青色はぐれ星(3)

 アヴィオールは白山しらやまを歩いていた。

 見たことのない真白の景色。どれもこれも冷たくて、傷を受けた体には辛いものだ。

 この日の天気はすこぶる良い。雪に反射した太陽光は、星を散りばめたかのように美しい。


「アヴィ君、大丈夫?」


 先を行くキャンディに問われ、アヴィオールは片手を上げた。


「大丈夫。すぐに追いつくよ」


 軽々しく言うアヴィオールに、マーブラが釘を刺す。


「この前、レグルス達と一緒に登った時は、はぐれて大変な目に遭ったんだ。無理はするな。あと、待ってほしいならそう言って」


 マーブラの言葉遣いは棘だらけだが、優しさが見え隠れしている。アヴィオールはマーブラに声をかけた。


「君、案外優しいよね」


「は?」


「言葉はキツいけどさ」


 マーブラは舌打ちし、アヴィオールに背を向けて山を登る。

 頂上が近い。道とは呼べない急勾配を、ピッケルを突き刺しながら歩く。しっかりと地面を踏みしめないと、滑り落ちてしまいそうだ。


「ていうか、僕らそんな日記の話なんて、シェラタンから聞いてないんだけど。海蛇オッサンの妄想じゃないの?」


「ま、マーブラ君っ!」


 マーブラの失礼な物言いを、キャンディは慌てて窘める。

 親しい友人を馬鹿にされたように感じ、アヴィオールはカチンときたが、雪山での喧嘩を避けたくて笑顔を作る。


「でも、隠すには丁度いいんだよ、白山しらやまはさ。だって、双子の大賢人がいないと、並のヒトは立ち入ることさえできないんだから」


 ざくり、ざくりと、氷を突き刺す音を立てながら、三人はようやく白山しらやまの頂上、夢見ゆめみ銀原ぎんばるに辿り着く。

 そこは静かで幻想的な世界。大地は真白の絨毯じゅうたんに覆われ、その中にポツポツと足跡が残されていた。獣のものだろうか。

 差程大きくはないが、立派な屋敷がそこにある。それこそが牡羊の大賢人の屋敷であった。


「あっ」


 アヴィオールは遠くで跳躍している狐を見つけ、声をあげた。狐は雪の中に顔を沈め、捜し物をするかのように首を振っている。


「あはは。マヌケだなあ」


 狐の様子が滑稽こっけいに見え、アヴィオールはそれを笑う。

 しかし狐の行動の意味を、キャンディはすかさず説明した。


「あれはね、雪の中に隠れている鼠を狩ってるんだって。ほら、見て」


 狐は目当てのものを見つけたようだ。雪の中から顔を出す。狐の口にくわえられていたそれは、小さな鼠のようであった。

 狐はアヴィオール達を見るなり、走って逃げて行ってしまった。


「へえー、すごいね。雪の中が見えてるの?」


「シェラタンさんがね、多分音を聞いてるんじゃないかなって」


 キャンディは、アヴィオールの疑問に答えてみせた。

 マーブラは、アヴィオールとキャンディが仲良く話しているのを良く思わず、忌々しげにアヴィオールを睨み付けていた。しかしそれには憎悪というものはなく、拗ねた幼子がする態度によく似ている。


「やあ、よく来たね」


 屋敷からシェラタンと一人の使用人が姿を現す。彼らはアヴィオールの来訪を待っていたのだ。シェラタンは手袋を外し、握手を求める。アヴィオールもまた手袋を外し、握手で応じた。

