ブルーマーブルは黒に染まる(4)

 向かった先は住宅街。所狭しと並んだ家々の中に、海蛇の屋敷はあった。

 こじんまりとした家だ。周辺と比べても、差程違いを感じない。

 アルファルドは扉の前に立つ。親子とはいえ十五年近く音信不通だったのだから、緊張してしまうのは仕方ない。大きく深呼吸をし、はやる気持ちを抑えつける。

 スピカはその後ろにぴったりとくっついた。アルファルドの顔を見上げるが、彼はすっかり固い顔をしていた。


「アルフ、きっと大丈夫よ」


 スピカはアルファルドに声をかける。見下ろす彼に、ふわりと笑って見せた。

 アルファルドは意を決して、リング状のドアノッカーを摘む。金属同士をぶつけ、三回音を鳴らす。


「はいはい。今行きますよ」


 家の中から聞こえてきたのは、しゃがれた男性の声だった。

 すぐに扉が開かれる。


「お前……」


 中から出てきた男性は、アルファルドとそっくりであった。皺が多いが、生き写しのようである。

 アルファルドはぎこちなく笑う。


「ただいま、父さん」


 アルファルドの父、ヒュダリウム氏は、唖然とした表情で、開けたままの口を塞げないでいる。


「すぐに帰るから気にしないでくれ」


「もっと他に言うことがあるだろう……」


 ヒュダリウム氏は深くため息をつく。しかしその顔には笑みを浮かべ、両手を広げてアルファルドを抱きしめる。

 アルファルドも安堵した顔で父親を抱きしめた。再会を互いに喜び、背中を叩き合う。


「あなた、お客様なの?」


 家の奥からもう一人、今度は女性が顔を出す。ふっくらとした体型の彼女は、アルファルドの母親であった。アルファルドの姿を見ると、その両目に涙を滲ませる。


「アルフ、あなた死んだんじゃ……」


「勝手に殺さないでくれ、母さん」


 父から離れると、今度は母に抱きしめられる。母親の抱擁ほうようは力強い。アルファルドは、こんなに再会を喜ばれるとは想定外だったらしい。嬉しくありながらも困惑してしまう。


