散り散りの星野光(2)

 真っ暗なトンネル。足元には汚水。かび臭い空気は、どんよりと湿っている。

 アヴィオールは、星屑の結晶を詰め込んだカンテラを掲げ、暗い地下水路の先を見ようと目を凝らす。

 レグルス達は、宮殿から逃げ出す際に地下水路へと繋がる穴に潜ったと言っていた。それだけの情報を元に地下水路にやってきたのだが、それが無謀であったとアヴィオールは思い知る。

 何処を歩いても似たような景色しかない。街の地図とコンパスを頼りに歩いているものの、何処まで歩いたか検討がつかない。

 湖の方向へと向かっていると思いたいが、果たして目的地に近付いているのだろうか。

 不意に水を跳ねる音が聞こえて立ち止まる。アヴィオールはカンテラを前方に突き出した。

 暫く動かず耳を澄ませる。水音は前方から近づいて来る。

 小動物の足音にしては音が大きい。ヒトに違いない。


「誰だ」


 アヴィオールは声を張り上げる。それは水路の壁に跳ね返り反響し、こだまが辺りに響き渡る。

 それに答えるかのように暗がりから現れたのは、ワーウルフの女性。リュカだった。


「あなたは、ディクテオンさんの兵の……」


 アヴィオールは名前が思い出せず、言葉が尻すぼみする。リュカはそれを気にした様子もなく、逆手にナイフを構えた。


「待って。まず聞かせて」


 アヴィオールは声をあげる。

 リュカはわずかに興味を抱いたようだった。ナイフをおろし、アヴィオールの顔をじっと見つめる。

 ずっと不思議に思っていた。ワーウルフ達は何故アルデバランに従っているのか。近衛兵ではなさそうだが、忍びというわけでもなさそうだ。


「あんた達は、何でディクテオンさんに従ってるんだ。カオスが来たら、あんた達一族だって、例外なく死ぬんだよ」


 アヴィオールの問いに、リュカは口を開く。しかし、言葉を飲み込んで再び口を閉ざした。


「あんた達の目的は何なんだ」


 アヴィオールは重ねて問いかける。

 突如、リュカの体が弾丸のように飛び出した。アヴィオールは驚いて体を捻る。寸でのところでかわしたが、視界の端にはギラリと光る刃が走った。

 リュカの顔は正に阿修羅あしゅらとでも言うべきで、怒りを孕んだ目は燃えるようにギラついていた。


「僕には戦う気なんてない。元より戦えない」


「知らない。アルデバラン様が殺せと言った」


 アヴィオールの胸の内で、不快感がざわついた。あいつの正体を、果たしてリュカは知っているのかと。知らずに盲目に従っているのだとしたら、リュカには自分の意思がないということになる。


