青色はぐれ星

青色はぐれ星

 銀河鉄道は空高く、雲を突き抜け進んでいく。

 車両は貸切。乗客はおろか、車掌さえ立ち入らない。

 車両の出口にはそれぞれ一人ずつ兵士が控えている。抜け出すことは不可能だろう。

 スピカはボックス席に座り、ぼうっと向かいの座席を見ていた。今は誰も座っていないが、先程までスコーピウスがいた。どこかへ行ってしまったが。

 次に停まる駅はアクィラだ。そこでアルデバランが列車に乗り込み、合流するらしい。


「やあ」


 アルゲディの声が聞こえ、スピカは顔を上げた。


「ここ、座るね」


 アルゲディは、スピカの正面に腰掛ける。膝にブランケットを広げ、パンパイプの手入れをし始めた。

 ふと窓枠に目を向ける。そこにジュース缶を見つけ、アルゲディはそれを指差す。


「飲まないなら、貰っていい?」


 スピカが返事をする間もなく、アルゲディは缶を取る。飲み口は開けられていたが、差程減っていないようだ。


「飲んだ?」


「少しだけ」


 少し躊躇ためらったものの、アルゲディは缶に口をつける。

 スピカはアルゲディの様子をぼんやりと見ている。心ここに在らず、といった具合だ。


「ねえ、気にならない?」


 アルゲディが問いかける。スピカは首を傾げる。


「俺らが何故カオスを望んでいるのか」


 アルゲディはスピカをじっと見つめる。

 瞳孔は横に長い楕円をしている。サテュロスなら誰でもそうであるし、スピカはそれを気にしたことがなかった。

 しかし、他のサテュロスと比べても、彼の目は特に気持ちが悪かった。


「気にならないかもだけど、教えてあげるよ」


 アルゲディはパンパイプを膝に置く。そのまま片手をスピカの膝に。

 ぞわりと、スピカの背中に悪寒が走る。


「僕の場合はね。君のお母さんが死んだからだ」


 アルゲディは小さな声で語り始める。


「俺が幼い頃には、既にエルアは賢者だった。一度だけ見た、光を纏って踊る姿に心を奪われた。

 でも、俺が初めての継承を終えた次の日に、エルアは亡くなった。

 別段仲良かったわけじゃないし、エルアは俺のことなんて気にも留めなかったろうさ。当時僕はどうしようもなく子供だったしね。

 でもね、俺はずっと、乙女の舞に魅せられているんだ」


 アルゲディの目が、スピカの目を捉える。スピカは、睨まれた蛙のように動けないでいる。


「世界がどうとかさ、どうでもいいんだよね、俺は。ただ、君の舞が見たいんだ」


 たったそれだけのために、エウレカやアルデバランに加担したと言うのか。世界を滅ぼしてもいいと思ったのか。

 スピカはアルゲディの異常性に気付き、手を震わせる。それを止めようと、スカートをぎゅっと強く握る。

 アルゲディは首を傾げて問いかける。


「どう?」


「どうって……」


 アルゲディはスピカにずいと顔を近付ける。彼の瞳孔が横に伸びる。

 スピカは喉を鳴らす。震えそうな喉奥を落ち着かせようと、深く長い息を吐く。


「どうあっても、私の意思で協力する気はないです」


 アルゲディはその答えを聞いてニンマリと笑う。


「君の意思、ね」


 アルゲディが嘲笑っている理由など、理解するに容易い。スピカからエウレカを引きずり出すなど、賢者であれば簡単にできることだ。特に、感情を操るアルゲディであれば、スピカの心……魂を折るなど容易にできてしまうのだろう。

 だが、簡単に相手の手中に落ちるなど、みっともない姿をさらけ出したくはない。


「以前エウレカに剥がされかけた私の魂が、何故戻ってきたのか。興味ありません?」


 スピカは尋ねる。


「どういうこと?」


 それはアルゲディの好奇心を刺激した。彼の目がより見開かれ、爛々らんらんと煌めく。


「母がまじないを掛けてくれたらしいんです。アルフに聞きました」


「まじない? おとぎ話の魔法みたいな?」


「あら、気付いてるかと思ってたのに、知らないんですね」


 スピカは挑発的に問いかける。

 これは全てハッタリだ。アルゲディがどこまで乙女の賢者について知っているかはわからない。だが、反応を見る限り、「乙女の賢者」には興味がないようだ。あくまで、エルアやスピカ……個人に強い興味があるらしい。乙女の賢者については、殆どのことを知らないのだろう。


