降り注ぐ夜天光(4)

 アンナは息を切らしていた。

 目の前に佇むのはリュカである。グリードとの戦闘の後、抜け道を使ってここまで来たらしいが、体中が傷だらけであるにも関わらず、それを感じさせない程に機敏きびんな動きを見せていた。

 ここは時計塔の一階。動きを止めたからくり人形は、じっと二人の戦いを見つめている。

 アンナはサーベルを上向きに構え、リュカの動きを待つ。リュカもまた、ナイフを逆手に構えてアンナの動きを待っていた。

 日はすっかりと落ちており、時計塔内部は非常に暗い。明かりと言えば、月の光が窓から差し込んでいるくらいで、薄らと人の姿が見えるのみである。


「レグルス、ファミラナの具合は?」


「ファミラナ、大丈夫か?」


 アンナの後ろで、レグルスがファミラナを抱き抱えていた。

 ファミラナは胸元を押さえて激しく呼吸している。脳震盪のうしんとうを起こしているらしく、焦点の合わない瞳は左右に揺れていた。目を回している。


「この分だと、テレパシーは無理だ」


 レグルスはアンナに向けて言う。

 ファミラナはテレパシーを試しているのだろう。時折ファミラナの体から光が舞うが、それはすぐに消えて落ちる。

 輝術をまともに使うことさえできない悔しさに、ファミラナは歯を食いしばった。


「レグルス、ファミラナを連れて逃げろ」


「わかった。ファミラナ、行くぞ」


 レグルスはファミラナを横抱きにしてマントを羽織る。

 仲間達と、時計塔で落ち合う約束をしていた。早くここから逃げ出して、仲間に合流しなければ。気が焦る。

 立ち上がって、時計塔の入口に顔を向けたその時だ。


「何処へ行くつもりだ」


 地を這うような低い声とともに、雷が炸裂した。レグルスは反射的に身を翻し、迫る雷にマントをぶつけて跳ね返す。

 辺りが眩しく照らされる。レグルスは目を丸くし、声の主と対峙した。

 アルデバラン・ディクテオン。牡牛の大賢人が、入口の扉に寄りかかり、腕組みをしていた。


「お前も来たのかよ」


 レグルスは舌打ちし、アルデバランの姿を睨み付ける。

 雷の閃光はからくり人形に落ち、それらを焼き焦がす。燃え上がる人形が辺りを赤く照らした。

 レグルスは人形をちらりと見る。このままでは、あっという間に一階全域が炎に包まれてしまう。


「そこどけよ」


 レグルスは怒鳴る。怒気を込めたつもりだが、子供のそれは癇癪かんしゃくにしか見えず、アルデバランはくつくつと笑った。


「今夜この星が滅びるというのに、今更何処へ逃げると言うんだ」


「今頃スピカは」


「アルフに助け出されてると?」


 レグルスは言葉を遮られ、喉元まで出ている声を生唾とともに飲み込んだ。

 助け出されているというのは、あくまでレグルスの希望でしかない。時計塔から見る景色では、宮殿がどうなっているのかわからない。

 やきもきしてした。苛立っていた。

 そもそも、レグルスが解き明かした日記の伝言をスピカに伝えなければ、カオスを遠ざけることができないのだ。

 自分達は逃げなければならない。レグルスは冷静になろうと意識した。

 アルデバランは、再び雷を繰り出すべく光を纏わせる。彼の手のひらに、バチバチと稲光が集まる。


「ファミラナ、一瞬でいい。アルデバランにテレパシー送れるか?」


 レグルスはファミラナに耳打ちする。ファミラナはアルデバランをじっと睨みつけ、テレパシーを送る。「そこをどけ」と。

 烏の輝術は、テレパシーとともに寒気を送る。アルデバランは背筋に寒気を感じ、気が緩んだ。手のひらに集めた雷が暴発したように、辺りに稲光が飛び散った。

 レグルスはファミラナを抱えたまま、アルデバランに向かって走る。その向こうにある扉へと、隙を突いて突破しようと……


「舐められたものだな」


 アルデバランは腰からロングソードを抜き、振り下ろす。レグルスは自身の危険をかえりみず突っ込んでいく。

 ほんの少し刃の軌道がズレていたら、頭を割られていただろう。レグルスは寸前で身を屈めてかわし、開け放たれた扉から飛び出した。

 バランスを崩し、転びそうになる。レグルスは無理に体を捻り、ファミラナの頭を両腕で抱える。

 右肩を地面に打ち付けた。服の繊維が摩擦によって肌と擦れ、熱を帯びる。痛みに顔をしかめた。


「やるじゃないか」


 アルデバランは笑う。だが、その目はどこまでも冷たい。

