青色はぐれ星(7)

「アヴィオール君、起きて」


 シェラタンの声がし、アヴィオールは目を覚ます。ぼんやりとした視界の中、シェラタンが不安の表情で覗き込んでいた。

 先程まで、雪の中で魔女と掴み合っていたはずだ。何故屋敷のベッドで寝かされているのか。アヴィオールは混乱している。

 暖かな部屋の中には、グリードとカペラの姿もあった。カペラは絞ったタオルをアヴィオールの額に乗せて声をかけてくる。


「おはようです。体、大丈夫?」


「大丈夫……」


 アヴィオールは弱々しく返事する。

 体の至る所が痛くて仕方ない。だが、傷や骨折はなさそうだ。


「アヴィオール、君は丸一日昏睡していたのだぞ。大丈夫なわけがなかろう」


「え……こんすい……?」


 オウム返しをするが、呂律ろれつが回らない。長い時間眠っていたことで、思考がまともに働いていないのだろう。


「手足も頭も背骨も折れて、治癒に難儀したぞ」


「ニュクス様が声をかけてくれなかったら、今頃君死んでたよ」


 シェラタンが言うには、ニュクスがシェラタンに助けを求めたらしい。ニュクスも魔女に縛られまともに動けるような状態ではなかっただろうに、どうやって助けを求めたのだろうか。魔術か何かでテレパシーでも送ったのだろうか。


「そうだ、魔女は!」


 突然アヴィオールは体を起こす。背中が激しく痛み、思わず呻いて背中を丸める。


「馬鹿者。急に動くからだ」


 グリードはアヴィオールの背中を擦る。擦る手のひらから光が舞い、痛みが徐々に消えていく。


「魔女がいたの?」


 アヴィオールの言葉をシェラタンが拾う。その問いかけに、アヴィオールは呻きながら返事をする。


「魔女を名乗る女がいて、そいつと取っ組み合いしたんです。僕ら、突風に煽られて崖から落ちたんですけど、その時まで僕は奴を掴んで離さなかったから……」


 自分が死にかけたのであれば、魔女も死にかけたか死んだかしただろうと、アヴィオールはそう言いたいのだ。

 その意図を汲み取り、カペラは返答する。


「アヴィが倒れてたとこにはいなかったです」


 アヴィオールは目を見開いた。


「そんなはずは……」


「でもね、雪が真っ赤になってました。アヴィとは別の人だと思う。

 あの血の量なら、多分、姿は見えなくても生きてはないと思うんですよ」


 カペラは、自分の両腕を広げて言った。それ程の範囲に、血溜まりが広がっていたということだろう。カペラの言う通り、それ程の大量出血なら生きているとは考えにくい。別の場所で行き倒れているのだろうが、探す気力はない。


「そうだ。日記は?」


 アヴィオールは再び問いかける。


「日記ならちゃんとあるよ」


 部屋の扉が開かれる。アヴィオールは扉に目を向けた。

 入ってきたのは、マーブラとキャンディであった。彼らは先程まで外出していたようだ。足元は濡れていて、絨毯じゅうたんが水気を吸い取り色を変えている。

 マーブラがアヴィオールに見せ付けたのは、完成された日記帳だった。雪の中に埋もれていたらしく、表紙は濡れている。アヴィオールは痛む体を引きずり、マーブラへと近付く。


