降り注ぐ夜天光(3)

 双魚うおの宮を離れ、跳ね上げ橋の足元。スピカ達はそこにいた。

 まだ完全に下りきっていない。跳ね上げ橋が下りるには時間がかかるようで、いつ何処から兵が出てくるかと冷や冷やしてしまう。

 ブラキウムは動力室に篭っている。スピカ達が橋を渡った後、再び橋を上げて渡れないようにするのだと言う。抜かりない。


「やはり日記に書かれていたのはそれだったか」


 アヴィオールから説明を受け、アルファルドは肩を落とす。


「アヴィが消えてから『もしや』と思ったが、お前は解読したんだな」


 アルファルドの視線がアヴィオールに向けられる。だが、アヴィオールはゆっくりと首を横に振った。


「ううん。そうじゃないんだ。ただ、中身を盗み見る機会があって」


「魔女に会ったんですよね?」


 言葉を曖昧に濁したものの、カペラの問いかけで暴かれてしまった。


「魔女? アヴィ、魔女に会ったの?」


 スピカがすかさず問いかける。アヴィオールは躊躇ったものの、隠すことができずに頷いた。


「うん。会った。ただ、もう死んでるんじゃないかな。わからないけど」


「死んでる……」


「うん、崖から落ちたからね。生きてるはずがないよ」


 アヴィオールはそう説明する。カペラもまた証人だ。アヴィオールに賛同するように、何度か頷いた。


「みんな、静かに」


 唐突にレオナルドが言った。

 途端に皆の表情に緊張が浮かぶ。


「やはり来たか」


 レオナルドの視線の先。島の中央へと繋がる道の先。そこに、スコーピウスの姿があった。

 近衛兵はいない。スコーピウスただ一人である。

 彼は法会を風にはためかせ、エストックを片手に迫ってくる。

 橋はまだ下りきっていない。だが、待っていられない。十五度くらいの傾斜であれば、走れないこともないと判断した。


「行け」


 レオナルドが大剣を抜く。スコーピウスと対峙するつもりのようだった。


「だが、レオ」


 アルファルドはレオナルドの隣に並ぼうとする。だが、レオナルドはそれを許さなかった。


「行け。エルアの意志を無駄にするな」


 アルファルドは暫し考え、しかしスピカの手を引くと、下りきっていない橋に足をかけた。


「行くぞ!」


 アルファルドの声に弾かれ、スピカも橋に足をかける。アヴィオールとカペラもそれに続く。


「スピカさんを殺したがってた君が、どういう風の吹き回しだい?」


 スコーピウスは尋ねる。


「乙女が絶えれば冬が来る。それを望んでいたはずだろう?」


 しかし、レオナルドはそれを笑った。


「エルアがその選択をしなかった。だから、私も信じてみようと思ってね」


「そうか」


 スコーピウスの周りで光が渦巻く。それは彼の体に吸収されていく。

 レオナルドは大剣を両手に構え、神経を研ぎ澄ませた。


誅伐ちゅうばつ下す賢者。我が名はスコーピウス・アンタレス」


 スコーピウスの輝術を、レオナルドは知っている。彼の輝術は……


「なら、君を斬り伏せてから、ここを通るとするよ」


 スコーピウスの姿が一瞬消えた。

 次の瞬間、エストックの切っ先が眼前に迫っていた。レオナルドは大剣で受け止め、刃を弾く。

 それとほぼ同時に、頬に刃の冷たさを感じた。レオナルドは目を見開く。

 休むことなく、目の前で一閃が煌めく。飛び退いてかわすが、続け様に素早く刃が振られる。あまりの速さに、受け止めるだけで精一杯だ。


「すごいね。追いつけているだなんて」


「それはどうも」


 鍔迫り合いの最中、スコーピウスは笑った。

 誅伐ちゅうばつ下す賢者、さそりの一族の輝術は、自身の身体能力を活性化させ、痛みを鈍化させる輝術である。十三の大賢人の中では、最も戦闘向きと言えよう。

 その分、術を解除した歳の反動は凄まじいと聞く。そのために滅多なことでは使われない術だ。レオナルドも、知ってはいるが見るのは初めてであった。

