ブルーマーブルは黒に染まる(2)

 アルファルドは深くため息をつく。

 彼の手の中には、スピカの手が握られている。人差し指と中指の爪は割れて剥がれかけ、血がにじんでいた。

 剥がれかけた爪の上からガーゼをあてがい、医療用テープで固定する。応急処置としては十分だ。


「スピカもアヴィも、すまない。保護者失格だ」


 二人がさらわれてしまったこと、怪我をしてしまったことを気にしているのだ。スピカは首を横に振り、隣に立つアヴィオールの顔を見つめる。

 アヴィオールの方が怪我は酷いのだ。絆創膏ばんそうこうを貼られた頬と、痣を隠す左目の眼帯が痛々しい。


「それを言うなら、私の巻き添えでアヴィは連れて行かれたし、私の方が情けないわ」


 しかしアヴィオールは、スピカの言葉に反対する。


「いや、むしろ僕がスピカを守れなかったことが原因だから……

 いや、終わったことだしやめよう。それよりさ」


 アヴィオールは建物を見つめる。その先にあるのは、ペガサスを育成している牧場。アクィラの街から少し下った、山の中腹にある牧場だ。数年前より観光客向けに始めた事業とのことだが、客の姿は見かけない。


「僕らしかいないね?」


 寂しい景色を揶揄やゆして呟いた言葉だったが、それを聞いたアルファルドは肩を竦めるのみ。


「さっさと受付して、隣町まで行くぞ」


 アルファルドは早足で牧場へと向かい、母屋を目指す。スピカとアヴィオールは歩きで着いて行く。


「いてて」


 アヴィオールは右足が地面に触れる度顔を顰める。先の騒動で脚を負傷しているのだ。


「大丈夫?」


「大丈夫だよ」


 グリードが居てくれたら治して貰えただろうかと考えるが、いないのだから仕方ない。

 やがて二人が牧場に到着すると、受付を済ませたアルファルドが、牧場主と共に母屋から出て来た。


「ああ、そこの子達も一緒ね。

 ペガサスの馬車なんて、ファンタジックで素敵でしょう?」


 牧場主である恰幅かっぷくの良い女性は、両手を合わせてニコニコと笑う。

 しかしながら、ペガサスの馬車と聞いても、興奮するどころかえてしまう。

 ペガサスが引くということは、空を飛ぶということだ。レールの上を走る銀河鉄道は揺れを抑える技術が搭載とうさいされているが、生き物頼みの馬車ではどれだけ揺れるかわからない。

 内心ではゲンナリとしているスピカだが、それを顔に出さないように愛想笑いを貼り付けていた。


「準備するから待っててね」


 牧場主はそう言って、柵の中へと入っていく。柵の中では芝生が茂っており、ペガサスがそれをんでいた。

 放牧されているのは五頭であった。牧場主はその中から体格が大きな一頭を見繕い、柵の外まで連れて来た。

 汽車の窓から野生の個体を見たことはあったが、至近距離でペガサスを見るのはスピカにとって初めての体験だった。その美しい芦毛あしげ見蕩みとれていると、牧場主はスピカに声をかけてきた。


