ブルーマーブルは黒に染まる(6)
アルファルドはアンナを探して街中を歩き回っていた。
片手にはブリキ缶。必要ないにも関わらず、持ってきてしまっていた。繋がれた南京錠が、蓋にぶつかる度に音を立てる。
日記のことは、アンナには語っていなかった。実家に隠し物をしたことすらも、本来アンナは知らないはずなのだ。
アンナがどうやってエルアの日記の存在を知ったのか、何を考えて日記を持ち出したのだろうか。考えれば考えるほど、堂々巡りに陥ってしまう。
あてのない探索の末、港に辿り着いた。港には人影が一切なく、ただ潮風が頬を撫でていく。
「アルフ!」
背後から声が聞こえた。アルファルドが振り返ると、アヴィオールが駆け寄って来るところだった。その後ろにはファミラナもいる。
しかし、アンナとレグルスの姿はない。
「アヴィ、ファミラナ」
ファミラナからテレパシーを受けて、差程時間は経っていない。てっきりアンナと一緒にいるものと考えていたが、予想が外れてしまった。
「アンナは?」
アルファルドは問い掛ける。アヴィオールは肩で息をしながら返事をする。
「レグルスと一緒に行動してる。僕らはアルフとスピカを探しに来たんだ」
アヴィオールの隣で、ファミラナは輝術を使う。レグルスにテレパシーを送っているのだ。
「どういうことだ? アンナは自分達の敵じゃないのか?」
アルフの問いかけを、アヴィオールは否定する。
「違うんだ。カルキノスさんは、カオスを良しとしていない。僕らの味方だよ」
「味方なら、エルアの日記を持ち出すはずがない」
アルファルドは語気を強める。
それについても、アヴィオールは否定した。ボディバッグを開けて、中に手を入れる。
「カルキノスさんから預かり物。
本当はアルフに渡すつもりだったらしいけど。さっきカルキノスさんから預かってきたんだ」
鞄の中から頭を覗かせたブリキ缶を見て、アルファルドは驚いた。すんなりと手元に戻って来るとは思わなかった。
「だめ、隠して」
ファミラナが強い口調でアヴィオールに言う。アヴィオールは
ファミラナが鋭い声を出した理由はすぐにわかった。アヴィオールが振り返ると。
「ああ、君たち来てたの」
そこにいたのは、アルゲディ・パニコン。
彼は近衛を数人連れている。その全てがサテュロスだった。彼ら全員が黒いベールで顔を隠し、
アルファルドは、アヴィオールとファミラナの腕を引き、自分の後ろに引っ張って隠した。
「犯罪者とはいえ、子供を守るとは立派だね?」
アルゲディは気だるげな顔で唇を動かし、蚊が鳴く程の小さな声でそう言った。
「アルゲディ……お前もいたのか……」
「うわ、失礼だね。国の異常事態に大賢人が動くのは当然のことでしょ?」
「確かにそうだな。大賢人が動くのは当然だ。
だが、本当にそのために来たのか? 怠惰なお前が」
アルゲディは目を伏せる。アルファルドの質問を面倒臭いとでも思っているのだろう。半開きの口からため息が洩れ出ている。
アルファルドは、アルゲディの言葉を信用できない。それはアヴィオールも、ファミラナも同じであった。
「カオスを早めようだなんて思ってないですよね」
アヴィオールが挑発的に問いかけると、山羊に似たアルゲディの耳がぴくりと震えた。
「だって、大賢人様はカオスについてご存知のはずでしょう? なら、食い止めようがわからないカオスに手をこまねくより、人民に避難を促すと思うんですよ」
アルゲディは「ふむ」と呟いて両腕を組む。
「それとも、カオスを止める方法があるのでしょうか? それなら僕らも協力します。僕らの目的は、カオスを止めることですから。
でも、そうじゃないでしょう。カオスを止める方法があるなら、前からそうしてるはず」
アヴィオールは横目でファミラナを見る。
彼女はアルファルドの影に隠れ、テレパシーを送っていた。彼女の足元で光が舞う。
アヴィオールはアルファルドにちらりと目配せする。ファミラナがテレパシーを送っているということは、レグルスに加勢を頼んでいるということだろう。そして、レグルスにはアンナがついている。