「殺せと言われたから殺すの?」


「そうよ」


「盲目すぎるよ」


「そうよ!」


 リュカのナイフが再び空を斬る。突き上げるような攻撃に上手く対処ができず、アヴィオールはただ身を反らした。

 頬をナイフの切っ先が掠めていく。パタパタと汚水の中に鮮血が垂れた。


「私は、昔からアルデバラン様の傍にいた。狼は牡牛の隠し玉なのよ。それが当たり前だし、これからもそうなの。

 私は、アルデバラン様の言いつけを守れればいいのよ! これまでも、これからも!」


 まるで理屈が通っていない言葉に、アヴィオールは目眩を起こしそうだった。ワーウルフがアルデバランに従う理由どころか、彼女の感情さえ見えてこない。


「私にはアルデバラン様しかいないの! だから、あの方をがっかりさせたくないの! それが私の存在意義なの!」


 アヴィオールは首を振る。

 説得できずとも、ワーウルフ達について理解ができればと考えていたが。これ以上話しても無駄だ。

 リュカの拳が眼前に迫る。アヴィオールは片腕でそれを叩いた。だが、リュカの拳は鋭く重い。叩いた腕がジンと痺れる。


「その昔、狼は牡牛の賢者を騙して領土を得た。それがバレた時から、ずっと牡牛の賢者には逆らえない。

 狼は、私達は、そう縛られているの!」


 アヴィオールは白鳩を呼び出した。

 リュカが再びナイフを薙ぐ。白鳩はナイフの刃にぶつかり、金属質な音を立てて跳ね返した。


「盲目さなら、あんたも同じよ! 何で乙女の子に執着するの!」


 リュカが吠える。

 その一言は、アヴィオールに火をつけた。執着だなんて、とんでもない。


「僕はただ、スピカを守りたいだけなんだ!」


 アヴィオールはライターをポケットから取り出す。

 リュカは、アヴィオールの腹を狙ってナイフを突き出した。アヴィオールはカンテラを振り、ナイフにぶつけて受け流す。


「食らえ!」


 アヴィオールはカンテラの中にライターを放り込む。それをリュカへと投げつけた。


「白鳩よ!」


 同時に白鳩を呼び出し、自身の周りを旋回させる。


 次の瞬間、炙られた星屑の結晶が爆発した。

 カンテラの中いっぱいに星屑が詰め込まれていた。その中に火種を入れたのだ。爆発の威力は凄まじく、内側から弾けるようにして、ガラスが四方八方に飛び散った。


「ぎゃっ!」


 リュカの短く鋭い悲鳴が水路に響く。顔を覆ったリュカの両腕には、大きなガラス片がいくつも突き刺さった。守ったはずの頬にも細かい欠片が飛び散り、頬には細かな傷ができる。

 アヴィオールにもガラス片は飛んでくるが、彼の周りには見えない壁があるかのようだ。ガラスはアヴィオールを傷つけることなく、水の中に落ちて沈んだ。

 爆発が収まると、続いて辺りに煙が充満した。生クリームを凝縮したかのような甘ったるい匂いを嗅ぎ、リュカの頭は割れるように痛む。


「くそ、このガキー!」


 頭に血が昇ったリュカは、煙をかき分けアヴィオールを探す。しかし、どれだけ煙を掻いても手応えはない。視界が悪い中そうしていると足元が疎かになり、仕舞いには水に足を取られて転倒した。水底のガラス片がリュカの脚を傷つけ、再び彼女は絶叫する。

 アヴィオールは、煙に紛れてリュカから離れていた。今や暗がりからリュカの姿を見つめている。やり過ぎたかと考えるが、攻撃手段を持たない自分が対抗するには、これしかなかったのだから仕方ない。

 