「もしかして、父から聞いてない? それとも、父も知らないのかしら」


「何さ、勿体もったいぶって。教えてよ」


 アルゲディの手がスピカの頬に触れる。

 細い指が肌を撫でる。スピカは恐怖で声をあげそうになった。しかし、それを喉奥に飲み込んで、恐怖をアルゲディに見せないように、冷淡を意識して表情を繕う。


「さあ? 私も、そういうまじないがかけられている、と聞いただけです。そして、そのまじないが掛かっている限り、この体はエウレカが好き勝手使うことはできないと。

 母の日記を探し求めたのは、そのまじないについて詳しく書かれているから、という理由なんです。解き方も書いてあるから、父、ディクテオンさんに渡ったら危ないと」


 アルゲディはケラケラと笑う。壊れたオモチャが出すような甲高さが耳に刺さり、スピカは顔をしかめた。


「じゃあ、残念だったね。エルアの日記はこっちにある」


「本当かしら?」


 敵方には、日記の断片さえ渡していない。スピカにはその確信があった。

 アルゲディは眉を寄せる。

 次の瞬間、車両の扉がけたたましい音を立てて開かれた。アルゲディは、弾かれたようにスピカから離れた。


「スピカさん、君は知っていたのかい?」


 スコーピウスが車両内に入ってくる。彼はブリキ缶を片手に持ち、スピカに近付いてくる。

 スピカはスコーピウスを見上げることができない。彼の表情を見ることが恐ろしかったからだ。目を閉じて、しかし毅然きぜんとして、口元には微笑みを湛える。

 スピカのその態度は、スコーピウスには、自分達の思い通りに動かない強気な少女と映ったらしい。声色は柔らかだが、表情は冷たいものだった。


「知っていて、あえて黙っていたんだね」


「ええ」


「何処にあるんだい?」


「さあ?」


 スピカは短く返事をする。

 スコーピウスが、スピカの肩を掴む。驚く彼女の顔を自分に向かせ、再び問いかける。


「何処にあるんだい? 知っているんだろう?」


 スピカの赤眼に恐怖がちらつく。それを誤魔化ごまかすように、目を細めて悪戯いたずらっぽく笑った。


「片方はまだアルフの元でしょうね。ただ、もう片方はわからないわ」


「もう片方?」


「お母さんの日記、二つに裂いて隠しちゃったらしいの。だから、私達はそもそも片割れしか持ってなかったのよ」


 スコーピウスはスピカを突き放す。アルゲディの隣に座って、ブリキ缶の中にあった紙切れをつまみ上げる。

 それは、スピカがアルファルドと共に見たメモだ。「連盟の友が預かった」という一文は、握りつぶされシワだらけになっている。


「これは誰が書いた? 女性の字だろう?」


 スピカは、差し出される紙切れに視線を落とす。アンナのメモだろうと推測はできても、確実性はない。


「知らない。何のことかもさっぱりだわ」


 だから、この言葉に嘘はない。

 スコーピウスは腕組みし、足組みし、不機嫌を隠さずスピカを睨む。


「スコーピウスは、やけに日記に執着するね?」


 アルゲディは問いかける。だが、スコーピウスはそれに対して首を振った。


「エルアは、カオスを遠ざける方法を既に知っていた。それを日記に遺しているはず」


 スピカの心臓が跳ねる。

 カオスを遠ざける方法。それはスピカ達が探し求めているものだ。日記を取りに行こうと言ったアルファルドの見立ては、間違っていなかったのだ。

 スピカは感情を読まれることを恐れ、再び目を閉じる。


「カオスを呼ぶ前に、不安要素は叩いておかねばならん。儀式の最中に邪魔されては困るんだ。

 継承の儀を覚えているか? あの時邪魔をしたのは、アルファルド君だったろう」


「つまり、また邪魔をされないためにってことね。まあ、俺も賛成かな」


 アルゲディは眠たげに欠伸あくびを噛み殺す。


 列車は雲の中へと沈む。

 アクィラの駅に到着したらしい。雲の下に落ちた車体は、滑るように地上へと降り立った。警笛と、人々のざわめきが聞こえる。


「事を急いていた君が賛同してくれるとは。何かあったのかい?」


 スコーピウスに問われたアルゲディは、意味ありげにスピカを見つめる。


「だって、ねえ?」


 ニヤリと浮かべたアルゲディの笑みに、スピカは肩を跳ねさせた。


「スピカには、エウレカに体を奪われても、それを取り戻す手段がある。エルアが掛けてくれたオマジナイ、なんだっけ?」


 アルゲディの問いに、スピカは頷く。


「まじない? 初耳だが」


 スコーピウスは暫し考える。だが、アルゲディの言葉を疑うことはない。スコーピウスは考えた末に呟いた。


「まあ、彼女ならやりそうなことだ」


「何言ってんの。おとぎ話の魔女じゃないんだから」


 アルゲディは呆れ顔だ。魔女なんていないとでも言うかのように。

 しかし、スコーピウスの意見は違った。スピカを見下ろし、いつものように微笑みを浮かべ、問いかけてくる。


「おとぎ話ではないのだろう?

 呪われし乙女の賢者達は、皆、魔女の血を引いているのだから」


 それを聞いて、スピカは自嘲する。

 アルゲディは眉をひそめた。にわかには信じられない。


「誰から教えられたんだい? まさか、アルデバラン君から?」


 重ねて問うスコーピウスの言葉を受け、スピカは口を開く。

 だが、答えを口にしたのは別の人物であった。


「教えてはいない。おおよそ、我々の元から逃げ出した後に知ったことだろう?」


 扉を開け、アルデバランが車両の中へと入ってきた。片足を引きずっている。アルファルドに銃で撃たれた傷が痛むのだろう。

 彼は、スピカの隣、通路側の席に座り、スピカをじっと睨み付ける。


「アルファルドの奴、よくもやってくれたな」


 アルファルドはここにいない。そのため、怒りは全てスピカに向けられる。

 大人の男達に囲まれ、スピカは圧迫感で息苦しさを感じる。今は耐えるしかない。

 

 再び列車は動き出す。レールを走り、雲の上へ……

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