アルファルドはアンナを信じきれないでいる。だが、アヴィオールのことなら信じられると判断した。
今は時間稼ぎをするべきだ。
「パニコンさん。あなた、数日前からこの街にいるんでしょう? それなのに、何故解決できていないんですか」
アルゲディは何も言わない。
「アルゲディ、答えろ。どうなんだ」
アルファルドは答えを促す。
アルゲディは、辛うじて聞き取れる程の声で「めんど……」と呟く。腕を組んだ姿勢は崩さないまま、目はじいっとアヴィオールを見つめている。
「子供は苦手だよ。特に、背伸びをしたがる思春期の子供が一番扱いにくい」
「それはどうも」
アヴィオールは半笑いで返事をする。
話を長引かせてくれるなら好都合である。アヴィオールはその話に乗ることにした。
「でも、子供を捕まえて悪さをしようと考えてるあなた方の方が、よっぽど悪質じゃないですか? 僕は、あなた方みたいな、身勝手な大人が大嫌いです」
アルゲディはクスリと笑う。
「アルデバランが君を嫌う理由がわかった。
君、アルファルドによく似てるね。アルファルドも、エルアのことになると必死だもんね。
アルファルドはアルゲディを睨み付ける。しかしアルゲディは、それに対して怯むどころか、嘲笑うかのように目を細めた。山羊に似た瞳孔が横に伸びる。
「時間稼ぎなんかしちゃってさ。バレてないとでも思ってるの?
後ろの子、烏の子だっけ? 誰にテレパシー送ってるの?」
ファミラナは息を飲む。途端に、舞っていた光は地に落ち消えた。
「流石に苦しいか。ファミラナ、どうだ?」
アルファルドはファミラナを振り返る。ファミラナはおどおどと答える。
「送れたはずです。何とか場所まで伝えましたが、でも、伝わってるかどうか……」
ファミラナの不安を、アルファルドは頭を撫でることで和らげてやる。
アルゲディの表情が一変した。ニコニコと上機嫌に笑っている。
「何がおかしいんですか」
アヴィオールは問い掛ける。
「いや、君達バカだなって思ってさ」
アルゲディの発言に、アヴィオールは憤慨する。
「バカとは何ですか」
「バカにバカって言ってるだけだよ」
その時、ようやく現れた。
「アルゲディ! 見つけたぞ!」
アンナの声が辺りに響く。
港の入口に、アンナとレグルスがやってくる。
アンナは大股で近付いてくると、アルゲディとアヴィオールの間に割って入った。
アルゲディのヘラヘラした笑い方が気に食わないアンナは、彼を睨んで怒鳴りつける。
「アルゲディ! 何故私を避けるんだ! 今朝からずっと探していたんだぞ。
私を宮殿から呼びつけていながら、随分と舐めた真似をしてくれるな」
アルゲディは答えない。笑みは崩さない。
アンナはアルゲディの肩を掴み、揺さぶった。アルゲディはされるまま。
「第一、君はカオスについて知っているのか? 知っているんだろう。
このまま問題を先延ばししていれば、この街は光を失い滅びてしまう。
この街だけじゃない。この国、いや、この星の問題だ」
アンナは一息で捲し立てた。軽く乱れた呼吸を、深呼吸で整える。
アルゲディは、言葉が途切れた瞬間、掠れた笑いをこぼした。
「だからあんたは嫌いだよ。暑っ苦しい」
アンナは虚をつかれた。言葉が口から出て来ず、唇を震わせる。
「離れてくれない?」
その言葉と同時に、近衛兵の一人がアンナを突き飛ばす。兵は細身のロングソードを鞘から抜く。
アンナはサーベルを抜いた。木刀ではない。真剣の方だ。
「どういうつもりだ?」
アンナはアルゲディを睨み付ける。
「だって、あんた役に立たないんだもん。それどころか、そいつらとつるんでさ。
邪魔になったから、もういらない」
一人の兵がアンナに詰め寄る。片手でロングソードをかまえ振りかぶる。
アンナはそれをサーベルで受けた。甲高い金属音が辺りに響く。
「アルフ! 逃げろ!」
アンナは声を張り上げた。
アルファルドは大声を返す。
「一体何なんだ! そもそもだ。アンナに聞かねばならないことが」
