ブルーマーブルは黒に染まる(3)
コレ・ヒドレは港町であった。
真っ赤な屋根の建物が軒を連ねてひしめき合い、海にはいくつもの漁船が浮かんでいる。
真昼の太陽が高い時間帯に、銀河鉄道は到着した。照りつける陽光は眩しくて、スピカは堪らず目を細めた。
銀河鉄道から降りた一行は、街の雰囲気に呑まれそうになる。
港町と言うからには、多少の陽気さがあるのだろうと誰もが思っていた。しかし、実際に街中に繰り出してみれば、そこが陰気な街であると理解するのはそう時間がかからなかった。
街は所々色が無く、真っ黒な斑点がぽつぽつと続く。
「まさか……自分がいない間に、こんな……」
アルファルドは呟く。彼にとっても、この陰気さは予想外だった。
「ねえ、この斑点って……」
「ああ……」
ファミラナの呟きに、レグルスは頷く。この黒い斑点と陰気さは、以前乙女の宮で見た景色とよく似ていた。
光が抜け、色が消える現象。通称カオス。どうやら、コレ・ヒドレはカオスに苛まれているらしい。
この街がどうあろうと、やることは変わらない。アルファルドの実家に向かい、エルアの日記を持ち帰ること。
アルファルドを先頭に歩き出す。きっとアルファルドが暮らしていた時とは様変わりしているのだろう。彼は唖然とした表情で辺りを見回しながら歩いていく。
アルファルドの後ろを歩いていたスピカは、街の惨状に対して呟く。
「アルニヤトと同じだわ」
アルニヤトもまた、寂れて人が離れていたことを思い出す。コレ・ヒドレに同じ空気を感じたスピカは、鳥肌が立つ腕を擦る。黒く腐り今にも崩れそうな街路樹を見ていると、気が滅入りそうだった。
街の大通りは、本来市場があるのだろう。露店が道を挟むようにずらりと並んでいたが、商品も店員もそこには存在しない。
「あ、フィリップさん」
アルファルドは子供達から離れてその老人に近付く。彼はゴミ出しをしようとしていたらしく、道の脇にゴミ袋を置くと、曲がった腰を押さえながらアルファルドを見上げた。
一瞬呆けた表情を見せた老人だったが、アルファルドの顔をまじまじと見ると、ぱあっと顔が明るくなる。
「おお、ヒュダリウムのとこの! ようやく帰って来なさったか! 元気にしとったか?」
「お久しぶりです。すみません、顔も見せず」
「全くじゃわい。最後に会ったのはいつだったか……十五年前か?」
カッカと快活に笑うフィリップに、アルファルドはつられて笑う。
「して、後ろの子らは?」
フィリップはスピカ達の姿を見つけ、よく見ようと目を凝らす。その動作に気付いたスピカとアヴィオールは会釈した。レグルスとファミラナは、景色に目を取られ、気付かないようであったが。
アルファルドはスピカを振り返り紹介する。
「自分の娘です。それと、娘の友達と」
「はあー、帰って来ないと思っていたら、娘さんができなさったか」
フィリップは目を白黒させる。
スピカのことを紹介したいのは山々だったが、昔なじみに声をかけたのはそのためではない。アルファルドは早速本題に入った。
「コレ・ヒドレが何でこんなに寂れているんですか? 一体どうしてこんな……」
アルファルドは口を閉じ目を見開く。
フィリップの後方、遠く離れた十字路の先に、会いたくない人物を見つけたのだ。アルファルドはスピカを振り返り、身振りで隠れろと指示をする。
スピカはその意図を汲み、アヴィオールの手を引いて屋台の影に隠れた。一瞬遅れて、レグルスとファミラナも別の屋台に身を隠す。
「すみません」
アルファルドはフィリップの手を引いて、家と家の隙間に隠れた。フィリップは面食らい、そして
「すみません。今我々は追われていまして」
アルファルドが言う。
彼の目に映ったのは、蟹の大賢人であるアンナ・カルキノス。そして彼女が従える近衛兵だ。
彼らは巡回をしているらしい。彼女は果たして敵なのだろうか。アルファルドの故郷であるため、待ち伏せをしているのだろうか。
そうなのだとしたら、全くもって正しい判断だと、アルファルドは頭の中で
「ああ、カルキノス様は三日前からこちらにいらっしゃってな。
まあ、ここは
フィリップが語る。
「カルキノス様がいらっしゃったのも、このヘンテコな斑点のせいでな……」
「斑点の……」
アルファルドは言葉を漏らす。
「変な斑点や木の黒ずみが出てきたのが一週間前……それを知事が大賢人様に掛け合ったようでなあ。
いや、それ自体は変なことじゃあない。変なのは、カルキノス様がいらっしゃっても改善しないことよ。