 明るい程の満月が光を落とす。アルデバランの体が逆行で真っ黒に見えた。深紅の双眼のみが、黒い中でギラリと光る。

 レグルスは体を起こし、ファミラナの腕を引き寄せる。だが、


「戦わず逃げるとは、感心しないな」


 レグルスの脹脛ふくらはぎに、ロングソードが深々と刺さる。


「ぐっ……」


 鋭い痛みを感じ叫びそうになるが、歯を食いしばってそれを堪えた。

 剣が抜かれる。たちまち鮮血が傷口から溢れ出す。

 アルデバランは、剣の先で獅子のマントを弄んだ。無理矢理穴をこじ開けられ、乱暴に裂かれてしまう。

 脚が動かないわけではない。だが、動けば何をされるかわからないという恐怖で動けない。

 レグルスはファミラナに覆いかぶさり、彼女だけでも守ろうとした。


「お前達が、日記を持っているのだろう?」


 アルデバランが問う。レグルスは、真っ暗で見えないアルデバランの顔を睨みあげた。


「持ってたら何だ」


「ならば、日記ごとここで燃やしてやるまでだ」


 その声にレグルスは息を飲む。

 時計塔内部でリュカと対峙していたアンナが、弾かれたように振り返った。


神成かみなりの賢者、我が名はアルデバラン・ディクテオン……」


 アルデバランの手のひらに、再び稲光が集まっていく。

 足元から光が吸い上げられていく。光が枯渇した大地は、たちまち色を無くしていく。代わりに広がるのは、純粋な黒。夜より、闇より、純粋な漆黒だ。

 レグルスは痛む脚を必死に動かし、ファミラナを引っ張り起こす。ファミラナもまた、朦朧もうろうとしていた意識を引っ張り起こしてレグルスの腕にすがる。


「やめろ!」


 アンナが、リュカから目を離した。サーベルを下向きに構えて、アルデバランへと駆けていく。

 リュカが動く。ナイフを素早く投擲とうてきした。アンナの太腿にナイフが突き刺さる。アンナは不意の痛みに息を飲み、バランスを崩した。

 その隙を見逃さず、リュカはアンナの背中に伸し掛る。二人は折り重なるように倒れた。


「離れろ!」


 アンナの体に光が集まる。触れた相手の危機を読み取る能力は、ヒトに触れるだけで否応なしに発動してしまう。

 何を見たのか、それはさして重要ではない。それよりも深刻なのは、その術がカオスを助長してしまっているということ。

 広がる黒は勢いを増し、時計塔の内部まで侵食する。燃え盛っていた人形達は、炎という光を失い、黒に包まれた。


「落ちよ、霹靂へきれき


 一瞬の煌めきの後、天から雷が落ちた。同時に、空気が割れてしまう程の轟音が辺りに響き渡る。

 あまりの眩しさに、皆息を止め、目を塞いだ。


「白鳩よ!」


 白鳩が雷と交差する。ぶつかりあった瞬間、両者は霧散して消えていく。

 レグルスは目を見開く。


「お前ら……」


 アヴィオール、アルファルド、カペラの三人が、目の前に立っていた。スピカはぐったりと、アルファルドの背中に背負われている。

 アヴィオールは息を切らしている。雷に打たれようとしているレグルスを見て、慌てて駆けつけたのだ。

 レグルスにとっては、助けでありながら絶望でもあった。アルデバランとスピカを会わせたくなかった。


「お前ら逃げろ!」


 レグルスはファミラナを立たせて叫んだ。

 アルファルドがいち早く言葉の意味に気付く。雷の鋭い光が照らした先、そこにアルデバランの姿を見つけたからだ。


「カペラ、いけるか?」


「ダメです。アンナさんをいちゃう」


 カペラは輝術を使うことを躊躇ためらう。アンナがリュカに組み伏せられているのを見たのだ。

 アルファルドも言われて気付き、顔を歪める。

 アンナはアルファルドを見た。上目でリュカに目をやり、再度アルファルドに目を向ける。

 アルファルドは意味を理解した。躊躇ためらいはあるが、仕方ない。大賢人の指示だと割り切るしか……


「一旦引くぞ」


 アルファルドは、アヴィオールとカペラに声をかける。


「え、でも、レグルス達は……」


 アヴィオールは言葉を洩らす。

 アルファルドはレグルスに目を向ける。ファミラナを連れて、彼は逃げられるだろうか。捨て置くしかないのだろうか。

 だが、全ての選択が取り上げられた。


「逃げる必要が何処にあるんだい?」


 背後からスコーピウスの声が聞こえた。アルファルドが振り返る。

 スコーピウスは、近衛兵を五人連れて、そこに立っていた。彼はレオナルドと戦っていたはずではなかろうか。あまりに早すぎる。

