ブルーマーブルは黒に染まる(5)
レグルスは、街中でアンナと対峙していた。
街の中心。星々が描かれたレンガ広場。その中央で二人は向かい合っている。
アヴィオールとファミラナは、レグルスの後ろでアンナを警戒していた。
一方、アンナは呆れ返った顔で子供達を見下ろしている。
「ずっと尾行していたのか?」
その通りだが、レグルスは何も言わない。
「いつからこの街に?」
またもレグルスは何も言わない。
アンナに従う近衛兵は、レグルスへと一歩迫るが、アンナが片手をあげてそれを制した。
「レグルス、話をさせてくれ。君達は私を誤解している。
いや、私の行動を見れば誤解されても仕方ないんだが、せめて弁解をさせてほしい。
そうだな、そこの喫茶店に入ろう。うん、それがいい。それじゃ早速」
相変わらず早口な彼女は、一方的に話を進める。広場の一角にあった喫茶店を指差し、レグルス達の意見は無視してそこへ向かう。
「何が誤解だ」
レグルスが声をあげた。アンナは目をぱちくりさせる。
「知ってんだぞ。あんた、カオスを放置してるんだろ。誰の命令だ? アルデバランか?」
レグルスはその顔に怒りを浮かべ、肩を怒らせて問い掛ける。だがアンナは首を振るだけで何も答えない。
「何とか言えよ、クソババア」
レグルスの暴言に、アンナは怒った。
腰に刺していた二つのサーベルの内一つを鞘から抜く。ギョッとしたレグルスの側頭部目掛けて、腕を振り抜いた。
バシンッと、乾いた音が辺りに響く。
「いってー……」
「レグルス君!」
頭を抱えて悶えるレグルスに、ファミラナが堪らず駆け寄った。しかし彼の頭に傷はなく、代わりに打たれた箇所が赤く腫れていた。
「ババアとは何だ、ババアとは」
アンナは木刀を鞘におさめる。手加減はしたのだろう。そうでなければ、レグルスの怪我がタンコブで済むはずがない。
そして、アンナは自分の首に巻かれた首輪を摘んだ。それがあるために、多くを人前で語ることはできないと、そう言いたいのだろう。
「カルキノスさん」
レグルスの後ろに控えていたアヴィオールが、アンナに声をかける。
「奢ってくださるなら入ります」
にっこりと笑いながら
「仕方ないな。
君たちは警備を頼む」
アンナは近衛兵達に指示を出す。そして子供達を誘って、喫茶店の中へと入った。
扉を開けると、客がいない店の中、ベルの音が寂しく鳴った。カウンターでぼやっとしながら新聞を眠たげに眺めていた店員は、客が来たことに気付くと目線だけアンナに向ける。
「カルキノス様ですか」
「コーヒーをブラックで頼むよ。子供達には……」
アンナが注文をし始めた途端に、アヴィオールは声をあげる。
「僕はカフェラテとフルーツタルトで」
「じゃあ俺はオレンジジュースとチーズケーキ」
「え? え?」
図々しく注文をするアヴィオールとレグルスに、ファミラナは慌ててしまう。注文をした方がいいのか、アンナに任せた方がいいのか、困ってアンナの顔を見上げた。
「カルキノス様、えっと、すみません」
「ああ、君も好きなものを頼むといい」
「え、でも」
「ケーキの二つも三つも変わらん」
そう言いつつ、アヴィオール達の勝手さには呆れているらしい。じとっと細めた目は、アヴィオールに向けられている。
ふと気付いた。
「君、随分と怪我しているじゃないか」
アヴィオールはアンナを見、自分の眼帯に触れる。
「これですか?」
「まさか、うちの兵が何か」
「違いますよ。鷲の賢者にやられました」
アヴィオールはヘラヘラと笑う。
「鷲の賢者がディクテオンさんと繋がってたみたいでして。どうにか逃げ出して来れましたけどね。
カルキノスさんはどうなんです? 僕らを捕らえますか?」
アヴィオールの挑発的な物言いに、アンナは首を振った。
「それについて誤解を解きたい。あそこの席に座ろう」
アンナが指さしたのは、奥まった場所にあるボックス席だった。窓からは離れており、外から覗かれる心配がない。
それぞれ席に座ると、店主に改めて注文をする。四人の注文が終わり、店主がカウンターへと戻ると、四人は額を付き合わせて話し始めた。
「私はレオナルドから
予想だにしないアンナの言葉に、レグルスは驚いた。
「親父から?」
「レオナルドがな。これをお前にと
机の下、レグルスの膝に、柔らかいものが当たる。レグルスが手で探ってみると、それはアンナの手だった。
レグルスは、アンナが握っている何かを受け取る。手帳だろうか。
「エルアの形見を読み解くのに必要らしい。お前が持っていろと」
「なんで?」
「いいから持っていろ」
アンナは強引にレグルスへの伝言を終わらせる。続いて、アヴィオールの膝に箱を乗せた。
アヴィオールはそれを両手で受け取る。金属製のようだ。アヴィオールは渡されたものが何かわからず問い掛ける。
「え? 何です?」
「君はスピカと仲が良かっただろう」
「はい。そうですけど?」
「君たちの捜し物だ」
アヴィオールは目を見開く。その一言で、何を渡されたのか察した。
手探りで箱を確認する。ブリキ缶のようだった。表面は凸凹しており、雑に扱われたのだろうと推測する。
「火の星に比類する者が、それを狙っている」
アンナは呟く。
レグルスもファミラナも意味がわからず首を傾げた。
しかし、アヴィオールは意味を理解したようで、眉間に皺を寄せた。
「アンタレス……」
「絶対に渡すなよ」
アヴィオールは頷く。そして、自身のショルダーバッグにブリキ缶をしまい込んだ。
「本当は、次アルフに会った時に渡すつもりでいたんだがな」
アンナはそう言って片肘をつく。
「ここに来るとわかっていたんですか?」
ファミラナは問い掛ける。
それを聞いたアンナは、ファミラナに目を向けて問い掛けた。
「アルフも来ているのか?」
「あっ……」
しまったとばかりに、ファミラナは口を閉ざす。何と答えるべきか迷ってしまい、目を泳がせた。
だが、その態度はアンナの質問を肯定しているのと同義だ。
「来ているんだな?
