降り注ぐ夜天光

降り注ぐ夜天光

 アヴィオールはスピカを半ば引きずりながら、目の前の屋敷に飛び込んだ。

 そこは双子の宮。先の輝術による攻撃のせいだろう。入口は歪み、外壁に穴が空き、辺りにはチャリオットと思しき破片が散らばっている。

 スピカが驚いたのは、それだけが理由ではない。チャリオットの破片が散らばった箇所は、地面が色を失い、黒点が点々と散らばっている。コレ・ヒドレで見た黒点にそっくりで、スピカは身を震わせた。


「カペラ……?」


 スピカは小さく呟く。術者であろう友人は、きっとこの黒点が出てくることを想定していなかっただろう。

 アルニヤトやコレ・ヒドレだけではない。乙女の宮だけではない。

 きっとこの地は、この星は、光を食い潰してしまっている。

 今このタイミングでカオスの一端を目の当たりにするとは。実に間が悪い。

 スピカは破片から離れようと、ふらつく足を動かした。


「ああ、危ない」


 アヴィオールはスピカの脚にもつれ、転びそうになる。歩かせるより抱えた方が良いだろうと判断し、スピカの体を抱えて横抱きにした。


「重くない? 大丈夫?」


「そんなこと言わないよ」


「否定しないのね」


「ええっ? いやいや、重くないって。大丈夫だよ」


 玄関前で言い合いをしていたところに、アルヘナ、ワサトの二人が現れる。彼らは玄関扉を開け、スピカとアヴィオールを見ると、酷く慌てた。すぐ様二人を宮の中へと招き入れる。

 宮の中は、先日訪れた時と比べて、随分と変わり果てていた。

 壁や床には、黒い斑点が点々と。カビのようだとスピカは思った。


「何故ここに来た!」


 アヴィオールが宮に入るや否や、アルヘナは怒鳴る。当然だろう。双子の宮で起きた出来事は陽動にしか見えない。双子の計画通りであれば、すぐにでもアルデバランかスコーピウスが来るはずなのだ。

 だが、アヴィオールの考えは違ったらしい。


「陽動だってバレバレなので、むしろ安全かなと……」


「なっ……」


「本当に攻め込むつもりなら、敵を直接叩くはずじゃないですか。僕らの理解者である双子の大賢人様を襲うなど、恐れ多くてできないでしょう?」


 的を射ている。アルヘナもワサトも、腕を組んで唸ってしまった。


「身を削ったつもりだったんだがな……」


 などと呟きながら。


「それより、カペラがいるんですか?」


 スピカは問いかける。屋外に転がっていた残骸は、明らかにカペラの輝術であった。

 カペラが宮殿まで来ているのであれば、引き返してほしいと思ったのだ。

 だが、返ってきた言葉でスピカは目を回した。


「ああ、君の父君も一緒だ」


「アルフと一緒?」


 アルファルドも来るであろうということは想像できたが、アルファルドがカペラと行動を共にしているとは思わなかった。


「二人が来てるってことは、不味いな……」


 アヴィオールは呟く。

 彼に抱えられているスピカは、それがよく聞こえていたが、その意味まではわからない。


「二人は今何処に?」


「そうだな……今頃は……」


 その時轟音が鳴り響いた。

 玄関から外に出て、辺りを見回す。遠く離れた天秤の宮。白煙と煌めく光が立ち上っているのが微かに見えた。


「天秤の宮だろうな」


「ええ、そうでしょうね」


 アヴィオールはスピカを抱えて、双子の大賢人と共に再び宮の中へと入る。


「アヴィ、私もう大丈夫よ。歩けるわ」


 スピカはアヴィオールに声をかける。アヴィオールは心配を顔に浮かべるが、スピカの言葉を否定せず下ろした。

 目眩は残っているものの、歩けない程ではない。足手まといになるわけにはいかない。


「そうだ。キャンディとマーブラを牡牛の宮へと向かわせたんだが、会わなかったか?」


 ワサトが尋ねてくる。スピカもアヴィオールも驚いて、ワサトの顔を見上げた。


「キャンディが?」


「マーブラが?」


 同時に声を発するスピカとアヴィオール。だが、暫く考え込んだ後に気付いた。

 牡牛の宮から逃げ出した直後、アルゲディの輝術から守ってくれたのは、フルートの重奏だ。おそらくあの時のフルートは、キャンディとマーブラが奏でてくれたものだろう。

 会うことはできなかったが、感謝の念を抱く。


「君らは何処から逃げるつもりだ? アルファルド達と合流するのか?」


 スピカは合流するつもりであった。迷いなく口を開いた。

 だが、間髪入れず、アヴィオールが発言する。


「いえ、合流しません。卑怯かもしれませんが、アルフ達にはおとりとして動いて貰った方が、僕らも動きやすいですから」


 スピカはアヴィオールの顔を見上げた。

 アヴィオールは涼しい顔をしている。自分の選択が正しいと疑わない。そんな顔だ。


「アルフ達をおとりだなんて、そんな……」


 スピカは言うが、アヴィオールはスピカを見下ろして、目線で制止をかけた。深く追求するなと、そういうことだろう。


「獅子の宮も、水瓶の宮も、既にスコーピウスが封鎖している。どうする?」


 ワサトの問いかけに、アヴィオールは考え込む。自分が知っている抜け道は、その二箇所しかない。あとは跳ね上げ橋を使うか、もしくは小舟を漕ぐしか選択肢はない。だが、それは無茶というものだろう。