 彼の体には、煌めきがまとわりついていた。輝術の効果がまだ続いているということなのだろう。その足の速さで、ここまで駆けて来たのだろうか。


「久しぶりに体を動かしたら疲れたよ」


 等と言いながらも、飄々ひょうひょうとしている。


さそりの大賢人さんなら、私いけます。アヴィは牡牛の大賢人さんを」


 カペラが名乗りをあげる。スコーピウスが相手であれば、チャリオットを召喚することに迷いはない。

 アヴィオールは再びアルデバランを見た。いつでも白鳩を呼び出せるように集中する。


「二人のことは任せて。アルフは隙を見て逃げて!」


 アヴィオールはアルファルドに言う。

 アルファルドは「すまない」と一言こぼし、抜け道がないかと探る。しかし、


「みんな早くない? もう来たんだ?」


 夜の闇の中から、アルゲディが現れた。彼も近衛兵を幾人か連れているが、それだけではなかった。

 近衛兵の二人が、それぞれ子供を抱えている。その髪は、夜に浮かぶ星の色合い。

 気を失ったマーブラとキャンディが、近衛兵に抱えられていたのだ。


「こいつらの輝術、俺の邪魔ができる唯一の術だからさ、苦労したよね」


 覇気のない小さな呟きであったが、静寂に包まれた夜の中ではよく聞こえた。近衛兵は、双子を乱雑に地面へと転がす。

 額から血が出ている。殴られ、傷付けられたのだろう。双子の様子を見て、アルファルドは怒りアルゲディを睨みつけた。年端もいかない子供相手にここまでするのかと。


「状況はお前達が不利なようだな。どうする」


 アルデバランは問う。

 三方向を囲まれ、こちらは怪我人が多数。対して、敵方は無傷の者が多い。

 アヴィオールはカペラに耳打ちする。


「あの山羊魚やぎを狙って」


山羊魚やぎの大賢人さんを?」


「あいつの術が一番厄介なんだ。他二人はどうにでもなる」


「でも、マーブラとキャンディが……」


「僕がどうにかする。スコーピウスの方は、アルフなら大丈夫でしょ?」


 アヴィオールは、それぞれの術の特性を考え、なるべく被害を抑えるべく提案する。

 だが、アヴィオールは知らないのだ。


「自分の術は、大賢人の前には無効だ」


「……え?」


「すまない。お前の策は使えない」


「嘘でしょ……」


 スコーピウスが、アルゲディが、じりじりとにじり寄ってくる。それに合わせて、アヴィオール達も追いやられていく。

 レグルスの近くまで来た。レグルスはファミラナを抱いて、破れたマントを握りしめている。

 追い詰められていく。時計塔の中へと追いやるように誘導される。


「スピカ、お前は動けるか?」


 アルファルドに問われ、スピカは目を開く。

 体が酷く重い。輝術の光を耐えず浴びているせいで、指先さえ重くて仕方ない。

 だが、自分が呼ばれたということは、もう後がないのだとスピカは理解した。


「合図をしたら走れ」


 スピカは、返事の代わりにアルファルドの服を強く握った。

 仲間を気にかける余裕がない。

 自分一人が逃げたところで、状況が良くなるとは限らない。

 そもそも走れるのか……立てるのかすらわからない。


「アヴィ、スピカを頼む」


 アルファルドはアヴィオールを横目で見る。アヴィオールは何も言わず頷いた。

 スピカはアヴィオールに手を伸ばした。互いに強く握る。

 アルゲディがパンパイプを唇に宛てがう。その瞬間。


「ファミラナ!」


「はい……!」


 ファミラナは気力を振り絞り、アルゲディにテレパシーを送る。一言「やめろ」と。

 寒気を感じたその一瞬、アルゲディは驚きから硬直した。パンパイプが手から離れ、地面に落ちる。


「カペラ!」


「了解です!」


 カペラは鞭を振るう。チャリオットが放たれた先はスコーピウスだ。

 スコーピウスは軽々とチャリオットを避ける。その後ろに控えていた近衛兵はチャリオットにかれてしまうが、それに構う様子はない。


霹靂へきれきよ!」


 アルデバランの声が、空気を貫く。

 暗雲が垂れ篭め、唸り始める。次の瞬間、雷が幾本も降り注いだ。


「レグルス!」


「どうなっても知らねーぞ!」


 アルファルドの声に合わせ、皆身を屈める。

 レグルスだけは立ち上がり、破れたマントを旗のように、頭上に掲げはためかせた。