今までこんなもの、
フィリップは声にならない唸り声をもらす。
アルファルドは察しがついていた。カオスが起きているということは、この土地の光が失われているということだ。
それについて、アンナは何も知らないのだろうか。彼女は、乙女の継承の儀に参列していたはず。ならば、その後カオスのことをアルデバランから教えられていてもおかしくない。
カオスを知らずにここに来たとは考えにくい。それなのに住人を避難させず、街を
アンナは兵に指示を出し、どこかへと去っていく。遠くなりつつある彼女の後ろ姿を見ると、アルファルドはほっと胸を撫で下ろす。
「来ているのは、カルキノスだけですか?」
アルファルドはフィリップに問いかける。フィリップはそれに対して首を振り否定した。
「いや、
フィリップは斑点を忌々しげに見つめる。そして、ごみ袋を片手に提げて、収集所へと向かった。
スピカは駆け足でアルファルドに近付く。アルファルドの顔を見上げ、不安を吐露する。
「カルキノスさんがいるなんて……あの人は敵なの?」
アルファルドは顎に手をそえる。正義感が強いアンナの性格を思うと、世界の実情を知って敵に
「とりあえず、アルフの実家に行こうよ。カルキノスさんに見つからなきゃいいんでしょ?」
アヴィオールは言うが、アルファルドは首を横に振る。
「いずれ、アンナとは対峙しなければならんだろう。この街がカオスに呑まれつつある理由を訊かねば」
「え? どういうこと? カルキノスさんに関係があるの?」
アルファルドは、今しがたフィリップから聞いた話を伝える。「アンナが敵かもしれない」という憶測も添えて。
「それ、本当なの?」
「ていうことは、やっぱり敵なのかな」
スピカとファミラナは顔を見合わせる。
「アンナが世界を滅ぼすことを良しとはしないだろうがな。騙されて敵方についている可能性は有り得る」
アルファルドは自分の考えを述べる。子供を不用意に怖がらせる意図はないが、可能性を提示することで心積りをしてもらいたい。
「本当だったとして、どうすんだ? 戦うのか?」
レグルスは冷静に問いかける。しかし、アヴィオールはレグルスの意見を良しと思わない。
「そりゃ故郷がこんなになってるのは辛いだろうけど、下手にカルキノスさんに接触するのは駄目だよ」
アルファルドは思案する。
街の惨状については、一先ず後回しにすべきではないか。それよりも、日記を手に入れる前にアンナから邪魔を受けるかもしれない。
「なあ、スピカとアルフさんの二人で日記取ってきたら?」
唐突に、レグルスは提案をした。
「二人で?」
「どうして?」
スピカとアルファルドが同時に尋ねる。
レグルスは自分を犠牲にしようと考えているらしい。仲間も連れて。
「俺、ファミラナ、アヴィの三人で、アンナを尾行するんだよ。ファミラナに定期連絡任せれば、アンナとスピカ達の鉢合わせを回避できる」
良いアイデアだと思っているレグルスは、そう言いながらほくそ笑む。
「あー、いいんじゃない?」
「私も賛成かな」
アヴィオールやファミラナまで、レグルスの案に賛同する。
「いや待て。危険すぎるだろう」
アルファルドは慌ててレグルスの案を拒否した。
「アンナが味方かどうかなんて、わからないんだ。お前達に何かあったら、親御さんに顔向けできん」
「そうよ。捕まったらどうするの」
アルファルドとスピカは口を揃えて否定するが、レグルス達の中では意見が纏まっていた。
「大丈夫だよ。僕らを捕まえたところで、敵は得をしない。本命はスピカだ。だから、スピカが隠れてやり過ごせればいいんだよ」
「そんな簡単に言うけど、アヴィ達が何もされない保証はないのよ?」
「まあ、そうなったら僕の白鳩があるし、レグルスのマントがある。何よりファミラナは戦える」
何を言っても無駄だ。スピカは呆れた。額をおさえてため息をつく。
「じゃあ、俺らはアンナを探してくるぜ」
「後で連絡しますね、おじ様に」
これ以上拒否をされる前にと、レグルスとファミラナは、駆け足でスピカ達から離れた。アヴィオールも遅れてそれを追いかける。
「あ、おい」
アルファルドは引き留めようとしたが、無駄だと察して声を萎ませる。
「気を付けて頂戴ね」
スピカが声をかけると、アヴィオールは振り返り片手を上げた。
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