 アヴィオールは白鳩を消し、闇の中を手探りで歩く。灯りになるものは先程使ってしまった。ここからは、暗がりに慣れ始めた自分の視力に頼るしかない。


「あれは……」


 水路の奥をちらつく、小さな光が見えた。目をこらす。それはどうやら近付いているようだ。

 リュカが追ってきていないか、ちらりと背後を確認する。

 彼女は追ってきていないようだ。煙の中から彼女の絶叫が聞こえている。リュカのことは気にしなくて良さそうだ。

 そうとわかると、アヴィオールは光に向かって歩き出した。


 光の主は敵か味方か。わからないまま進むというのは恐ろしい。冷や汗を背中に感じる。緊張のせいで早くなる鼓動を押さえつけようと、胸に手を当てて唾を飲み込む。


「あ、君、スピカちゃんのお友達だね」


 光が揺らめき、小さな声を発した。

 敵ではなさそうだ。アヴィオールは駆け足で光に近付く。

 光の正体は、ネクタルが持つカンテラだった。ネクタルの背後には、男性の使用人が二人並んでいる。


「リュカに追われて水路に逃げたけど、まさか君に会っちゃうとはね。

 アヴィオールちゃんだよね。覚えてる? 給仕の賢者のネクタルだよ」


 早口でまくし立てられ、アヴィオールはたじろいだ。


「あ、はい。覚えてます」


「よしよし。じゃあ、着いてきて」


 ネクタルは踵を返し、使用人と言葉を交わす。


「逃げ隠れはもう無し。宮殿に戻るよ。あなた達に反対されようが、私はそう決めたから」


 ネクタルの言葉は、有無を言わせぬ程力強い。


「第一、宮殿のハウスキーパーは私なんですからね。私が居なくなったら、メイドちゃん達も使用人ちゃん達も、みんな困るでしょうに。

 スコーピウスの奴をとっちめてやらなきゃ!」


 ネクタルは歩き出す。使用人はアヴィオールに目を向け、指を揃えて広げた片手を、ネクタルの背中へと向けた。


「ネクタル様の後に続いてください」


「ああ、うん」


 アヴィオールはネクタルの背中へ早足で近付く。宮殿への道を知るニンフの背中は、これ以上ない程心強い。

 暫く代わり映えのない景色だった。唐突にネクタルが足を止める。

 アヴィオールはつんのめる。ネクタルの背中にぶつかりそうになるが、彼女の肩に両手を乗せて耐えた。


「急にどうしたんですか」


「静かに」


 ネクタルはピシャリと言った。反射的にアヴィオールは口を閉じる。

 水路の壁にはハシゴがある。上を見上げれば、ヒトが通れそうな扉があった。

 だが、その向こうが騒がしい。足音と怒声が、水路の中へと漏れて聞こえる。

 ネクタルは首を振った。


「この上、水瓶の宮と繋がってたんだけど、仕方ないね。獅子の宮に行こっか」


 ネクタルは言い、アヴィオールの手首を掴んで引っ張る。


「こっち」


 ネクタルの顔は至極不機嫌なものであった。アヴィオールは手を引かれるままに進む。

 水路の壁には、いくつか扉があるもので、アヴィオールはてっきり整備士か誰かが水路のメンテナンスをする際に通る扉なのだろうと思っていた。しかし、ネクタルが迷いなく開いた扉は、それとは違うものだった。

 扉を開けた先には、土壁の通路が伸びていた。


「掘りっぱなしなの、ここ」


「掘りっぱなし?」


「整備してないから危ないんだよね」


 ネクタルはそう説明する。

 近年掘られたと思わしきトンネルだ。整備はろくにされていない。ネクタルは文句を呟きながらもトンネルを進む。


「それでも、宮殿に戻るにはここしかないよね。レオちゃんの力を借りるみたいで嫌だなー」


 ネクタルは恨みのこもったため息を吐き出した。アヴィオールは彼女の後ろを歩きながら首を傾げる。


「レオさんって、レグルスのお父さんでしたよね。僕らの味方でしたよね」


 アヴィオールの顔を、ネクタルは見る。その瞳に憐憫が浮かぶ。


「レオちゃんは確かに味方だけど、私は信用できないな」


「どうして?」


 アヴィオールは問う。

 ネクタルは迷う。言ってもいいものかと。


「レグルスちゃんの友達でいてくれる?」


「え? そりゃ、勿論……」


 アヴィオールの言葉に安心したのだろう。ネクタルは微笑みを見せた。そして、すぐに顔を引き締めると呟いた。


「スピカちゃんをね、殺そうとしたんだよ」


 アヴィオールは目を丸くした。ネクタルの言葉が信じられなかったのだ。


 継承の儀で、自分達を守ってくれたではないか。

 レグルス達を夢見ゆめみ銀原ぎんばるへと導いてくれたではないか。

 アルファルドやスピカの母のことを、大切に思っていたではないか。

 だが、驚くようなことでもないのかもしれない。何故なら、アヴィオールは知っているのだ。

 エルアの「スピカを殺して」という懇願こんがんは、レオナルドに向けられたものだということを。


「何でだよ……」


 アヴィオールは嘆く。


「何で誰もがスピカの存在を否定するんだよ。

 父親も、母親も、レオナルドさんも、スピカを殺したがってるとか、みんな頭おかしいよ」


 そこまで口にして、疑問を感じた。

 スピカが死なねばならないのだとしたら、何故スピカはアルファルドに預けられたのか。母親の手で殺すべきではなかったのか。アルファルドに育ててくれと託したのは何故なのか。

 日記の存在も妙であった。レオナルドに話した内容を、そのまま日記に残したのは何故なのか。


「僕は、日記を読んだわけじゃない」


 アヴィオールは、魔女の魔術によって日記を盗み見ただけに過ぎない。あれは、日記の本文ではないのかもしれない。


「そもそも、エルアちゃんは何でスピカちゃんを殺したがってるんだろうね?」


 ネクタルは呟く。


「乙女が絶えれば冬が来るとは言うけど、本当にそれが理由なのかな?