「それで、そのお嬢さんは?」


 ヒュダリウム氏は、スピカの姿に気付くと問いかける。アルファルドが答えるより先に、スピカは名乗った。


「初めまして、スピカです」


 ヒュダリウム夫人はピンときたようだった。アルファルドから離れてスピカに近付くと、にこやかに問いかける。


「ああ、あなたが乙女の大賢人様の?」


「……ご存知だったんですか?」


「ええ、アンナから聞いているもの」


 ならば、アルファルドがスピカをさらったという話も聞いているのだろうか。スピカが疑問に思っていると、ヒュダリウム夫人は言葉を続けた。


「アルフは、何か事情があってあなたを連れ出したんでしょう?」


 アルファルドは尋ねる。


「自分を信じてくれるのか?」


「息子を信じない親がいるもんですか。私も父さんも、始めからあんたの味方よ」


 ヒュダリウム夫人の温かな言葉に、アルファルドは目頭に込み上げる熱を感じる。目を閉じてそれを押し留め、口元に安堵の笑みを浮かべた。

 アンナが何を両親に伝えたかわからないが、少なくとも両親は敵ではない。自分を信じて、愛してくれている。それだけで十分であった。


「さあさ、中に入りなさい」


 ヒュダリウム夫人に誘われ、スピカとアルファルドは家に入る。

 海蛇の一族は、あまり高名な家系ではないようだ。家の中はお世辞にも広いとは言えない。ごく普通の一般家庭であった。

 部屋の中に入ると、まずダイニングキッチンが目に入る。日々の掃除が行き届いたダイニングは、客をもてなすには十分な程に片付いていた。


「座って待ってて」


 ヒュダリウム夫人はそう促し、コーヒーの準備をすべく、キッチンへと向かう。その彼女の背中へ、アルファルドが声をかけた。


「母さん、すまん。実は荷物を取りに来たんだ。急いでここを発たなきゃならない」


「荷物を取りに?」


 ダイニングの椅子に腰掛けたヒュダリウム氏は、アルファルドの言葉をオウム返しする。暫し考えていたようだったが、心当たりがあったようで、「あー」と声をもらす。


「お前の部屋に置いていったブリキ缶のことか。変わらず部屋に置いてあるぞ」


「よかった。スピカ、ちょっと待っててくれ」


 アルファルドはダイニングを出て階段を駆け足に上がる。

 スピカは初対面の夫妻と同じ部屋に残され、気まずさを感じた。


「スピカちゃん、コーヒーは好き?」


 ヒュダリウム夫人が、アイスカフェオレを持ってキッチンから顔を出す。


「それとも、オレンジジュースの方がよかった?」


「いえ。コーヒー大好きです。頂きます」


 夫人に促され、スピカは椅子に腰掛ける。目の前にカフェオレが置かれた。ミルクがたっぷりと入っているようだ。薄いベージュ色のそれからは、ミルクの濃い香りがした。一口飲めば、ふくよかな甘みに頬が蕩けそうだ。


「あの、アルフと私のことはご存知なんですか?」


 スピカは夫妻に問いかけた。アルファルドのことを快く受け入れているとはいえ、自分達の関係性を良く思っているとは限らないと考えたからだ。

 確かにヒュダリウム夫人はスピカの態度を煩わしく感じていたようだ。しかし、それはスピカの境遇をうれいてのことではない。


「硬っ苦しい言葉なんてやめなさいな。私達は家族なんだから」


 思わぬ言葉にスピカは面食らう。


「アンナから聞いているよ。

 アルフが乙女の末裔を自分の子として育てている。それが正義に基づいた行動かはわからないが、アルフもその子も互いを愛し、信頼している。

 もしここに帰ってきた暁には、快く迎え入れてほしい。とね」


 ヒュダリウム氏の言葉に、スピカは瞳を潤ませた。

 信じてくれる存在がいることが、何と心強いことか。

 ヒュダリウム夫妻は、スピカ達の全てを知らずとも、信じようとしてくれている。息子の家族であるスピカを、暖かく迎え入れてくれているのだ。

 そして、アンナも同じ考えなのだろう。そうでなければ、ヒュダリウム氏の発言は出てこなかっただろうから。

 しかし、アンナはアルファルドのことを嫌っていたのではなかったか。どういった心境の変化があったのだろうか。

 スピカの思考を遮るように、ヒュダリウム夫人が声をかけた。


「アルフってば、あんなこと言ってたけど、今日は泊まって行きなさいな。夜ご飯何がいい?」


「ありがとう。でも友達を待たせちゃってるから。ごめんなさい」


「あら、友達も一緒? いいのよ、一緒でも」


 スピカが丁重に断ろうとしていた矢先、階段をかけ下りるバタバタという音が聞こえてきた。

 アルファルドだ。彼はブリキ缶を小脇に抱え、慌てるあまり階段の最後一段を踏み外す。尻餅をつき、その衝撃が腰に伝わり、痛みで呻きながら背中をさすっていた。


「アルフ、大丈夫?」


 彼の慌て癖に笑いをこぼしながら、スピカは近付いた。

 しかし笑い事ではないということが、アルファルドの表情から汲み取れる。彼は驚愕きょうがくと困惑がぜとなった表情をスピカに向けていた。


「中身がない」


 アルファルドの呟きに、スピカはポカンとした。豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしたスピカに、アルファルドはブリキ缶を差し出す。

