青色はぐれ星(5)
これは夢だ。アヴィオールは瞬時に理解した。
先程まで
この場所はエウレカの記憶の中で見た。竜と人間が婚姻を結ぶ高台だ。だが、そこにいるのは、ラドンでもエウレカでもない。
「私、乙女の一族に身を置きます、プロセルピナと申します」
人間の少女は跪く。ふわりと
「私は、春待ちの竜デメテル。全ての命を祝福する竜です」
麦穂のように輝く金色の竜は、人間の少女に頭を下げる。デメテルと名乗る竜は、ラドンとは違いとても穏やかで、気品に溢れていた。
「よくぞ、我々竜の意志を汲んでくれました。
しかし、人類に輝術を与える代わりとはいえ、本当によろしいのですか?
あなた方乙女の一族は、今後永遠にタルタロスの管理者として命を繋いでいくこととなります。ゼウスと婚姻を結んだ、牡牛の一族も同様です。
あなた方には、その覚悟がおありですか?」
人間の乙女は微笑んだ。
「千年間、我が子がタルタロスで星屑を生み出す。定期的に地上は冬を迎え休眠する。
千年経てば次世代へと引き継ぎ、私どもは星屑となり流転する。
良いのです。人間も、サテュロスも、ニンフも。皆、理解しております。未来永劫、私どもは光とともに生きます」
デメテルは乙女の手を取る。彼女の手首に傷をつけ、滴る血を舌で舐め取る。自身の背に生えた麦穂を一つ摘み取り、それを手の中に包み込んだ。
光が溢れる。
「竜とヒトとの間に成した子は魔女と呼ばれます。魔女の血を絶やさぬよう、頼みますよ」
「かしこまりました」
乙女はデメテルから光を受け取った。
光は小さくなり、それは赤ん坊の姿となった。
視界が暗転する。
遠い遠い星の記憶。これはきっと、賢者が生まれる前の時代。
乙女の賢者と、牡牛の賢者が、タルタロスの管理者となったきっかけの記憶。
「そうか……ユピテウスはずっとエウレカを待っていたんだ……」
アヴィオールは、タルタロスで出会った大賢神のことを思い出す。
彼は、夜の
おそらくユピテウスとエウレカは、その役割を
冬と光を奪われた星は、今ある光を食い潰しながら生きるしかない。
再び視界が色付いた。
一面に広がる花畑は、全てアネモネのようだ。色とりどりの美しい景色の中に、アヴィオールは立っている。
この景色は幻想だ。風に
遠くに少女の姿を見つけた。アヴィオールの意思とは関係なく、足は勝手に歩き出す。
その少女はエウレカだった。金の髪を
「僕にはこんなものしか用意できない。ごめん」
アヴィオールの口から、勝手に低い声が洩れ出た。花束を差し出す。
エウレカはアネモネの花束を両手で受け取ると顔を近付ける。
「あら。香らないのね」
「よく嗅いでみて。爽やかな香りがしない?」
花に埋めたエウレカの顔が微笑む。それを見て、アヴィオールの口が再び動く。
「ブーケにどうかな」
「花言葉を知らないのね」
「え?」
知っているよと言いかけて、口を閉ざす。この体の持ち主は、自分の想いを花に乗せていながら、それを主張するのは嫌がった。エウレカが困るであろうことは、目に見えていたからだ。
「まあいいわ。あなたが選んでくれた花だもの。赤い花なんて、すごく綺麗」
おそらくこれは他者の記憶なのだろう。そして、この締め付けられるような感情は、アヴィオールもよく知っている。
この体の持ち主は、エウレカに恋をしている。
「竜に見初められるなんて栄誉なことだよ」
体の持ち主は目を伏せる。エウレカの表情は見えない。
「でも、私の心はあなたのものよ」
赤いアネモネが目の前に差し出された。
「あなたが持っていて。これが私の気持ちだから」
アネモネを受け取る。
『君を愛します』。それを言えたなら、どんなに幸せだろうか。
「エウレカ」
「アークトゥルス」
エウレカと声が重なり、体の持ち主……アークトゥルスは口を閉ざす。
「最後に、あなたの気持ちを頂戴?」
エウレカは顔を上げ、目を閉じた。アークトゥルスは、エウレカに顔を近付け……
視界が再び暗転する。
次に何を見せられるのか、アヴィオールは考える。
エウレカはラドンに食われて死んだ。となれば、エウレカを想っていたアークトゥルスも、きっと絶望を抱いたのではないだろうか。
スピカは、エウレカの絶望に呑まれそうになったと言っていた。アヴィオールは、自分が果たして他者の絶望に耐えられるのかわからなかった。
視界が色付く。
アークトゥルスは、魂のみの状態となって、牡牛の宮に取り憑いているようであった。
彼の視界に映るのは、黒髪の幼い少年の姿だ。
「実子と思っていたが、浮気されていた上に、乙女の男子だなんて。面倒なことになったもんだ」
男の声が聞こえる。男は少年の父親なのだろう。しかし、男は銀髪銀眼、少年は黒髪赤眼。顔立ちも全く似つかない。浮気されたということは、実の親子ではないのだろう。
「時期乙女の弟だなんて、口が裂けても言うなよ。お前とは実の親子で通す。