「この子、綺麗でしょう? まあペガサスはどの子も綺麗だけどさ。この子は特別だよ」


 ペガサスも褒められて嬉しいらしく、翼を広げてみせた。


「隣町のフォルティチュードまでだっけ?」


「はい。お願いします」


 アルファルドが頷く。

 牧場主はペガサスを連れて、母屋の傍に停めている馬車へと近付く。ペガサスのハーネスに馬車を接続し、繋ぎ忘れがないよう念入りに確認した。


「さあ、準備できたよ」


 牧場主の言葉を合図に、スピカは馬車へと乗り込む。

 街中を走る馬車と同じような作りであったが、唯一違うところがあった。席にはそれぞれベルトが備え付けられていたのだ。


「ベルト、ですか?」


「揺れるからね。念の為だよ」


 空を駆ける乗り物だ。落ちたら一溜りもない。そのためのシートベルトなのだろうが、それを踏まえても心配は尽きず苦笑いしてしまう。

 やがて三人全員が乗り込み、皆ベルトをつけた。スピカとアヴィオールは隣り合わせで進行方向に体を向け、スピカとアルファルドは向かい合わせに腰掛けている。

 御者席ぎょしゃせきには牧場主が座った。彼女もベルトをつけ、緩みがないことを確認する。


「じゃあ、出発するよ。ゴー」


 ペガサスが歩き出す。車輪がコトコト音を立てながら、馬車は土の上を走る。

 ペガサスは段々と足を早める。そして、山道を走っていたかと思うと、目の前は断崖絶壁。進む先には何も無い。

 スピカは息を飲む。思わずアヴィオールの手をぎゅっと握った。

 しかし、より怖い思いをしているのはアルファルドだろう。彼は進行方向が見えないのだから。


「飛んで!」


 牧場主が声をかけると、ペガサスは大きく翼を広げた。それを二回羽ばたかせると、地面を蹴って崖から飛び立った。


「ひゃあ!」


 馬車がガクンと上下に揺れる。衝撃に驚き、スピカは小さく叫んだ。

 ペガサスが引く馬車はふわりと浮かび、進み始める。ペガサスが羽ばたく度に、強い風が車体を揺らす。

 やはり銀河鉄道とは異なり、座席は揺れが激しい。シートベルトをしていなければ投げ出されていただろう。

 牧場では、こんな乗り物を観光客に勧めているのかと思うとゾッとする。


「楽しいでしょ?」


 牧場主は言うが、その場の誰もが賛同しかねた。牧場主は、お世辞が言えない三人を気にする様子はない。

 ペガサスの馬車は、それほど高く飛ばないようだ。せいぜいアクィラの街と同じ程度の高度である。

 馬車からは街並みや田畑、森が見え、銀河鉄道とはまた違った景色を楽しめたのだろう。体調が良ければ。


「ヤバい……酔いそう……」


 アヴィオールはくらくらと目を回し、たまらず頭を落として床を見る。


「大丈夫か?」


「だいじょばない……」


 アヴィオールの様子を見て、アルファルドは苦笑いする。


「せいぜい十五分程度だ。我慢してくれ」


 アヴィオールは返事をする余裕がないようで、小さく一度頷いて、それきり何も言わなくなってしまった。

 スピカはアヴィオールをそっとしておくことに決めたらしい。


「随分揺れるわね」


「酔ってないか?」


「今のところは大丈夫よ」


 そう言いつつ、スピカも余裕はないようだ。窓の外をぼんやりと見つめていると、視界が上下するために頭も揺れているような錯覚に陥る。それを振り払うように頭を振る。


「フォルティチュードで汽車に乗り換えるのよね?」


 既に何度も確認していることを、スピカは口にする。喋って気を紛らわさないと酔ってしまいそうだ。


「そこでレグルス達と合流して、そこからコレ・ヒドレよね。どのくらい時間かかりそう?」


 アルファルドは左手首につけた腕時計を見る。現在は午前十時半。


「十一時の汽車で合流して、そこから二時間だから、おそらく一時前後に到着だな」


「けっこう遠いのね」


 コレ・ヒドレは、アルファルドの実家があると聞いている。彼にとっては十五年越しの帰省になると言えよう。

 そんなアルファルドを心配して、スピカは遠慮がちに問いかける。


「その……気まずくないかしら?」


 アルファルドは、スピカの胸中を察した。


「大丈夫だろう。そんなに長居するつもりはない」


「アルフのお父さんとお母さんでしょう? 色々と話すこと、あるんじゃないかしら?」


「日記を回収したらすぐに獅子の大賢人に会いに行くつもりだ。一時間も居ないぞ」


 スピカは、てっきり一日くらいは滞在するつもりなのだろうと想定していた。まさか、アルファルドが一時間程度で用事を片付けようとしているとは考えつかなかった。

 きっと、すぐに立ち去ってしまえば気まずさを感じずにいられるということだろうが、スピカはそれに納得しない。


「そんな。アルフはそれでいいの?」


「自分達は追われている身だ。長居したくともできんだろう」


「言い訳じゃない、そんなの」


 スピカは頬を膨らませる。

 仮にも、アルファルドはスピカの義父なのだ。親の気持ちは彼が一番よく分かっているだろうに、親をないがしろにする発言は認めることが出来ない。


「ちゃんと顔を見てしっかり話さないと。私達、それで失敗してたじゃない。また失敗するのは嫌よ」


 痛いところを突かれ、アルファルドは苦い顔をする。

 スピカがアルファルドの許可なく宮殿に向かったのも、そこでエウレカに騙されたのも、元を正せばスピカとアルファルドが言葉を交わさなかったからだ。スピカの意見には一理ある。耳が痛くて、アルファルドは額を抑えた。


「確かにそうだ」


 スピカは「そうでしょ?」と言いたげに小首を傾げる。


「それに、アルフのご両親は、私のお爺ちゃんとお婆ちゃんにあたるんだから、ちゃんと紹介してくれなきゃ困るわ」


 更なる要求に、アルファルドはほとほと困ったようだ。


「ああ、わかった。確かにそうだ。

 だがなあ……自分の父は厳しい人でなあ……」


「それならそれで仕方ないわ。認めて貰えれば嬉しいし、拒絶されたら諦めるわ」


 スピカはさらりと言ってのけるが、アルファルドにとっては辛い言葉だ。実父から拒絶され続けて、感覚が麻痺しているのだろう。十五歳の少女があっけらかんとしているのは、虚しいことだった。