 目で追うことが困難であるほどに、スコーピウスの動きは速い。素早いだとか、俊敏しゅんびんだとか、そういった言葉では表せない程に速いのだ。

 視界に捉えたと思えば、それは一瞬の影の揺らめきで、次の瞬間には真後ろに殺気を感じ、反射的に身を翻す。

 その動きを間抜けに思ったのだろう。スコーピウスは、笑っていた。


「それでは追いつけないよ。防ぐだけで精一杯じゃないか」


 レオナルドは舌打ちする。

 これでは勝てない。勝てなければ死ぬ。

 真後ろで、金属が噛み合う音が聞こえた。ちらと見れば、跳ねあげ橋が下りきっていた。アルファルドが、スピカが、振動で体勢を崩すまいと足を踏ん張っているのが見える。

 一瞬目を離したその隙に、スコーピウスの姿が消えた。輝術による素早さで、アルファルドの先回りをしようとしている。

 だが、この地は光が枯渇している。スコーピウスが走った跡に点々と、黒く斑点が残されていた。

 それを見たレオナルドは迷わず橋を走る。

 カペラを、アヴィオールを追い越して、スピカを追い越して、アルファルドの目の前に。大剣を掲げたその瞬間、刃がぶつかり合い、レオナルドの目がスコーピウスを捉えた。


「まだ食らいついて来るとは。なかなかやるね」


 アルファルドを狙ったはずのスコーピウスの刃は、レオナルドに阻まれた。スコーピウスは苛立った様子を見せず、レオナルドの大剣を押し返した。

 アルファルドは立ち止まってそれを見ていた。


「アルファルド、かまわず行け」


 それに対し、レオナルドは怒鳴った。顎をしゃくり、橋の向こう側を見遣る。


「こいつは私が意地でも止める」


「すまない」


 アルファルドは、スピカの手を引いて再び走り出す。

 レオナルドは動力室を見上げた。そこにはブラキウムがいるはずである。羽虫程に小さく見える人影に、レオナルドは片手を上げてみせた。

 跳ねあげ橋が再び動き始める。平坦な橋は、先端がゆっくりと持ち上げられようとしている。


「みんな、急ぐぞ!」


 アルファルドは背後をちらりと振り返り、激を飛ばした。


「アヴィ、先に行け!」


「僕?」


「万が一があれば、白鳩で受け止めろ」


 アヴィオールは察し、全力疾走して橋を渡り切る。

 渡り切った先は、ユピテウスの像が祀られている神殿前の広場であった。浮かんだ橋の先端から地面に降り立つと、背後を振り返り仲間を見る。

 続いて橋を渡り切ったのはカペラであった。端まで走り切り、躊躇ためらいなく跳び上がり、両足で着地する。

 段々と傾斜はきつくなる。スピカは走りながら後ろに目をやった。

 ほんの三十度の傾斜でも、実際に目の当たりにするとせり立った崖のように見えてしまうものだ。スピカはあまりの高さに目を回す。

 だが、スコーピウスはレオナルドとの斬り合いを止める様子はない。


「いい加減に諦めろ、老害!」


 レオナルドが吠えた。

 彼の脇腹を刃が掠める。レオナルドは、その刃の軌道を手がかりに、正面に片腕を伸ばし、空を掴んだ。

 その手に、スコーピウスの手首が掴まれていた。スコーピウスは目を丸くする。


「流石だね」


「このまま落ちろ!」


 レオナルドは、起き上がりつつある橋を蹴る。スコーピウスから手を離さぬまま、橋を転がり落ちていく。


「レオナルドさん!」


 スピカは叫ぶ。

 急斜面を転がり落ちたのだ。ただで済むとは思えない。

 だが、それを見届ける余裕はない。油断すれば、自分が落ちてしまいそうなのだ。

 橋の端までやってくる。進んでいる間に随分と高くなってしまっていた。人の背丈よりも優に高いそこから、飛び降りなければならない。


「スピカ、迷うな!」


 アルファルドは迷いなく飛び降りる。両足でしっかりと着地をすると、スピカを見上げて片手を上げた。

 それができるのは、彼が癒しの力を持っているからに他ならない。現に、傷付いたであろう足に光がまとわりついている。

 スピカには何も無い。打ちどころが悪ければ、骨を折るかもしれない。