「ニュクス様が、日記のこと教えてくれたんです。魔女がシェラタンさんから日記と記憶を奪ったって。アヴィ君が倒れてたところに日記が落ちてるはずだって」


 キャンディの説明を聞きながら、アヴィオールはマーブラから日記を受け取った。


「まさか、解読してないよね?」


 アヴィオールは怖々と問いかける。


「できるわけないじゃん」


 マーブラの言葉に、アヴィオールは胸を撫で下ろした。


「さて、これで合流できるな。合流先はクラウディオスか?」


 グリードは問いかける。

 途端に、アヴィオールの脳内がざわめいた。

 レグルスは、父親から手帳らしきものを預かったはずだ。それは、日記の暗号を解くためのものとアンナは言った。

 日記の中身を、アヴィオールは知っている。読み解かれてはならない。そう感じた。


「ちょっと、水飲んでくる」


 アヴィオールは唐突にそう言うと、ふらりと部屋を後にする。

 グリードはいぶかしみながらアヴィオールの後ろについて行く。

 アヴィオールはキッチンに向かわず、リビングへと入った。グリードがついて来ていることには気付いていたが、それを気にするどころではなかった。

 この日記の中身を知られてはならない。それだけが頭を埋めつくしていた。

 暖炉の前に立つと、燃える炎の中に、日記を放り込んだ。炎は日記を絡め取り、黒い煙がにじみ出る。


「何をしている!」


 グリードが叫ぶ。アヴィオールを押しのけて、火かき棒を暖炉の中に突っ込み、先端を日記に引っ掛けた。

 アヴィオールは堪らず叫ぶ。


「何するんだ!」


「ようやく掴めた手掛かりだろう!」


 グリードは言い返し、灰とともに日記を引きずり出す。表紙が変色した程度で、中身は綺麗なままだ。アヴィオールはグリードに掴みかかり、日記を力任せに奪い取る。


「貴様、狂ったか!」


 グリードは吠える。アヴィオールの手首を掴み、ギリリと絞める。だが、アヴィオールは日記を手放さない。

 二人の怒号を聞いて、皆リビングに集まった。使用人も、仕事の手を止めリビングへとやってくる。

 二人はようやく互いから手を離した。日記はアヴィオールの手の中だ。


「アヴィオール君、何をしたんだい」


 シェラタンは優しく問いかける。しかし、その発言は、アヴィオールを責めているものだった。じっとアヴィオールを見つめている。

 アヴィオールはそれを睨み返した。


「こんな日記、いりません。スピカには必要のないものだ」


「そう言う割には、奪われないようにと抱えているけど。何故だい?」


 アヴィオールは口を閉ざす。

 グリードはアヴィオールの様子から察したらしい。アヴィオールの両肩を掴み、顔を向かい合わせ、問いかける。


「何を知った」


 今のアヴィオールにとっては全員が敵のようにしか見えなかった。問いかけに応じるどころか、グリードの手を振りほどいて立ち上がった。

 その拍子に日記を取り落とす。拾いあげようとしたが、グリードは素早く奪った。


「返せ!」


「ならば言え。この日記には、何が書いてあった」


 グリードはアヴィオールを見下ろす。彫りが深い彼の眼光に見つめられると、睨まれているかのようにアヴィオールは感じた。

 だが、それでも。


「言えない。その日記を読み解いちゃ駄目だ」


 それが、カオスを回避する唯一の手段であったとしても、アヴィオールには受け入れ難いのだ。

 日記を取り返せないとわかると、アヴィオールは踵を返した。


「スピカを迎えに行く」


 アヴィオールは玄関へと向かう。薄着のまま、リュックサックを掴んだところで、カペラに止められた。


「ちゃんと話してください。何があったの? それに、アヴィだけで宮殿に乗り込むなんて」


「煩い!」


 アヴィオールは叫ぶ。


「……あ……」


 恐る恐る、カペラを振り返る。

 カペラは驚いて肩を縮こませていた。

 その後ろではグリードが睨み付けている。シェラタンと使用人が、怒りを堪えて無表情を作っている。

 マーブラとキャンディは、アヴィオールの様子に驚くばかりだ。

 彼らは、カオスを遠ざけるという目的においては味方だ。だが、そのためにスピカを犠牲にしなければならないと分かれば、どうするかわからない。アヴィオールには、彼らを信用することは難しかった。


「僕は、絶望的な未来を回避したいだけだ」


 アヴィオールはそう言い残し、手のひらに光を集める。


「白鳩よ」


 白鳩が生まれ、カペラに向かって飛んでいく。カペラがそれを両手で受け止めた瞬間、光が爆ぜた。

 辺りは眩い光に包まれる。皆反射的に、腕や手で視界を覆う。


「みんな、ごめん」


 アヴィオールは一言残し、玄関から外へと出ていく。そして早足に白山しらやまを下り始めた。

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