 アヴィオール、マーブラ、キャンディの三人は、屋敷の中へと通される。屋外は凍り付く程に寒かったのに、屋敷の中は暖かかった。


「まずは食事にしよう。もう夕方だからね。ビーフシチューは好きかな?」


「はい。好きです」


「良かった。じゃあ、準備を頼むよ」


 シェラタンは使用人に指示を出す。使用人は一例し、早足で屋敷の奥へと向かって行った。


「アヴィオール! ようやく来たか!」


 入れ替わりで屋敷の奥から現れたのはグリードであった。彼は目を輝かせてアヴィオールに迫り来る。アヴィオールは顔を引きらせた。

 アクィラで受けた傷を、蛇使いの輝術で癒して貰いたいところ。しかし、大柄で屈強な男性が迫り来る様は、敵意がなくとも威圧を感じてしまうものだ。


「グリードさん、鼻息荒くない?」


 アヴィオールが声をかけるが、グリードには自覚が全くないようだ。

 そのやり取りを遮るように、シェラタンは二人に声をかけた。


「荷物と上着はここに置いといて。食堂に案内するよ」


 言われるまま、アヴィオールと双子は、リュックサックを玄関に置いて、ジャケットをコートラックに引っ掛けた。

 シェラタンに案内され、食堂へと向かう。そこでは既にビーフシチューが準備されており、芳醇ほうじゅんな香りが漂っていた。

 食事の準備をしていたのは、使用人だけではなかった。カペラも一緒に作業をしていたのだ。カペラはアヴィオールの顔を見るなり、片手を大きく振って再会を喜ぶ。


「無事に登って来れたんですね! よかったー!」


「マーブラとキャンディが道案内してくれたおかげだよ」


 アヴィオールの言葉に、マーブラは照れてそっぽを向き、キャンディは頬を染めてはにかんだ。

 

 使用人が椅子を引き、アヴィオールに座るよう促す。アヴィオールが椅子に腰掛けると、グリードはアヴィオールに近寄った。

 まずはアヴィオールの、眼帯で隠した片目に触れる。眼帯の下は青痣になっており、未だに鈍く痛むのだ。

 グリードは目を細め、口を開く。


「癒しの賢者、我が名はグリード・アスクラピア。

 この者の痛みを、苦しみを、癒し給え」


 眼帯に触れた指先から光が零れる。それは眼帯の下へと吸い込まれていき、アヴィオールの目の前でキラキラと踊る。煌めきが無くなる頃には、鈍痛はなくなっていた。

 続けて背中、そして横腹。そこも鞭打たれた箇所が傷んでいたが、癒しの輝術によって痛みは消えていく。

 全ての光が消えてなくなる頃には、普段通りの健康な体に戻っていた。

 アヴィオールは眼帯を外す。差し出された手鏡で顔を見ると、傷一つない元の自分がそこにいた。


「ありがとう、グリードさん」


「うむ! やはり、他者を癒すというのは気分が良いものだな」


 グリードは癒しの輝術を他人に見せることができ、鼻高々である。


「さて、食事しながらアヴィオール君の話を聞こうか」


 シェラタンが皆に声をかけ、各々好きな席に座る。

 マーブラとキャンディは隣同士、カペラはアヴィオールと向かい合わせに、グリードはカペラの隣だ。カペラは唇を尖らせていたが、文句を言うことはなかった。

 アヴィオールはビーフシチューをスプーンで掬って口に運ぶ。時間をかけて煮込まれた牛肉は、歯を立てなくともホロホロと崩れた。濃厚なシチューは、体を芯から温めてくれる。


「美味しいでしょー? 私と、使用人のデイビッドさんが作ったんですよ」


 カペラは自慢げに胸を張った。


「アマルティア様は、料理がお上手でいらっしゃいます。ほぼお一人で作られてしまわれました」


 使用人が苦笑いしている。本当にカペラは料理が上手なのだろう。使用人が仕事を取られ、困ってしまうほどに。

 暫く黙々と食事をしていたが、やがてシェラタンが口を開く。


「アヴィオール君は、アルファルド君に言われて来たんでしょ?」


 シェラタンの口からアルファルドの名前が出てきたことを、アヴィオールは驚かなかった。あらかじめアルファルドから説明を受けていたからだ。


「はい。夢見ゆめみ銀原ぎんばるにある、先代乙女の日記を取りに行くよう言われました。でも、シェラタンさん、お心当たりがないって本当ですか?」


 アヴィオールはロールパンを一口大にちぎりながら問いかける。

 シェラタンもまた、ロールパンをちぎっていた。考え事をしながら、食べるでもなくひたすらにちぎっている。


「うーん、そうなんだよねえ。アルファルド君とは、十四年前に一度会ったし、文通での交流もしたことはあるんだけど。日記は受け取っていないように思うんだよね」


 アヴィオールは、カペラとグリードにも顔を向ける。先んじて夢見ゆめみ銀原ぎんばるに来ていた彼らも、同じ返事をシェラタンから貰っていたらしい。アヴィオールの視線に対して、首を振って答える。