 躊躇ためらっている間にも、地面との距離が離れていく。スピカは最早橋にしがみついていた。そうしなければ落ちてしまいそうだ。


「スピカ! 跳んで!」


 アヴィオールが白鳩を呼び出す。

 輝術はスピカの体には毒だ。だが、あの白鳩には安心を覚えた。

 今まで白鳩に何度も助けられてきたのだ。少しの目眩を我慢すれば、きっと白鳩は助けてくれる。

 アヴィオールが、自分を助けないはずがないのだ。スピカは決心した。


 橋の端によじ登る。

 陸地までは距離がある。

 両足で立ち、思い切り蹴って飛び出した。


 体が落下する。髪がはためき、風に巻き上げられる。


「白鳩よ!」


 アヴィオールはスピカへと白鳩を飛ばした。

 スピカの周りで、白鳩が旋回する。視界はくらりと歪む。

 

 白鳩に身を任せる。

 緩やかに落ちていく。

 不明瞭な視界の中、スピカは両手を伸ばした。


 抱きとめられ、そのまま地面に折り重なって倒れる。

 アヴィオールが、スピカの体を受け止めていた。


「大丈夫?」


 アヴィオールは白鳩を戻し、スピカの顔を覗き込む。

 スピカは頷くが、焦点が定まっていない。どんなに白鳩を信頼していても、スピカの体に光は毒であり、目を回していることは明らかだった。次第に嘔吐感が込み上げて、アヴィオールの胸に突っ伏してしまう。


「ごめんなさい……ちょっと、無理かも……」


 スピカは掠れた声で呟く。競り上げる嘔吐感に抗えず、片手で口を押さえて咳き込んだ。

 口から溢れたのは、鮮やかな赤。蓄積した疲労と輝術の輝きは、スピカの体をむしばんでいた。


「流石に無理をさせすぎた。一先ず時計台へ行こう」


「時計台?」


「レグルス達と、そこで落ち合う予定だ」


 アルファルドはスピカの体を背負う。力が入らないのだろう。アルファルドの肩を掴むスピカの手は、あまりに弱々しいものだった。

 アヴィオールは橋を見上げる。橋はすっかり跳ねあげられており、宮殿へと繋がる道は封鎖された。

 宮殿の中には、サビクやグリード、マーブラとキャンディを残したままだ。レオナルドも未だスコーピウスと戦っているのだろう。仲間を残して逃げることに不安はあった。


「え? ファミラナ? もしもーし!」


 カペラがこめかみを押さえ、何事か話している。

 スピカはカペラを見遣る。言葉から察するに、ファミラナからテレパシーが届いたのだろう。だが、ファミラナのテレパシーは一方的だ。カペラが声を発したところで、ファミラナに届くことはない。


「カペラ、どうしたの?」


 スピカはかすれ声で問い掛ける。カペラはスピカの弱った顔を見ながら、しどろもどろで答える。


「ファミラナがね、何かテレパシー送ってくれたんだけどね。何だか、ガビガビみたいになってよく聞こえないんですよ」


 ファミラナの輝術は、対象が離れていたり、精神が不安定な状態であったりすると、ノイズがかって聞こえるものだ。その特性を思い出し、スピカは思案する。

 だが、体調の悪さが相俟って思考は覚束無おぼつかない。すぐに思考を放棄して、アルファルドの肩に顔を押し付け、目眩を堪えた。


「遠いのかもしれんな。時計塔へ向かいながら、ファミラナのテレパシーを待とう」


「誰かにまた必ずテレパシーが入って来るはずだもんね。今はここを早く離れないと」


 アルファルドもアヴィオールも、意見は同じらしい。この場を離れることが先決と判断し、出口に向かって歩き出す。

 しかしカペラは、その意見に対し素直に同意ができないようで、腕組みして考え込んでしまった。


「ファミラナ、何だか焦ってるみたいだったけど……まるで電話を慌てて消しちゃったみたいな……」


 考えるうちに、スピカ達との距離は離れてしまう。カペラはそれに気付くと、一旦考え事をやめて、スピカ達を追い掛けた。 

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