 エルアちゃんは賢い子だったから、その言い伝えを鵜呑みにして娘を殺すなんてしないんじゃないかな」


 アヴィオールは頭を抱える。

 謎は全て解けたと思っていたのに、また壁にぶつかってしまった。きっと最後の謎なのだろう。だが、推測だけでは解けるはずがない。


「でもまずは、スピカちゃんを宮殿から連れ出してあげて」


 ネクタルは立ち止まる。

 アヴィオールは足を止めて天井を見上げた。梯子が一つぶら下がっており、天井には丸い扉と取っ手が見える。


「この上が獅子の宮。レオちゃんの書斎に繋がってるよ。

 スピカちゃんは、乙女の宮にいると思うけど……もしかしたら牡牛の……いや、山羊魚やぎの宮かも」


 アヴィオールは梯子を掴む。軽く引っ張り、梯子が丈夫であることを確認する。

 唐突に、ネクタルからカンテラを渡された。


「ちょっと待って。これ、渡しておくよ」


 ネクタルは、自身のボストンバッグを探る。ポイポイと小物類をその場に投げ捨て、やがて取り出したのは大きめの巾着袋だった。それをアヴィオールに差し出す。


「はい。あ、カンテラもあげるね」


 アヴィオールは巾着袋を受け取った。柔らかい。布が入っているらしい。


「手持ちの衣装、それしかないけど。まあ、アヴィオール君の体格なら大丈夫だと思うよ」


 ネクタルはそう言って、梯子に手をかけた。先に梯子を登って、宮殿内に入るつもりのようだ。

 アヴィオールはそれを見て声をあげる。


「あ、ちょっと」


「レディーファーストって言うでしょう?」


 ネクタルはパチリとウィンクをして、軽やかに梯子を登っていく。アヴィオールは顔を上げ、しかしネクタルのスカートが視界をちらつき視線を逸らした。

 ネクタルは、「よっと」と声を発し、重たい扉を押し上げた。カチリと微かに音が鳴る。

 扉が開かれると、地下道に光が差し込んだ。その眩しさにネクタルは目を細める。


「やっぱりね」


 ネクタルは自嘲した。


「ネクタル・サダルメリク。まさか帰って来るとはね」


 獅子の宮、大賢人の書斎で待ち受けていたのは、スコーピウスであった。彼はネクタルに片手を差し出している。


「獅子と水瓶の宮に抜け道があることは知っていたからね。両方見張らせて貰ったよ」


「うーん、残念。私も投獄かな?」


 ネクタルはスコーピウスの手を取ることなく、自力で梯子を登り切る。地上へと這い出て、メイド服の砂埃を払った。

 スコーピウスは、差し出していた手をそのままネクタルの肩にそえる。逃げることは許さない。そう言っているかのように、彼の指には力がこもっていた。


「使用人も一緒だろう?」


 スコーピウスは、垂れ下がった梯子を見つめる。すぐ様使用人が二人、地上に這い出てきた。

 彼らは立場上スコーピウスに逆らえない。扉を閉めて立ち上がると、スコーピウスに深々と頭を下げた。


「いやはや、君が見つかってよかったよ。子供達に続いて、大賢人まで失踪したとなれば、世間に顔向けできないからね」


 スコーピウスの笑顔も言葉も、まるでハリボテのように薄いものだ。だが従わざるを得ず、ネクタルと彼女の使用人は、スコーピウスに連れられて書斎を出る。

 扉が閉められ、鍵が掛けられる。足音が書斎から離れていく。


 暫くして、再び地下へ通じる扉が押し開けられた。地下から這い出てきたのは、カンテラと巾着袋を抱えたアヴィオールだった。砂埃だらけになった服を叩き、せる。


「ネクタルさん、助かったよ」


 アヴィオールは呟く。

 ネクタルは、見張りがいるであろうと危惧きぐして、身をていしたのだ。

 そして、アヴィオールが宮殿内に潜り込んでいることは、ネクタル以外誰も知らない。


 窓の外を見る。

 すぐ外は木々が生い茂っている。アヴィオールは迷わず窓を開け、そこから茂みへと飛び出した。

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