何処にいるんだ? 君のテレパシーで呼び出してくれないか?」
「いや、その……」
「謝りたいんだ。私はバカだった。アルフを疑うべきじゃなかった。
アルフは正しいことをしたとは言いきれない。しかし、あの場では最善の行為だったのだろう。
アルフはエルアを殺したわけじゃなかった。スピカを守るために消えたんだな。そうなんだな」
アンナの
それを見たレグルスは、アンナから庇うようにファミラナの肩に手を乗せた。
「ちょっと落ち着けよ」
ファミラナは途端に顔を真っ赤に染め、アンナは自分の行動を恥じて
「つかさ、なんでアンナはここに居るんだよ。アルデバランに加担してんじゃないだろうな?」
レグルスは問い掛ける。
「そんなわけないだろう!」
途端にアンナは
「お待たせしました」
そこへ、店主が飲み物を運んで来る。ブラックコーヒーが一つ、カフェオレが二つ、オレンジジュースが一つ。それをテーブルの中央に置いていく。
「私はそんな外道ではない! カオスが何か知っていながら、カオスを呼ぶわけないだろう!」
アンナは唾を飛ばす勢いで捲し立てる。まるで店主が見えていないかのようだ。
「ちょっと、カルキノスさん! しー! しー!」
アヴィオールは店主に話を聞かれることを恐れ、相手が目上だということも忘れて彼女の肩を叩き声をかける。
店主はそのやり取りが面白いのか、笑いを堪えるように口元をキュッと結んで立ち去っていく。
「私は、
「だからうるさいってば!」
なおも止まらないアンナの力説に、アヴィオールが怒鳴り返す。
「う、うるさいだって?」
アンナは驚き、裏返った声で言いながらアヴィオールを見返す。
「うるさいよ。一般人に聞かせる内容じゃないでしょ」
そこでようやくアンナは気付いた。店主を振り返ると、「ああ……」と声を漏らす。そして頭を抱えた。
「そうだな。一般人に聞かせる内容ではないな」
「小声で話してくれます?」
「…………はい」
子供に叱られているのが情けないのだろう。アンナは消え入りそうな涙声で返事をし、頷いた。
アヴィオールはアンナを冷ややかに見る。そして向かい側に座るレグルスに耳打ちした。
「何で賢者って変人ばかりなの?」
「知らねえよ。俺に聞くな」
その会話はアンナに聞こえていなかったようだ。アンナはぽつぽつと話し始める。
「アルゲディが先にここに来てたらしいんだ。それで、カオスの斑点を見つけて私を呼んだってことらしい。
いや、本当は、賢者である私に輝術を使わせて、カオスを早めるのが魂胆だろう。レオナルドから予めカオスについて聞いていたから、私は輝術を使うことに慎重だった。
ただ、そろそろ時間稼ぎは厳しそうでな。アルゲディに話をするつもりだったんだ。一旦宮殿に帰ろうと。
ただな。アルゲディの姿が朝から見えなくて。それで探していたんだ」
アヴィオールは納得する。
アンナが街を歩き回っていたのは、自分達ではなく、
おそらくアルゲディは、カオスを早めようとしているのではないか。そのためには、輝術を惜しみなく使うつもりなのだろう。
そこで、一つの考えに行き着く。
「え、これ、ヤバくない?」
アヴィオールの呟きに、その場の誰もが首を傾げる。
「だってさ。カルキノスさんが術を使うの渋ってるんでしょ?
てことは……
で、確か
レグルスの、ファミラナの、アンナの顔が、サアッと青ざめる。
アヴィオールの言うことは仮定の話でしかない。しかし、それが本当に起こるとしたら、町中がパニックに陥りかねない。
何より、アヴィオールはスピカの身を心配していた。
店主は、深刻な話をしている四人に、ケーキを運んできていた。
「まずいぞ……早くアルゲディを見つけなければ……」
アンナは立ち上がる。
彼女の肩が店主の肩にぶつかり、店主は大きくバランスを崩した。ケーキが宙を舞い、床に落ちる。
「ああ! すまない!」
アンナは店主に謝罪する。
「謝罪されましても……」
「本当にすまない。お金は払う。ケーキもまた改めて買わせてもらう。
だが、急ぎの用ができてしまってな。これにて失礼する」
アンナは紙幣を五枚机に置く。ケーキと飲み物の代金としては多すぎる額だが、釣り銭を受け取ることもなく、早足で店を出る。
残された三人もまた、事態を放ってはおけないとばかりに、顔を見合わせ頷き合う。そして立ち上がると、アンナを追いかけ店を後にした。
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