しかし言葉は途中で遮られた。
アンナが対峙している者とは別の兵が、槍を構えて突進してくる。
「くそっ」
アルファルドは
腕に深く刃が突き刺さる。その傷口から、鮮血と光が溢れる。
「おじ様、すみません。少しだけ時間をください」
ファミラナはウエストポーチから三つのパーツを取り出した。手際良くそれを繋げ、ジョイントを留める。そうして
「了解」
アヴィオールはアルファルドの脇から飛び出し、兵の横腹に突進する。
兵はそれを予期しており、アルファルドから槍を抜いて距離を取る。槍を再び構え、アヴィオールに突き出す。
アヴィオールは人差し指を突き出した。くるりと円を描く。
「白鳩よ!」
アヴィオールが声を上げると同時に、円を描いた指先から白鳩が飛び出した。それは槍の切っ先に突き刺さり、一瞬だが兵の動きを封じた。
「はあっ!」
ファミラナが走る。兵に向かって一直線。
その動きに兵は驚く。呆気なく槍をすくわれ、手から離れる。
ファミラナは、宙に浮いた槍を
「ファミラナ! こっちだ!」
レグルスがファミラナを呼ぶ。見れば、レグルスが大振りに片手を振って手招きしている。
「アヴィ君、おじ様も。レグルス君の方へ」
そう声をかけ、ファミラナは兵に視線を戻す。
武器を落とした者、アンナに対峙している者を除いても、サテュロスの近衛兵はあと三人いる。ファミラナだけで全員を倒すことはできないだろうが、仲間を守りながら退くくらいはできるだろうか。
『退いてください』
ファミラナはテレパシーを飛ばす。近衛兵の内一人がそれを受け取る。
『退きなさい。退きなさい!』
絶えず送るテレパシーは寒気を乗せる。テレパシーを受け取った兵は、あまりの寒さに体を震わせ膝をつく。
アルファルドは、アヴィオールに逃げるよう促す。
アヴィオールは
「ファミラナ」
「話しかけないで!」
ファミラナは声を上げる。テレパシーの精度が乱れてしまうことを恐れたのだ。
二人の兵士が、槍を構えてファミラナに突き出す。
ファミラナはテレパシーを一旦止め、後方に飛びずさり、槍の攻撃をかわす。
二本の槍は空を掻き、兵士は体勢を崩した。
ファミラナは、向かって右手の兵士に
「ああ、くそ。さっさと来いって!」
レグルスは痺れを切らした。
落ちていた投網を掴むと、ファミラナの方へと一直線に走る。
「そら!」
そして、兵士に向かって網を投げた。
ふわりと大きく広がった投網は、二人の兵士の頭に覆い被さる。兵士は慌ててそれを取り払おうとするが、網目に槍や指を引っ掛け、絡まってしまった。
「カルキノス様!」
三人の兵士が動けなくなったことを確認し、ファミラナはアンナに声をかける。
「私は大丈夫だ」
アンナは笑いながらそう返す。
その言葉通り、アンナが優勢であった。
ロングソードを振るう兵士は、肩で息をしていた。対してアンナは息ひとつ乱れていない。
兵士がロングソードで空を薙ぐ。
アンナはサーベルでそれを弾く。
ロングソードが上から振り下ろされると、アンナはそれを受け止め、鍔迫り合いをする。ギチギチと刃同士が擦り合い音を立てている。
次第にアンナは兵士を押し返し始めた。兵士の体が反り、堪らず兵士は飛び退いた。
「アルゲディ、お前の兵士は相変わらず弱い! 五人がかりで私達に負けるとは情けないぞ!」
アンナはニヤリと挑発する。
「うちの兵士を出すまでもない」
「それはどうだろうね?」
アルゲディはくつくつと笑う。その笑いは不気味で仕方なく、アンナは顔をしかめた。
「兵士が弱くても、
アルゲディは袖の内側からパンパイプを取り出した。
アンナは顔を青くする。
アンナだけじゃない。そこにいた全員だ。
アルゲディの輝術は
「まずい、みんな、耳を塞げ!」
レグルスは叫ぶ。
皆一斉に耳を塞いだ。
「無駄だよ、無駄だ」
アルゲディの唇に、パンパイプがあてがわれた。
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