青色はぐれ星(4)

 アヴィオールは、客室の中から暗い空を見上げていた。外は風が吹き荒れており、窓を激しく叩いている。

 グリードと同室にされていたが、グリードはカペラに会いに行くことに夢中で、部屋にはまだ戻っていない。

 シェラタンが、九時には就寝の予定だと言っていた。現在八時。目は冴えている。

 ブリキ缶を机に置き、首元からネックレスを外す。アンナから預かっていた、南京錠の鍵だった。月桂樹げっけいじゅの模様を描いた持ち手には、小さなサファイアが埋め込まれている。

 南京錠に鍵を差し込む。軽い音がし、解錠された。アヴィオールはゆっくりとブリキ缶の蓋を開ける。

 そこには何枚もの紙切れが入っていた。古いもののようで、その全てが色褪せていた。

 アヴィオールは一枚の紙を拾い上げ、それを見つめる。書かれている文字は現代の言葉とは少し違う。文字の形や綴りが、古代に使われたものとよく似ている。

 

 古語を読むこと自体は、アヴィオールでも何とかできた。しかし、書かれていることは、エルアが書いたであろう育児日記であり、カオスについての直接的な記述ではない。書かれている日にちもバラバラで、順番通りに並んでいなかった。

 日記には暗号が仕込まれていると聞いている。更には、ページをバラバラにして隠したとも。

 その片割れが、ここ、夢見ゆめみ銀原ぎんばるにあるはずなのだ。そう信じなければ、心が折れてしまいそうだった。


 ふと窓の外に目を向ける。そして屋敷の庭を見た。

 庭といっても、そこには雪の絨毯じゅうたんがあるだけだ。草花が育たないそこには、白以外の色はない。

 

 はずだった。

 

 庭には少女が一人立ち、こちらを見上げていた。宵闇のように黒い髪と、血のように赤い双眼。


「スピカ……? じゃ、ない……」


 アヴィオールは首を振る。スピカはスコーピウスにさらわれ、宮殿へと連れ戻されたはずなはのだ。彼女がここにいるはずがない。

 まして、少女は極寒の中、薄手のワンピースを身にまとい、上着は着ていなかった。常人ならば、たちまち震えてしまうだろうに、そんな素振りは一切ない。

 アヴィオールは時計を見て時間を再度確認する。


「ちょっと確認するだけだ」


 独りごちで、厚手のジャケットを羽織る。ブリキ缶を鞄に詰め込み、それを持ち出した。

 少女が何者か、確認をしようと思ったのだ。もし白山しらやまを迷った挙げ句、ここまで登って来たのであれば、放っておいたら寒さに凍えて死んでしまう。ならば、助けなければ。

 

 本来なら、軽装でここまで登って来るヒトなどいるはずがないのだが、その考えは、何故かアヴィオールの頭から抜け落ちていた。

 

 誘われるように、アヴィオールは玄関に向かう。使用人も友人も、各々部屋に閉じこもっているようで、誰とも会わなかった。

 

 外に出る。

 陽の光がない白山しらやまは、正に極寒であった。冷たい風は暴力的に、アヴィオールの頬を殴りつける。

 屋敷の裏手に回り、少女がいた庭へとやってくる。


「いない……」


 そこには誰もいなかった。

 足跡さえなかった。

 アヴィオールは、少女が立っていた場所へ向かう。そして、自分が来た道を振り返る。

 歩いてきた道には、点々と自分の足跡が残っている。白山しらやまを登ってきた経験から、雪は土より柔らかいと知った。だから、足跡が残らない方が不自然だと考える。

 アヴィオールは、少女の姿を思い返す。もしや、自分の幻覚だったのだろうかと結論づけようとした。


「船の賢者さん」


 聞きなれない声が聞こえ、アヴィオールは肩をびくつかせる。少女のような高い声だ。


「こっちだよー」


 間延びした声は遠くから聞こえる。アヴィオールは裸の木立に目を向けて、声の主を探す。

 夜の闇に溶けてしまいそうな程に黒い影が、そこにあった。赤い双眼はアヴィオールを見つめ、白い手が手招きする。

 アヴィオールは深く考えず、少女へと近付いていく。

 暗闇の中、ましてやここは夢見ゆめみ銀原ぎんばる、下手に動くべきではないとわかっていた。しかし、この時のアヴィオールは、思考にもやがかかり、まともな考えができない状態であった。

 一歩一歩、ゆっくりと木立に近付いていく。だが、少女の姿にはなかなか近付けない。それどころか段々と離れてしまっている。少女は手招き以外のことをしていないのに。

 

 少女の姿は木立を抜け、急勾配の坂を下り、その先にある樹氷の森へと入っていく。アヴィオールは深く考えることなく、少女の姿を追いかけた。

 初めはゆっくり歩いていたはずが、今や息が上がる程に走っている。雪に足が取られ、転びそうになりながら、それでも前に進む。

 何が自分を駆り立てているのか、アヴィオールにはわからない。まるで魅せられているかのように、夢中で走った。

 

 やがて少女に追いついた。

 ここは樹氷の森の奥。辺には氷の粒が無数に漂い、月の光が乱反射している。まるで、ダイヤモンドのちりが浮かんでいるようだった。


「僕を呼んだでしょ?」


 アヴィオールは問いかける。

 少女は穏やかに微笑みを返した。


「君は誰? 僕の大切な人によく似てるけど」


 暗がりの中、少女の顔をじっと見つめる。彼女もまた、アヴィオールを見つめる。

 アヴィオールはドキリとした。彼女の顔を見たことがある。


「エウレカの記憶の中にいた。

 君は……魔女……?」


 魔女は嬉しそうに声を弾ませた。


「ご名答だよー」


 アヴィオールは突然睡魔に襲われた。


「嘘……でしょ……」


 落ち始めた瞼と思考を叩き起すべく、アヴィオールは天に指先を向ける。


「白鳩、頼むよ」


 アヴィオールの体にまとわりつくように、輝術の光が辺りに散る。

 しかし、ここは白山しらやま。眠りの山だ。光が少ないこの土地では、輝術の効果は最大限に発揮されることはない。

 腕時計をみれば、針は九時を指していた。シェラタンが言っていた就寝時間である。

 牡羊の賢者が眠ると、土地も人も眠りについてしまう。例外はないはずだ。だからこそ、アヴィオールは強い睡魔に襲われている。

 ならば、目の前にいる魔女が眠気に襲われないのは何故なのか。彼女は涼しい顔をして、そこに立っているだけだ。


「別にね、あなたが嫌いなわけじゃないんだよー? ただねー、君の存在はちょーっと邪魔なんだよねー」


「何、言って……」


 アヴィオールは膝をつく。眠気は限界に達していた。瞼が落ちる度、眠気を振り払おうと首を振る。

 ここで眠ってしまったら死んでしまう。確実に。


「だけどね、ここまで頑張ったご褒美に、ちょっといいもの見せてあげるねー。

 満足してから眠るといいよー」


 少女の手が、アヴィオールの頭に触れる。柔らかな髪を何度か撫で付けて、眠りを促した。

 白鳩が霧散して消える。瞼が重くなり、開けなくなってしまう。

 アヴィオールは雪の中に倒れ込んだ。強い眠気に抗えず、意識が溶けていく。

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