金色宇宙の泡構造

金色宇宙の泡構造

 金色の光が降り注ぐ。

 多幸感に埋もれて、アヴィオールは眠っていた。

 頭が酷く痛む。体が痺れたように動かない。だが、そのようなことがどうでも良くなるくらい、麦畑に埋もれているのが幸せだと錯覚する。

 このまま起き上がれなくてもいいのではないか。そう間違えてしまう程に。


「ねえ、起きて」


 声をかけられた。

 目を開けることができない。だが、瞼の裏には、とある人物の姿が見えた。

 ストレートの黒い髪。丸く赤い瞳。彼女は確か。


「エルアさん……?」


 アヴィオールは呟いた。

 先代の乙女が、瞼の裏に佇む光景。これは夢なのだろうか。

 魂は、タルタロスでいぶされたら石屑と成り果ててしまう。エウレカがタルタロスでの役目を放棄しているために、光が星を循環することはできないはず。

 なら、目の前にいる彼女は何なのだろう。亡霊とでも言うのだろうか。


「このまま寝かせてよ。目を開くのが億劫おっくうなくらい、今幸せなんだ」


 そう言い訳をして、夢の中に落ちていこうと意識を手放す。だが、エルアはそれを拾い上げて、寝かせてくれないのだ。


「お願い。スピカを助けて」


 勝手なことを言うものだ。

 レオナルドにはスピカを殺せと伝え、日記にもそう遺していたではないか。今更助けて欲しいとは、何のつもりなのか。


「大人はみんな身勝手だ」


 アヴィオールは言う。


「殺せと言ったり、助けろと言ったり。コロコロと考えを変えてさ。振り回される僕らの身にもなってよ」


「……日記を読んだのね。でも違うのよ」


 エルアは微笑む。


「最後はスピカが選び取らなきゃいけないから。あの子の選択の手助けをしてほしいの」


 選び取るとは、どういうことなのか。


「お願い。あなたにしか頼めないわ」


 エルアはそれだけ言い残し、アヴィオールの視界から消えていく。


 アヴィオールは目を開く。今自分が居る場所がわからず、ぼんやりと黒い空を見上げた。


「アヴィ、大丈夫か?」


 アルファルドが問いかけてくる。アヴィオールは、アルファルドの顔を視界に捉え、何度か瞬きをした。

 突然、思考が明瞭めいりょうになる。多幸感は不意に消え、慌ててガバと体を起こした。

 賑わっていたクラウディオスの街並みは、今やカオスと麦畑に埋め尽くされて、跡形もなくなっている。

 否、見えなくなっているだけで、おそらく麦畑の下に埋まっているのだろう。

 アヴィオール達が居るのは、麦穂を束ねた床の上。街より一段高い場所に居るのだろうか。


「アヴィ、大丈夫なのか?」


 レグルスの声に、アヴィオールは振り返る。

 そこにはレグルスとファミラナがいた。ファミラナは未だ目が覚めないのだろう。麦穂の上に寝かされている。

 仲間の姿が足りない。カペラは何処だ? マーブラとキャンディは何処だ?


「みんなは?」


 アヴィオールが尋ねると、レグルスはとある場所を顎でしゃくって示した。そちらの方へ目を向ける。

 星月の光が消え去った真っ黒な空。ブラックホールのような、底知れない闇を映し出す夜天。その空を貫くかのように、金色の塔がそびえ立っていた。

 美しい。そして、禍々まがまがしい。


「マーブラとキャンディがな、少しでも、あの塔が伸びるのを邪魔しようってんで、塔の足元でフルート吹いてる」


「邪魔できるの?」


「……焼け石に水だ。あんなのどうにかしようなんて、無理だろ」


 麦の塔は、今は息をひそめていた。しかし、それだけのことだ。輝術封じの輝術であるフルートの重奏を受けても、完全に打ち消されることはない。それだけ強い輝術なのだろう。

 あれが、スピカの中にあった力だと言うのか。それとも、エウレカにあった力なのだろうか。

 そのようなことは、今はどうでもいい。


「どうにかしないと」


 アヴィオールは呟く。


「どうにかって、どうするんだよ」


「わからない。けど……」


 アヴィオールは首を振る。焦げて縮れた数本の髪が、パラパラと落ちる。

 自分に何ができるのか、わからない。だが、やりたいことは変わらない。


「スピカのところに行く」


「はあ?」


 レグルスは塔を見上げた。続いてアルファルドも。

 時計塔より遥かに高い塔。何処にスピカが居るのかわからない上、アルデバランやスコーピウスが内部にいる可能性は高い。危険ではないか。


「居るとしたら、頂上だろうな」


 アルファルドは言う。


「どうして?」


「あの高い塔の頂上まで、簡単には辿り着けないだろう。おそらくスピカは……いや、エウレカは、誰も立ち入ることができない頂上で舞っている」


 アルファルドは塔を指差す。

 麦穂でできた塔は、風がないにも関わらず、先端を揺らしている。エウレカの意思で、麦穂を操っているのだろう。


「アヴィ、本当に行く気か? 麦穂に振り落とされるかもしれんぞ」


 普通なら無理と回答するのだろう。だが、腹は決まっていた。


「それでも行くよ」


 アヴィオールは言う。

 「行かなければ」ではなく、「行きたい」のだ。怯みはしたが、迷いはない。


「愚問だったな。自分も、娘を奪われたまま黙っていられん」


 アルファルドが言う。

 先程は怯んだかのような物言いをしていたが、彼もまた覚悟を決めていたようだ。


「俺も」


 レグルスも共に行くつもりであったが、アヴィオールは首を横に振った。レグルスは眉を寄せる。


「レグルスはファミラナについてあげて。まだ目、覚めてないでしょ? 目が覚めた時に誰もいないのは、きっと心細いよ」


 レグルスはファミラナを振り返る。

 麦穂の上に横たわる彼女は、具合が悪いのだろう、顔を歪めて目を閉じている。すぐには目を覚まさないだろうが、確かに一人残すのは可哀想だ。


「なら、代わりにこれを持って行ってくれ」


 レグルスは言い、ポケットから一枚の古びた紙切れを取り出した。小さく折り畳まれたそれは、クシャクシャに皺がついており、ゴミのようにも見えた。


「何? これ」


「日記の断片。今日の夕方、ようやく解読したんだよ」


 アヴィオールは目を見開く。紙切れを広げ、皺を伸ばし、目を通す。

 紙切れに書かれていたのは、現代の言葉で書かれた育児日記であった。書かれた日付から推測すると、始めの頁であると思われる。

 育児日記に重ならない余白部分に、小さく文字が書かれていた。日記を書いた者とは違う、不格好な文字。インクは新しいもののようである。新品独特の臭いが鼻を突いた。


「解読したんだ。その結果がそれ。『エウレカを咎めるも許すもあなた次第。選択しなさい』だとさ」


「エウレカを……許す……」


「許せるわけねえだろ。こんなことしておいてさ。

 だけど、エルアさんがスピカに残した言葉だ。渡してくれ」


 アヴィオールは暫く日記を見つめていたが、やがてそれを元の通りクシャクシャに折ってポケットに突っ込んだ。

 再度塔を見上げ、そしてアルファルドに目を向ける。彼もまた塔を見つめていた。


「アルフ、行こう」


「ああ」


 アヴィオールは、アルファルドと共に歩き出す。一度、ちらりと振り返って、レグルスに片手を大きく振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る