「お客さん! お喋りもいいけど、景色見てごらんよ!」


 手綱を引いていた牧場主が、スピカ達に声をかける。皆一斉に外へと目をやった。

 スピカは、眼下に広がる景色に感嘆し、声をあげた。

 連ねる山々は緑が生い茂り、風に吹かれて揺れている。時折小鳥の群れが山から飛び立ち、けたたましい鳴き声が辺りに響く。

 山を越えると、その向こうには湖が広がっていた。深く青い水面と、そのほとりで駆け回るユニコーン。優美なたてがみは陽の光で煌めいて、離れた上空からでもよく見えた。


「すっごい……」


 アヴィオールも感動し声をもらす。しかし酔ったままの彼の顔は、もらした声にそぐわない程青かった。


「あ、やっぱだめだ。気持ち悪……」


 アヴィオールは顔を下に向け目を閉じる。


「お客さん大丈夫? 休憩する?」


 牧場主は気を利かせて声をかけるが、アヴィオールは「大丈夫です」と返事をした。休みたいのは山々だが、休む時間などあるはずもない。


「あと十分よ。頑張って」


「うわ、きっつ……」


 アヴィオールは涙目で下を向いたまま、スピカとアルファルドは景色を眺めながら、馬車が目的地に到着するまでの時間を過ごす。

 空から見る景色は、自分達に身近でありながら知らないものも多く、飽きることがない。

 やがて馬車が目的地に近くなると、ペガサスはゆっくりと高度を下げ始めた。出発の時とは違い、揺れは控えめだ。滑るように地上に降り立つと、そこはフォルティチュードの駅であった。

 牧場主は手綱から手を離し、ベルトを外して地上に降り立つ。


「はい、到着。どうだった?」


 馬車の扉を開けると、そう声をかけた。

 スピカはそれなりに楽しめたようで、ほくほくとした様子で降りてくる。対して、アヴィオールは千鳥足であった。


「大丈夫か?」


「……もう乗らない」


 アルファルドの心配に、アヴィオールは首を振る。

 牧場主は残念がって眉尻を下げる。しかし、そういうトラブルには慣れているのだろう。予め用意していたミント味のガムをアヴィオールに手渡して「お大事にね」と声をかけた。

 全員が馬車から降りると、牧場主は再び御者席へと乗り込む。馬車は再び空へと飛んでいき、あっという間に小さくなった。

 時刻は十時五十分。乗り継ぎまで時間が無い。

 

「走るぞ」


 アルファルドは駆け足で駅へと向かう。グロッキーなアヴィオールの手をスピカが引っ張った。

 フォルティチュードの駅は寂れており、駅員が二人いるだけだった。スピカ達以外に客は二人しかおらず、駅構内は静まり返っている。

 ホームに入るとアナウンスが流れてくる。それほど待たないうちに、列車がホームに降り立った。

 予定通りなら、銀色の煙を吐き出すその列車に、レグルスとファミラナも乗っているはずだ。扉が開くや否や、スピカ達は列車の中へと入った。


『アヴィくん、乗ったなら三番車両に来てくれる?』


 アヴィオールの頭の中に、ファミラナの声が響く。間違いなく、レグルスとファミラナは列車の中にいるようだ。


「三番車両だって。行こう」


 アヴィオールはミントガムを口に放り込み、三番車両へと移動する。

 列車の中も乗客は少ない。難なく三番車両までやって来ると、ボックス席から顔を出して手を振るレグルスの姿を見つけた。


「すまないな。損な役回りをさせてしまって」


 アルファルドは、レグルスとファミラナに声をかける。ファミラナは首を振り、申し訳なさそうに答えた。


「いえ。罪滅ぼしですから」


 ファミラナは自分がやってきたことに罪悪感を抱いていた。操られていたとはいえ、裏切ったという事実は変わらないとでも考えているのだろう。


「てかさ、このアイス硬すぎねえ? 十分待ってもまだ溶けねえんだけど」


 気まずい雰囲気を壊すように、レグルスはファミラナに声をかける。車内で購入したバニラアイスは、溶ける気配が全くない。


「溶けにくいって評判だけど、ここまでとは思わなかったなあ」


 ファミラナもまた、溶けないバニラアイスを前にして困り果てているようである。

 それを見たスピカとアヴィオールは、羨ましさから声をあげる。


「あー、いいなー」


「車内販売やってるの?」


「ああ。買ってきたら?」


 レグルスが提案する。

 スピカはじっとアルファルドを見上げた。


「遠足じゃないんだぞ」


 アルファルドは言うが、スピカは目を逸らさない。両手を合わせて上目遣いで強請ねだる。


「お願い」


「わかったわかった」


 スピカはにっこりと笑う。

 やがて車内販売のワゴンがやって来ると、バニラアイスを二つ購入する。スピカとアヴィオールは、レグルスやファミラナと向かい合って座り、溶けないアイスと格闘し始めた。

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