉を、アンナが遮る。


「ありがとう。君たちのお陰で助けることができた」


「いや、その」


「私にできることがあればいいが、私はこの通り、動くこともままならん」


「アンナさん」


「アヴィ」


 アンナは一際大きな声を出す。アヴィオールは思わず口を噤んだ。


「そもそも、スピカが転んだ時点で詰んでいたんだ。むしろ、私やレグルスが上手く立ち回っていれば、あんな状況は起きなかった。恨むなら私達を恨め」


「……そんなこと……できないよ」


 アンナは肩をすくめる。


「じゃあ、反省している彼女をこれ以上責めるのも辞めなさい」


 アヴィオールは何か言いたげに口を開くが、アンナはそれを見て更に言葉を被せてくる。


「恨むのは自由だ。だが、これ以上責めて何になる。恨み言に時間を取られるより、目の前の問題に時間を割くべきではないか?」


 アンナは麦の塔を指さした。

 今は双子の輝術によって食い止められている麦の成長も、双子の重奏が途切れてしまえば、また動き始めるだろう。

 アヴィオールはリュカを見る。リュカは麦の塔を見て顔を青くしていた。


「こんなことになると思ってなかった?」


 アヴィオールは問いかける。リュカは小さく頷いた。

 言いたいことは山ほどある。だが、他人を責めることで得られるのは優越感のみ。今はそんなものいらないと、アヴィオールは考え直した。


「アルフ、ごめん、時間取らせて」


「行こう」


 歩き出した二人を引き止めるように、アンナはアルファルドの手首を掴む。アルファルドは立ち止まって振り返った。


「何があるかわからん。これを持っていけ」


 アンナは、鞘に入った剣を差し出す。愛用しているサーベルとは違う。ロングソードのようだ。


「私には愛刀だけで十分だ」


 アンナはそう言って、腰に差したサーベルを撫でる。

 アルファルドは剣を受け取る。持て余しているのだろう。しげしげと眺める。


「剣をやめたのは、もう二十年も前だ……」


「だが、ないよりはマシだろう?」


 アンナはニカッと笑って見せた。


「あの……」


 リュカが控えめに声を出す。

 その場が静まり返る。沈黙が痛いほど刺さるのを感じながら、リュカは勇気を振り絞った。


「あの方を……アルデバラン様を……止めてください……」


 消え入りそうな声だった。

 アルファルドも、アヴィオールも、返事をせずに踵を返す。黙って麦の塔へと向かう二人を、リュカは見つめる。


「一時的には許しただろうがな。恨みが消えたわけではないぞ」


 アンナの一言が、リュカの背中に伸し掛る。リュカは黙って頷いた。

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