 一本の雷がマントに触れた瞬間、それは弾けて反射した。雷は暗雲を下から貫き、両者は光となって霧散する。


「行け!」


 アルファルドはスピカから手を離す。スピカは倒れそうになる体を気力で支えた。

 アヴィオールが立ち上がり手を引いた。スピカは引っ張られるようにして立ち上がる。

 二人は走り出した。何処に逃げるか等、考えていない。考えるよりも先に、足を動かしていた。


「逃がすか!」


 雷が再び襲い掛かる。アヴィオールの頭を目掛けて落ちてくる。

 アヴィオールは片手を振り、白鳩を呼び出した。雷は白鳩に防がれ、両者は光となって霧散する。

 

 スピカが目眩を起こす。途端に足がもつれた。その場に転ぶ。

 繋いだ手が引っ張られ、アヴィオールの体もその場に倒れた。


「スピカ、起きて。逃げるんだ」


 スピカの意識はほとんどなく、瞳はぼんやりと地面を見ていた。

 アヴィオールはスピカを抱き上げる。抱えてでも逃げようと立ち上がる。

 だが、正面にリュカの体が上空から落ちてきた。一瞬のうちにアンナから離れ、アヴィオールの前に立ち塞がったのだ。

 リュカは獣のように、耳と尾を立てて威嚇する。目の前の二人の子供に、怒りの感情をむき出して唸っていた。


「茶番は終わりか?」


 背後にヒタリと恐怖が張り付く。アヴィオールは、恐る恐る振り返った。

 アルデバランがアヴィオールを、その腕に抱かれたスピカを、じっと見下ろしていた。

 終わりだ。もう逃げるすべがない。


「絶対に渡さない」


 それでも、腕の中のスピカを渡すまいと、強く抱きしめる。スピカもまた、それに応えるように、アヴィオールの腕を強く握った。


「くだらん」


 アルデバランの手に光が集まる。

 アヴィオールもまた、白鳩を召喚した。だが、この近距離では間に合わない。

 頭を捕まれ、直接、雷を流し込まれた。バチンと、音が弾ける。

 声が出せぬまま、アヴィオールの身体がぐらりと倒れる。力を無くした腕から、スピカの体が落ちた。


「スピカ! アヴィ!」


 アルファルドが声をあげる。

 カペラが息を飲む。


「クソ野郎が!」


 レグルスは、気を失ったファミラナを抱えたまま、アルデバランを罵った。

 アヴィオールの意識はない、辺りに焦げた髪の臭いが漂う。生きているのか、死んでいるのか、判別がつかない。

 白鳩は、溶けるようにして消えてしまった。


「アヴィ……?」


 スピカは、朦朧もうろうとする意識の中、手探りでアヴィオールの姿を探す。

 視界は真っ暗で何も見えない。先程まで確かに温もりを感じていたはずなのに、今は何も無い。


「手こずらせおって……」


 スピカの手がアヴィオールの頬に触れた瞬間、その手を捕まれ引き離された。

 アルデバランは、スピカを無理矢理立たせた。


「いや」


 掠れ声を絞り出して一言もらす。だが、抵抗することも、歩くことすらもままならない。地面に膝を擦って傷をつけ、血が滲む。

 体中が怠くて仕方ない。指一本さえ動かせない。ただ引き摺られるまま、スピカは時計塔の中へと。


「くそっ」


 アルファルドが走り出した。娘を助けたい一心だった。だが、それを許してくれるはずがない。

 サテュロス達が、アルファルドの背中を羽交い締めにする。右腕、左腕をそれぞれ一人づつが掴み、背中側に捻りあげる。

 骨が外れようと構わないと、アルファルドは無理に抜け出そうとする。しかし。二人の男にねじ伏せられていては力が適わなかった。


 アンナは体を起こそうとしたが、立ち上がれない。ナイフが突き刺さった太腿が酷く痛む。抜けば大量出血は免れない。


 レグルスもカペラも、サテュロスの近衛兵に囲まれ身動きが取れなかった。


 助けは来ない。


「で、日記には何が書いてあったの? スピカは、まじないがどうとか言ってたけど」


 アルゲディがレグルスに問いかける。レグルスは、アルゲディに日記を投げて寄こした。

 全てのページは、バラバラに引き裂かれていた。解読のための書き込みで、元の字が読み取れない程に汚れている。


「あんたらの知りたいことは、なんもねえよ」


「無理に聞き出すこともできるんだよ?」


「今更そんなことする必要もねえだろうが」


 絶望を帯びた声で、レグルスは呟く。


 逃走劇は終わりを迎えた。

 負けたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る