「そもそも、アルファルド君に会った時も、何を話したかイマイチ覚えてなくてねえ。その頃にはニュクス様からカオスについて聞いていたから、濃い話をしたような気もするんだけど……」


 本当に心当たりがないようだ。唸りながら記憶を呼び起こしているシェラタンを見ていると、悩ませていることを申し訳なく思ってしまう。

 だが、日記の解読をしなければ、カオスを遠ざける手がかりはないままだ。アヴィオールはなおも問いかけた。


「シェラタンさんが受け取っていなくても、使用人の誰かが受け取ったとか」


「失礼ながら、それは有り得ません」


 使用人が声をあげた。アヴィオールは使用人に顔を向ける。


「牡羊の屋敷には、使用人は私ただ一人。その私の記憶にも、日記の存在はありません」


 はっきりと断言する使用人の顔を見ていると、アヴィオールは自信を無くしてしまいそうだった。ここまで来たのにと、後悔さえしてしまう。


「有り得るとすれば、この白山しらやまの中、何処かに隠してるとかじゃないかなあ」


 シェラタンは呟くが、それこそ現実味がない話であった。


「そもそも、何でアルファルド君は来ないの? 彼が来ればよかったんじゃない?」


 シェラタンの質問はもっともだ。アルファルドこそ当事者だろうに、遣わしたのは子供なのだから。

 だがのっぴきならない事情があったからだと、アヴィオールは謝罪する。


「それについては申し訳ありません。ただ、僕しか動けなかったんです。

 先日、山羊魚やぎの賢者、アルゲディ・パニコンの輝術に襲われたんです。それで一時的に精神を病んでしまって、今はコレ・ヒドレで療養しています」


「ああ、なるほど……恐慌きょうこう呼びし笛の音でね……」


 シェラタンは深くため息をつく。ちぎって小さくなったパンをぼんやり見つめ、皿ごと奥へと押しやった。


「エルアの娘が連れていかれたのは、大丈夫なの?」


 シェラタンはアヴィオールに問いかける。アヴィオールはスプーンを置き、じっと皿の縁を見つめた。


「大丈夫じゃないです。でも、信じてますから。スピカなら、あいつらを騙してでも時間を僕らにくれるはず。だから、早く日記を見つけたい」


 食堂はしんと静まり返る。聞こえるのは、カトラリーと皿が触れる音だけ。

 シェラタンは突然立ち上がる。


「ニュクス様をもう一度お呼びして」


「しかし、既に断られて……」


「お呼びして」


 使用人は口をつぐむ。暫し黙っていたが、やがてうやうやしく頭を下げると、食堂から出ていった。


「あの、ニュクス様と言うのは、僕を助けてくれた竜ですよね」


 アヴィオールはシェラタンに問いかける。


「ニュクス様は何でもお見通しだ。想起の魔術だって使える。僕らの記憶を掘り起こせば、何か手がかりがあるかもしれない」


 シェラタンの言葉に対し、アヴィオールは懐疑的かいぎてきだった。アヴィオール自身はニュクスに会ったことなどない。信用できるかどうかわからなかった。


「食事が終わったら、シャワーを浴びて今日は休みなさい。明日から考えよう」


 シェラタンは言う。

 アヴィオールは歯噛みした。スピカがさらわれた今の状況では、寝る時間さえも勿体無い。

 しかし銀原ぎんばるではシェラタンの言葉がルールである。ルールから外れれば、命の保証はないのだ。


「わかりました」


 大人しく答え、腹の中に無理矢理パンを詰め込んだ。

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