 ブリキ缶には南京錠が引っ掛かっていた。しかし、それは解錠されている。アルファルドが片手を開くと、そこに南京錠の鍵が握られていた。


「机の引き出しにブリキ缶だけを入れていたはずなんだ。だが、さっき見たらブリキ缶と鍵があった」


「え? この鍵が、ここにある日記のための鍵じゃないの?」


 スピカは首元から、服の下に隠したネックレスを引き出す。アンティキティラにて、クリスから受け取った鍵だ。

 その鍵は、アルファルドが持っているものとは似つかない。アルファルドが持つ鍵は簡素なものだが、スピカの鍵は精巧な作りであった。


「そうだ。スピカの鍵が、本来これを開けるための鍵だ。だが、こっちの鍵で開いた。

 中を見てくれ」


 アルファルドはスピカにブリキ缶を渡す。スピカは受け取り蓋を開けた。

 中に入っていたのは紙切れ一枚。そこには、書き手の生真面目さが表れたかのような角張った文字で、メッセージが書かれていた。


『火の星に比類する者が迫っている。

 この手記は盟友が預かった』


 差出人は不明。しかし、犯人は容易に推測できる。

 海蛇の賢者にとって、盟友とはかにの大賢人のことである。つまり、アンナ・カルキノスが日記を持ち去ったのだ。

 そして、火の星に比類する者というのは、おそらく隠語だろう。誰のことを指しているのかわからないが。


「何だ? そんなに騒いで」


 ヒュダリウム氏が、呑気な声で話しかけてくる。彼は何も知らない。それ故に呑気であったのだが、アルファルドは苛立った。


「自分の部屋にアンナを入れたのか!」


 焦りを含んだ怒鳴り声に、ヒュダリウム氏は眉をしかめた。

 アルファルドはすぐ我に返り、首を振って気持ちを落ち着ける。


「すまん。自分の持ち物がなくなっててな」


「なくなってた?」


 アンナの性格上、他人の持ち物を盗むなど考えにくいのだ。ヒュダリウム氏はアルファルドに疑いの目を向ける。


「お前がなくしたんじゃないか?」


「箱の中身だけなくなってるんだ」


 そのように訴えたところで仕方ない。中身が盗まれているのであれば、容疑者に確認するより他になかった。

 アンナと接触しなければならない。


『おじ様、すみません』


 アルファルドの頭にテレパシーが響く。ファミラナからだ。

 ファミラナに返事をしようと、アルファルドは口を開く。しかし、ファミラナのテレパシーは一方通行だ。そのことを思い出し、口を閉ざして聞き取ることに集中する。

 声がかなり遠い。距離が離れているのだろう。


『すみません、尾行に失敗しちゃいました……でも、カルキノス様は私達に友好的です。ちょっとお話してみますね。

 では、また後で』


 そして通信は一方的に切られた。

 アンナがファミラナ達に友好的だとは、どういうことなのだろう。アルファルドはその理由がわからず、首を傾げるしかできない。


「アンナは来たよ。それこそ、今しがたスピカちゃんに話していたんだが」


 ヒュダリウム氏が語る。


「一週間前、アンナがコレ・ヒドレに来てすぐだ。盟友ということで、賢者の私に挨拶するべく顔を出してくれた。

 そして、お前達が来たら、快く迎え入れてくれとも言っていたよ」


 アルファルドは驚いていた。スピカと同じように、アンナの心変わりを疑問に感じた。


「アルフの部屋を見て行くって言ってたのよ、その時」


「ああ、そうだったね」


 ヒュダリウム夫人ははその時のことを思い出したように言い、ヒュダリウム氏はそれに同意する。


「部屋に通したのか?」


「ああ。見られて困るようなものなんか、置いてなかっただろう?」

 

 スピカはアルファルドと顔を見合わせた。

 合点がいった。アンナはアルファルドの部屋に立ち入り、その時にブリキ缶ごと日記を盗んだのだ。そして、予め用意していたメモ入りの偽者を、アルファルドの部屋に残したのだろう。

 敵にブリキ缶が渡ってしまったのかと不安を抱くが、夫妻の話によると、アンナはアルファルドへの敵意を無くしているようにも思える。


「何にせよ、アンナに話をつけに行かなきゃならん。スピカ、ここで待ってろ」


 アルファルドは立ち上がる。


「私も行くわ」


 スピカもまた立ち上がる。

 アルファルドは首を振った。


「駄目だ。万が一、アンナが敵だったらどうする」


「でも」


「ファミラナと合流して、何かあればファミラナからテレパシーを送る。それまでは、ここにいてくれ」


「留守番なんて……」


 スピカは残されることを嫌がった。しかし、アルファルドは有無を言わせず、スピカを見下ろして言った。


「いいな」


 スピカにはわかっている。

 アルファルドが自分を危険な目に遭わせたくないと思っている。

 それだけではない。スピカが敵方に捕らわれれば、宮殿にいた時のようにエウレカが体を支配するだろう。そうなれば、エウレカが輝術を使うことにより、カオスは加速してしまう。

 慎重に行動しなければならない。だから、今はアルファルドに任せて待つべきなのだ。

 だが、受け入れられない。


「行ってくる」


 スピカの返事を聞かず、アルファルドは玄関へと向かう。

 スピカはそれを追いかけようとしたが、ヒュダリウム氏に肩を掴まれた。


「何があったのかは知らんが、今はアルフの帰りを待っていよう」


 ヒュダリウム氏は、アルファルドの頑固さを知っている。そして、頑固になるのは重要な何かを成す時だということも。

 スピカはアルファルドの背中を見送る。心配で仕方なかったが、何事もなく戻って来れるように祈った。

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