 スピカが徐に口を開く。


「ねえ、アヴィ、信じていいのよね、あなたのこと」


 アヴィオールはスピカを見つめる。


「勿論だよ」


「本当に?」


「……どうしたの?」


 スピカは息と一緒に言葉を吐き出した。


「アヴィ、あなた、アルフやカペラをおとりだなんて本当に思ってるの?」


 アヴィオールの表情が歪む。


「仕方ないじゃん」


「仕方なくないわ。今からでも合流して……」


「駄目だ!」


 アヴィオールの大声に、スピカは肩を震わせる。


「それは駄目だ。アルフ達が来てるってことは、多分日記の解読も終わってる……信用できない……」


 スピカは違和を感じた。

 先程のアヴィオールの口振りから、彼はアルファルド達が宮殿に来ていることを知らなかったようだ。それだけではなく、顔を合わせたくないとさえ考えているようである。


「アヴィ、一人で来たの?」


 スピカは尋ねた。アヴィオールは頷く。

 スピカは驚いて目を丸くし、アヴィオールの後先考えない行動にため息をつく。


「急がなきゃ、間に合わないと思ったんだ」


 アヴィオールは、言い訳がましく呟く。


「間に合わないって?」


「それは……」


 だが、詳しくは語らない。

 何が間に合わないのか、アヴィオールが何を恐れているのか、スピカにはわからない。だが、それを詳しく訊くのははばかられる。宮殿を抜け出してからでもいいだろう。そう思った。


 その矢先の出来事だった。


「ああ、どうやらモタモタしている時間はないようだ」


 アルヘナは、窓から屋外を覗いて呟く。

 屋敷の外では、スコーピウスが兵を率いていた。さそりの近衛兵と、山羊魚やぎの近衛兵がそれぞれ五人ずつ。スコーピウスの脇にはワーウルフが一人。誰もが双子の宮へ向いていながら、武器を構えることはしなかった。


「アルヘナ、ワサト、出ておいで」


 スコーピウスは実に柔らかな声色で、双子の大賢人に呼びかける。二人は互いに顔を見合わせ、舌打ちをしていた。


「アヴィオール、君のアテは外れたようだな」


「ちょっと後悔してます」


 アヴィオールはスピカの手を握る。スピカはそれを握り返す。


「宮の裏手から外に出ろ。」


「道を戻るようになるが、双魚うおの宮に行け。ロディがスピカのこと、心底心配していたから、きっと手助けしてくれるはずだ」


「小舟を使うのも、跳ね上げ橋を使うのも、双魚うおの許可がないとどうにもならん。とにかく会ってきなさい」


 双魚うおの宮。前回宮殿に来た時には、立ち入らなかった屋敷だ。知らない屋敷へ行くことへの不安が胸の内を埋め尽くすが、迷ってなどいられない。


「わかりました。ありがとうございます」


「ありがとうございます」


 スピカとアヴィオールは踵を返し、屋敷の奥へと向かう。

 長い廊下を走り抜け、突き当たりの扉を開くと、そこには渡り廊下があった。

 だが、素直に通してはくれないらしい。


「ほんと、困った子だね」


 扉を開けた先にいたのは、アルゲディとその近衛兵。

 アルゲディはこめかみをハンカチでおさえている。スピカが殴り掛かった際に、傷を作ったのだろう。ハンカチは血で汚れていた。

 スピカはたじろぐ。アルデバランが相手なら、幾分か強気な態度を取れるが、アルゲディが相手だと尻込みしてしまう。一度手酷くやられてしまったために、彼には恐怖を感じていた。


