散り散りの星野光(6)
牡牛の宮を後にして、スピカは大きく息を吐き出す。
茂みの中、体を縮こませ、自身の華奢な体を抱いて荒い呼吸を繰り返す。宮の中では気を張っていたが、大分無理をしていたのだ。身体中の怠さのために、歩くことが
「スピカ、大丈夫?」
アヴィオールはスピカの肩に手を乗せて問いかける。今の彼はメイド服を脱ぎ捨てて、Tシャツとジーンズというラフな格好だった。
スピカはぼんやりとアヴィオールを見ながら呟く。
「あのメイド服、どうしたの?」
「あー……あれは忍び込むために仕方なく……」
言いかけたアヴィオールの口を、スピカは片手で塞ぐ。茂みの向こうを歩く、サテュロスの近衛兵が数人目に入ったからだ。彼らはベールで顔を隠している。おそらく、
彼らの声は聞き取れないが、きっと自分達を探しているのだろうとスピカは推測する。
そもそも、アヴィオールはどうやって宮殿内に忍び込んだのか。スピカは不思議でならず、口を開く。
「跳ね橋は上がらない。小舟もない。そんな中で、アヴィ、あなた何処から忍び込んだの? 逃げる算段はあるの?」
辛うじて聞き取れる程の小さな声で、スピカはアヴィオールに問いかける。アヴィオールは、スピカの手を口から離して、問いかけにこう答えた。
「獅子の宮にある地下通路から。同じようなものが水瓶の宮にもあるらしいけど、使えるかどうか……」
スピカは唸る。入ることは簡単でも、出ることは難しい。どうしたものか。
「そう言えば……」
スピカはぽつりと呟いた。
「双子の宮で煙が上がったじゃない。あれ、アヴィがやったと思ってたけど、違うの?」
アヴィオールは考える。
双子の宮には一切近寄っていない。だが、遠くにある双子の宮から煙が上がったのは、誰かが輝術を使ったからだろう。
だが、双子の大賢人の輝術は、輝術封じの笛である。煙が立つような要因など考えられない。
「もしかして、誰か宮殿に入り込んだ?」
「このタイミングであんなことするなんて、陽動としか思えないわ」
仮に陽動とするならば、それをした犯人は、自分達がよく知る人物なのではないのか。
「もしかして、アルフ?」
スピカは呟く。
その時だ。牡牛の宮からパンパイプの音が流れてきた。恐慌を孕んだその音色は、それを耳に入れた者を狂わせる。
ほんの一瞬しか耳に入らなかったはずだ。だがその一瞬だけでも、心臓を掻き毟るには十分で、スピカは肌が粟立つのを感じた。唇は叫びの形を作り、息を吸い込む。目を見開く。
「白鳩よ」
アヴィオールが、叫ぶように白鳩を呼ぶ。白鳩は、二人の頭上で旋回し、音と恐怖をかき消していく。
スピカの体が地面に倒れる。笛の音も、白鳩の守りも、光を散らしている点においては同じで、スピカの体に負担が掛かっていた。
「スピカ。ごめん。もう少しだけ耐えて」
果たして「もう少し」で済むのかはわからない。だがそう宥めるしかなく、アヴィオールは歯噛みした。
「見つけたぞ!」
その声にアヴィオールは顔を上げる。
見れば、ベールを被ったサテュロスの兵士が二人、茂みの外からこちらを覗いていた。白鳩の光で場所が知られてしまったのだ。
「なんで……」
何故サテュロス達は恐怖に呑まれていないのか。アルゲディによる
サテュロスは槍で枝葉を払いながら近付いてくる。槍で突かれてしまってはかなわないが、白鳩は一羽しか呼び出すことができない。攻撃の回避に使えば、笛の音をまともに聞いてしまう。
どうすればいいのか。
その時だ。
遠くからフルートの音が聞こえてきた。「星めぐりの歌」の二重奏。双子の大賢人が奏でる音だ。
「女は殺すな。男はかまわん」
枝葉を払っていたサテュロスが、後続の仲間に指示を出す。彼らは同時に槍の切っ先を突き出した。
ままよとばかりに、アヴィオールは片手でサテュロスを指さした。その指示に従い、白鳩はサテュロスへと向かって真っ直ぐ突進する。
白鳩が槍の切っ先を弾く。その強い衝撃にサテュロスは仰け反った。片や尻餅をつき、片や倒れている。
パンパイプの音色が耳に入る。それにフルートの音色が重なる。フルートがパンパイプの恐怖を打ち消している。
「スピカ、行くよ」
アヴィオールはスピカの腕を肩に担ぐ。スピカはアヴィオールにしがみつくようにして、ふらふらと立ち上がる。
逃げなければ。その意思だけが微かに頭に残っていた。
「大丈夫。僕が守るから」
アヴィオールは強く語り掛ける。スピカはその言葉にただ頷いた。
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