幸い、牡牛の輝術を受け継げるようでよかった。輝術の光が駄目だろうとも、俺は知らん。何度も継承の儀をするのも面倒だ。次回は特例を使う」
少年は泣き出してしまった。
継承の儀を一度に済ませてしまうための特例は、乙女の一族には毒なのだ。この少年の魂は、剥がれて消えてしまうのではないか。
辺りの景色が流れていく。
高速で進んでいく景色は、銀河鉄道から見る景色に似ている。アヴィオールは目が回りそうになりながらも、耐えて景色を見続けていた。
やがて辺りに映し出されたのは、よく知った光景であった。ダクティロスだ。
ここは、アヴィオール達が通っている学校だ。校門の傍に立つ自身の視点は高く、じっと学童達を眺めている。校門を通り過ぎる誰もが、自分に奇異の目を向けてくる。
「違う。これも、違う」
アヴィオールは、自分がひたすら呟いていることに気付く。
聞き覚えのある声だ。誰の声か瞬時に気付き、冷水を浴びたかのような寒気を感じた。
「これも違う。エウレカの器ではない。
何のために、アルデバランの体を奪ったのだ。エウレカを支えるためだ。エウレカの寂しさを癒すためだ。
まずはあれを見つけなければ」
体の主は、アルデバラン・ディクティオン。スピカの実の父親だ。
だが、
まるで、古代を生きたエウレカの存在を知っているかのような……彼自身、エウレカと親しかったかのような物言いではないか。
「おはようございます」
声が聞こえた。アヴィオールは、アルデバランの体で振り返った。
嘘だろと、アヴィオールは思った。何故なら、目の前にいたのは彼自身の姿、何も知らなかった頃のアヴィオールであったからだ。
「何か用ですか?」
目の前にいるアヴィオールは、
「いや、大したことじゃないんだ」
アルデバランは、手をひらりと振って言う。
「大したことじゃないのに、校門に立ち尽くしてるんですか? 疑われるんで、やめた方がいいですよ」
目の前にいるアヴィオールは、苦笑しながらズケズケとそう言った。
アルデバランの体を借りたアヴィオールは、生意気な奴だなとため息をつく。確かにこれでは、アルデバランに嫌われるのも当然だ。
「人探しをしていてね。麦の輝術を使う、牡牛の賢者の女の子なんだが」
アルデバランの口がそう言った。目の前のアヴィオールは首を傾げる。暫し考えた後、友人達を振り返って手を振った。
「ちょっと来てー!」
アルデバランの目が、少女の……スピカの姿を捉える。
黒い髪に深紅の瞳。アルデバランとよく似た顔立ち。
ようやく見つけた。体の持ち主、アルデバランは、興奮でどうにかなりそうだった。
継承の儀でアルデバランの体を奪い。
何も知らぬふりをして腹違いの姉と結婚し。
エウレカの器として娘を生ませた。
再び暗転する。
アヴィオールは何も考えられなかった。
先程見たものが信じられなかった。
自分の口から言葉が出てくる。
「今からティータイムなんだけど、一緒にどうかな?」
「聞いてください!」
スピカの悲痛な声に、アヴィオールは驚いた。アルデバランの目を通して見るスピカは、今にも泣き出しそうな程に震えていた。
ここは牡牛の宮。スピカが目の前にいるということは、今見ているものは最近の記憶だ。おそらく、継承の儀の直前ではなかろうか。
アルデバランの中に、どす黒い怒りの感情が渦巻いているのを、アヴィオールは感じていた。
「だから話し合いの場を設けるんだ。私は拒否することもできる」
寒々しい程に冷たい声だ。目の前のスピカは怯えきっていて、しかしその目には強い意志を宿していた。
忌々しい。
二人は客室に向かい、出された紅茶を嗜んだ。アルデバランは手が震えているのを無理矢理押さえつけている。
この子供が忌々しい。顔を見ているだけで吐き気がする。
「私を育ててくれたのはアルフです。何か見返りを求められたこともなく、ただ私を無条件で愛してくれています。私は、私のお父さんに死んで欲しくない」
生意気に語ってくれるではないか。
今や、アルデバランは、アヴィオールは、目の前の少女に憎悪を抱いていた。
かつてエウレカを食らったラドン。ラドンとエウレカの血を引く乙女の賢者、スピカの姿は、ラドンによく似ている。
ラドンがいなければ、エウレカは自分と幸せに暮らしていた。
ラドンがいなければ、魔女の誘いがなければ、エウレカの魂を乙女の宮に縛り付けてしまうことなどなかった。
きっと寂しかっただろう。辛かっただろう。
エウレカから何もかもを奪い取った竜が、魔女が、世界が。
憎らしい。
『おい、そこの』
誰かが呼んでいる。
『起きよ、人間』
誰だ。邪魔をするな。
『それは其方の怒りではなかろう。
思い出せ。
アヴィオールは呟いた。
「船導きし賢者……我が名は、アヴィオール・リブレ」
目の前に白鳩が現れた。それは自分の体の周りを旋回し、光を辺りに散らす。
「そうだ。僕は……」
アヴィオールは起き上がる。
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