「スコーピウスが言ってたよ。海蛇さんが来てるんでしょ? 船の賢者君とグルなんでしょ?」


 アルゲディはアヴィオールを見据える。船の賢者とはアヴィオールのことだろう。

 アヴィオールはそれに対して首を振る。


「グル? まさか。たまたまタイミングが合っただけだよ」


 アヴィオールはスピカを後ろに隠す。

 あまりモタモタしている時間はない。早くこの場を切り抜けなくては。


「お姫様を抱えて、輝術を使うわけにはいかないよね。

 君は輝術がなければただの子供。戦う術はないんだろう?」


 アルゲディはパンパイプを取り出す。彼の術の厄介さに、アヴィオールは舌打ちする。

 白鳩はいつでも出せる。だが、恐慌きょうこうの音を防ぎながら、兵士の攻撃も防ぐのは不可能だ。

 どちらかだけでも、誰かが肩代わりしてくれないだろうか。


 アルゲディの口元に、パンパイプがあてがわれる。それに息を吹き込むと、軽やかな音色が辺りに響く。

 彼の足元から光が舞い上がる。それと同時に、まるで色を吸い上げるかのように、黒点がじわりと広がった。

 スピカは目を見開く。光が失われていく瞬間を見るのは、初めてのことであった。


 だが、スピカ達が恐怖へと誘われることはない。


 フルートの二重奏が、パンパイプの音を上塗りする。恐怖をかき消して、光を散らしていく。


「ごめんなさい」


 スピカはたまらずアヴィオールの背中にもたれかかった。だが、体調の悪さとは相反して、安心が胸中を占めていた。


「あー……めんどくさいなあ……」


 アルゲディは苛立ちを隠すことなく言うと、自分の後方、渡り廊下へと目を向けた。

 オレンジの日に照らされて、夜空のような色合いが二つ。キャンディとマーブラだ。

 二人は真白のヒマティオンに身を包み、アルゲディをじっと見据えていた。


「みっともないね。子供に執着するなんてさ」


「貴方が輝術を奏でるなら、私達も輝術を奏でます」


 アルゲディは拳を握り、双子をギロリと睨みつける。アルゲディの術は、マーブラとキャンディの前には無力だ。


「あ、待て!」


 兵士が声を上げ、アルゲディが振り返る。

 アヴィオールは、自分達から視線が外れた一瞬の隙を突き、スピカの手を引いて茂みの中へと飛び込んだ。

 スピカは引かれるまま、草木が生い茂る中を掻き分けて進む。背後で騒ぎ立てる声が聞こえるが、構ってなどいられない。足がもつれないように走るので精一杯だった。

 日はオレンジから藍色へ。ほぼ落ちかけている。辺りはじきに暗闇へと包まれるだろう。逃亡中の身としては、夜が待ち遠しかった。


「アヴィ、さっきの話なんだけど」


 スピカは、前を走るアヴィオールに話し掛ける。


「間に合わないって、何のこと?」


 アヴィオールはスピカを振り返る。


「なんでもない。気にしないで」


 口走ったことを後悔しつつ、それは表情に出さないまま、スピカに笑ってみせる。

 スピカは、アヴィオールの笑顔が曇っていることに気付いた。


「アヴィも、知ってるの?」


 何が、とは言わずとも、アヴィオールには伝わった。足取りは重く、遂に立ち止まる。笑顔は消え失せ、視線が泳ぐ。

 スピカはアヴィオールの正面に回り込む。彼の顔を両手で包み込むと、自分に向き合わせた。

 アヴィオールの瞳が潤んでいた。今にも泣き出したいのを堪えて、唇を噛んでいるのだ。


「アヴィって、案外泣き虫よね」


 スピカは笑って言う。


「君のせいだよ」


 アヴィオールは、泣き虫の言い訳をスピカに押し付ける。スピカはそれを笑って「そうね」と肯定した。


「でもね、裏切るのはやめて頂戴」


 スピカはアヴィオールの碧眼を見つめる。さざなみのように揺れる瞳からは、動揺が見て取れた。


「私を連れて、何処へ行こうとしてたの?」


「何処って……」


 アヴィオールは悩んだ。

 できるだけ遠くに連れていくつもりだった。それこそ、誰も追いかけて来れないような場所に。


「問題を丸投げして、隠れて暮らすつもりだった?」


 スピカはそれを言い当てる。

 アヴィオールから返事はないが、それが正解だということは、スピカは勘づいていた。


「駆け落ちなんて、ロマンチックね」


 悪戯いたずらっぽく笑う。それも素敵だと思った。


「でもそれだと、お父さん達とやってること変わらないじゃない。問題の先延ばしは、カオスを助長させるだけだわ。私達をあんなに苦しめてきたあいつらと同じは嫌よ」


「じゃあ、どうしたら……」


 アヴィオールは呟く。どうしたら良いかなど、答えは出ているというのに。


「とにかく逃げて、みんなと合流しましょ。そして、日記を解読するの」


 スピカはアヴィオールの涙を指で拭う。この提案で納得してくれたかは、わからない。だが、反対はしないだろうと思った。

 アヴィオールは頷く。


「そうとなれば、ここから出なきゃ。双魚うおの宮に早く行きましょ」


 スピカはアヴィオールの手を引く。

 アヴィオールは並んで歩き出した。

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